#1 流石に五徹はアホやった
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「ん〜〜、ほんまめっちゃ良かったぁ〜〜!!」
劇場を出て、私は両手を組んで伸びをした。やっぱりシアターで観る舞台は違う。カーテンコールが終わってだいぶ経つのに、まだ胸の鼓動が落ち着かない。紅潮した頬に夜風が当たって、ちょうどいい具合に熱をさらっていく。
「やな! ほんま“萌え剣”最っ高! シアター上演も最っ高! 全部全部最高すぎて心臓もたん! これもう、二・五次元沼ってまうわぁ〜〜! どないしょ〜、またお金なくなってまう〜」
隣を歩く親友──文姫が応える。
「ちょっと〜。また『シフト入れて〜』とか、ほんま無しやで? うちも今月厳しいねんから」
「ええ〜、いけず〜。親友やんかあ。変わってよ〜」
あははと笑い合う。
私たちは幼馴染で、バイト先も同じ。二人して恋愛ゲーム“萌え剣”こと『萌えよ剣──三国に舞い散る桃の花』にどハマりし、今日は一緒に劇場公演を観にきたのだ。
“萌え剣”は、三国志の世界で小喬と大喬という二人の姉妹が、さまざまな英雄たちと恋に落ちる恋愛ゲームだ。シナリオは史実とはだいぶ違うけど、そんなことはどうでもいい。だって尊いから!
「伯符と公瑾、むっちゃかっこよかったな〜。役者さんは知らん人やったけど、あれは絶対売れると思うわ」
「せやな。さすが公式カップリング……あそこは鉄板やった。せやけど、やっぱうちは孟徳推しやけどなぁ〜〜。あの危ない雰囲気……めっっっちゃ好き!!」
「出たで〜、小紅ちゃんの孟徳推しが」
文姫があきれ笑いで返す。小紅は私の名前だ。昔の人っぽいってよくいじられるけど、逆に今風じゃない? って私は思う。知らんけど。
「言うて、確かに孟徳はカッコええけどさ〜、やり方は完っ全に鬼畜やで?」
「え〜、あの強引さがええんやん。欲しいもんは何でも手に入れてきたっていう自信と、そんでも届かへんからってヤキモキしてさ〜。自暴自棄でどんどん苛烈になっていくあの感じが……きゅん……やでほんま」
「何が“きゅん”……やねん。って、あーなるほど。ここにもっと鬼畜おったわ(笑)」
二人して笑った、そのときだ。
ふっと、足元から力が抜ける。
「えっ、小紅ちゃん、大丈夫!?」
文姫があわてて肩を支えてくれる。なんとか倒れずにはすんだ。
「あー、はは。昨日ちょっと予習しすぎたんかなー。“萌え剣”夜中に二周もしたから……」
「も〜〜。やめてや〜、ビックリするやん!」
嘘だ。
この一週間、私はこの舞台を楽しみにしすぎて、ほとんど寝ていない。
「ほんまへーきへーき。こんなん、いつものことで──」
軽口を叩きながら瞬きをする。けれど、目の前の景色はじわじわと暗くなっていく。
あれ?
いつもの立ちくらみと、なにか違う。
足元から、すうっと、体が抜けていく。
夜風の感触も、文姫の手の温もりも、遠ざかっていく。
──あ。
***
目を開ければ、暗い部屋。天蓋付きの大きなベッドの上に私はいた。柑橘の香りが薄く漂う部屋を、小さな蝋燭の灯りだけが薄く照らしている。
すぐ側には、そんな暗がりで一心不乱に何かを読みふける少女。歳は、まだ5歳にもなってない感じかな? だけど、どこかで会った覚えがある。そんな気がした。
「ここは……」
私が声を上げると、少女は一瞬びくりとしたように肩をあげ、手に持っていた何かを放り投げる。
そして一直線にこちらに駆け寄ってきた。
「小紅さま! よかった。意識が戻られたのですね!」
「……しょうこう?」
聞き慣れない呼び名に、私は首を傾げる。
「……!? 小紅さま……まさか、自分の名前をお忘れに!? 少々お待ちください。父を呼んできます」
少女は青ざめた顔をして、すぐに誰かを呼びにいった。
ゆらゆらと、蝋燭が揺れる。部屋に一人残された私は、少女が読んでいたものに目を落とす。
「これって……“竹簡”?」
竹簡とは、細長く割った竹の札に文字を書き、麻糸などで綴って書物や記録として用いたものだ。古代中国などで広く使われていたらしいが、今では全く見ることはない。いや、さっきの演劇では見たけどさ。
「あ……え? もしかして、うち劇場の人に助けてもらった?」
そう考えると、目の前の道具はセットか。なんだ、あのまま気を失ってしまったのか。たしかに、劇場を出てからすぐにぶっ倒れたもんな。いくら楽しみだったとはいえ、さすがに五日徹夜はやり過ぎた。そう反省していたころ──
「小紅さま」
部屋の入り口に先程の少女と、もう一人男が立っていた。歳は、20代半ばってところか? 髪を後ろで束ね、その上に布を巻いている。いよいよもって劇団員だね。
「お手間をお掛けしてしまい申し訳ございません。少し疲れていたみたいで、けどもう大丈夫です。帰り道なら分かりますので、荷物を……」
そう言って、ベッドから降りかけた私はバランスを崩した──あれ?
「小紅さま!」
少女が駆け出した。
(ちょ、まさか、支えるつもりなん? 危ないで!? うちこう見えて結構体重あるから──)
──ぽすん。
私の身体は軽い音をたて、少女の腕にもたれかかる。
(──え?)
思わず自分の足元に目がいく。
裾の先からのぞいているのは、小さな足に白い指。続いて、手と腕も見る。
何もかも小さくて、短い。どう見ても、私の知っているそれじゃない。
(え……うちの身体……縮んでない? こんなんまるで──幼女やんか)
その時、窓からふわりと風が通り抜け、部屋にかけられていた鏡の布が滑り落ちる。雲間からのぞいた月明かりが部屋に差し込むと、鏡ははっきりと私の姿を映し出した。
そこに映っていたのは、目を開いて固まる一人の少女。その眼は深紅── 長い睫毛に縁取られたルビーのような赤い瞳が、私を見つめている。髪は絹糸のようにサラサラとして、窓から差し込む月明かりを受けて桃色に輝く。
(これ……もしかして、うちなん?)
「うひゃあ! なんで!?」
思わず、変な声が出る。だがもちろんその声も、いつもの私の声じゃない。
見た目も声も、どういうわけか誰か全く別の人間になってしまったみたいだ。
「やっぱり! お父様、小紅さまがなんだか変!」
少女が男を振り返って言う。
「ううーん、そうだね。少し記憶が混乱しているみたいだ」
「少し失礼します」
男は少女から私の身を預かると、またベッドの上に戻して毛布をかけてくれた。そのまま私の額に手を当てて顔を覗き込んでくる。
「熱は下がったようですが……。文姫、お水を持ってきてくれるかい?」
「わかりました!」
文姫と呼ばれた少女は、またぱたぱたと走り去っていった。部屋には、私と男の二人だけ。
「小紅さま、私がわかりますか?」
小さく、男が尋ねる。
「……いいえ」
私は正直に答えた。
「そうですか……」
答えを聞いてうんうんと頷く男。やがて天井を見上げ、小さく呟いた。
「ああ……、こりゃ私。仲穎さまにこっぴどく絞られるなぁ」
その顔には諦めにも似た薄い笑みが乗っていた。
(だって、知らんねんもん……)
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