#0 ぷろろーぐ
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大きな館で何不自由なく育てられた私は、あるとき思い出したの、前世を。いいえ、これは“未来の記憶”なのかしら。
この家で私に与えられた名は、小紅。赤い瞳の印だ。
竹簡に筆を走らせるたび、麻紐がきしり、と小さく鳴る。
どうやら、私のお爺さまは後世でとんでもない大悪党としてその名を轟かせているらしい。
お爺さまの名前は──董卓。
とても逞しくて、優しくて、素敵なお爺さま。
少し怒りっぽいところはあるけれど、誰よりも国を愛し、家族を愛している。
そんなお爺さまが、まさか部下に裏切られ、殺されてしまうなんて許せない。
私が絶対に止めてみせる。お爺さまを救う。そして、董家を助けるんだ。
これから先のこと、全部覚えてる。
何が起きるか、私は知っている……はずなのに。
だけど、時々記憶が飛ぶ、“私”が消えていく……
ふと目の前が暗くなる。
だめ、まだ。
全て書き残さないと。伝えないと──“あの子”に。
頭を振り、無理やり意識を呼び起こす。
この五日、食べることも眠ることも忘れてひたすらに筆を走らせた。指先は痺れ、墨の匂いが気持ち悪い。
お願い、間に合って──それだけをただ願い続けた。
八巻目の竹簡をきつく縛る。
その瞬間、胸の奥が、どくん、と嫌な音を立てた。
筆が止まる。
灯火が、ふっと青く揺れた。
次の瞬間、胸の奥から何かが“抜ける”感覚がして、私は──『小紅』という音だけを思い出せなくなった。
鏡の布が、ひとりでに落ちる。
そこに映った私が──私ではない笑みを浮かべていた。
あなたは、だれ?
私はゆっくりと鏡へ歩み寄る。微笑みを浮かべたその子が手を差し出して言った。
時間が来てもうた。……ほな、そろそろ行こか?
え? 待って、だってまだ──
竹簡に未来を書き残した“董白”は、倒れた──そして“うち”が目を覚ます。
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