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7-1. 光(1)

 春先の宵、冷えた空気がクレイスの全身を撫でていた。外に出れば、結界の中にあっても風は冷たい。主寝室の露台は大窓のはるか下、眠れる王都が見下ろせる高さに繋がっている。夜風が淡青の髪を揺らし、クレイスはただ手すりに肘をついて白い月を見上げていた。


 不思議な一日だったな、と彼はひとり呟く。

 片手を目の前にかざし、手のひらと甲とを回転させながら、クレイスはその手に残る痕跡を探し出すように見つめた。今日この手で触れた同胞の、しかし自分とはまったく違う人生を歩んできた原石の輝きが、指先のどこかに残っている気がした。


 彼女の体内に刻まれた回路は、この全属性の膨大な魔力によって無理やり開通させられた、いわば生まれたての赤子のような状態だ。赤子は一人では動けない。安静にしているだけでは魔力は澱み、熱を持っていずれは暴走するだろう。


 彼は塔を振り返った。客室では今ごろ、クレイス以上に激動の一日を送ったシトラが、その疲労にいざなわれるようにして深く眠っていると思われた。


「早急に、魔術を教えなければ……」


 魔術を行使し、魔力を外に放出して初めて、その流れは循環し清浄に保たれる。学生ならば座学に数年かけるが、そんなことをしている余裕はない。実践形式をとり、その体で覚えてもらうしかない。明日中に。


 クレイスはその身をひるがえし塔の中に戻る。彼は今夜、少しだけ夜更かしをして、彼女のために使いやすそうな杖と魔導書を選んでおくことを決めた。




 翌日、クレイスはシトラをともなって塔の中階層に位置する演習場へ下りた。武骨な石壁に囲まれた空間を、高い位置から斜めに射し込む光が、微細な埃を抱き込んで金色に染め上げていた。


 演習場の真ん中で、シトラは落ち着きなくあちこちを見回しては、クレイスから距離を取るように身を引いている。ひとまずの着替えとして提供した彼の長衣は袖も裾も長すぎて、腰紐で引きずらないよう着こなしている姿が、彼女を年齢よりも幾分幼く見せていて微笑ましかった。


「まずは、これを」


 彼は細身で短い白樹の杖を、まだどこかよそよそしいシトラの手にしっかりと握らせた。


 シトラは杖を興味深げに眺め、ぱっとクレイスを振り仰いだ。その目はわずかに見開かれ、知的な興奮の色を滲ませている。その反応の違いに、彼は心の中で苦笑した。どうやら、彼女の遠慮も知的好奇心には敵わないらしい。


「私のものですまないが……若い頃、魔術の習得中に使っていた杖だ。守りの術式が組み込まれている。私の魔力が染み込んでいるから、全属性のあなたにも馴染むだろう。専用のものを用意するまでは、これを使っていてほしい」


 昨日夜遅くまで宝物庫をひっくり返したあげく、最終的に選んだのが使い古しの杖だとは情けない限りだった。しかし、これが一番彼女に合うという確信もまた強い。


「先ほども話したが、まずは魔力を放出すること。これが第一優先だ。そのために、今日は光を灯す詠唱魔術を教えよう」


 クレイスは杖代わりの人差し指をそっと掲げた。

「詠唱魔術とは、一言で言えば己の心象を世界に定着させる行為だ。強く願うだけでは定着しない。その心象がどれだけ強固で、定着し得る形を伴っているか。人が頭に思い浮かべるものは曖昧で、それゆえに霧散しやすい。魔術士たちは、それを防ぐために心象を固定する強い言葉を口にする。それが呪文だ」


「どんな言葉でもいいの?」

 杖の感触を確かめるように、握り方を変えながらシトラが問う。


「そうだね。心象を固定できればなんでも構わない。ただ古くから使われる言葉それ自体に、既に力が備わっているんだ。だから初めはみな、伝統的な定型を使うかな」


 クレイスは言葉を切った。杖を握ったシトラに、まっすぐに見つめられている。黒い瞳はこれから起こることへの期待と不安がない交ぜになったように揺れていた。


 その初々しい姿に、彼は知らず笑みをこぼす。学院の講義をすることはあっても、こうして差し向かいで教えた経験はクレイスにはない。

 未知の事柄を前にして高ぶるように、シトラの頬が内側からほのかに色づいているのが眩しかった。遠い昔、自分にもこんな時期があったのだろうか。


「さて。初めは私が唱えてみよう。よく見ていて」


 静謐の魔術士と言われて久しい彼に詠唱は不要だ。常日頃、指先一つ、視線一つで魔術を行使する。だが今、クレイスは、言葉を覚えたての子供に語り掛けるように、一音一音をゆっくり、はっきりと区切りながら、明瞭な発音でその呪文を唱えた。


「光よ。我が意に応じ、ここに灯れ」

 彼の指先に、小さな柔らかい光球がふわりと生まれる。


「わぁ……」

 短く漏れた感嘆に、クレイスは微笑んでその光を彼女の手元に漂わせた。シトラは杖を持ったまま、その光を手のひらで受けるようにして愛でている。その仕草が妙にくすぐったく、彼は指を一度振ると、その光を空気に溶かして消し去った。


「さあ、次はあなたの番だ。焦らなくていい。あなたの内側で渦巻く熱を、杖の先から外へ逃がすようにね」

お読みいただきありがとうございます。

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