第七章 化石の回廊
弥太郎の促しで、我々は「胎内口」の前室を後にし、さらに奥へと進んだ。通路は再び狭くなるが、やがて眼前がぱっと開ける。カーバイドランプの光が届かず、闇が深淵のように広がる巨大な空間に、我々は足を踏み入れた。ここが「化石の回廊」である。
ランプを高く掲げ、光を拡げてみる。その光景は、息をのむほどだった。広間の床全体、そして壁面の大部分が、無数の二枚貝の化石で埋め尽くされていたのである。それらは学名をオストレアやプテノダンテと呼ぶ、遥か中生代の海に棲息していた巨大な貝の亡骸だ。大きいものは人の頭ほどもあり、その一枚一枚が、気の遠くなるような時間の堆積を物語っている。
「マイン・ゴット…! これは…これは途方もない!」
余は思わず、母国語の驚嘆の声を上げた。「この保存状態、この規模…!これは学術的に極めて貴重な発見だ!」
余は興奮してハンマーを取り出し、化石のサンプルを採集しようとしゃがみ込んだ。ランプを近づけ、層理を仔細に観察する。
「見ろ、耕作君!この地層は明らかに海底堆積物だ。この地が、かつては温暖な浅海であったことを物語っている。これほどの化石密集層が、なぜ公式の記録に残っていないのか…」
「博士…」杉浦の声がひくついている。「こ、これは…ただの化石ですか?」
彼が指さす先には、明らかに不自然な光景が広がっていた。いくつかの巨大な化石の貝殻が、意図的に配置されたかのように、円形や渦巻き状のパターンを形成しているのだ。それは自然の作用というには、あまりにも規則的すぎる。
「…人が手を加えたのか?」
余は呟いた。しかし、それはあり得ない。この地層の古さからして、人類など存在しなかった時代のものだ。
その時、弥太郎の低い声が響いた。
「…動かんほうがいい。ここは、神域の入口じゃ。昔の者たちは、ここで祈りを捧げたいうての」
彼はランプをゆっくりと動かし、床面を照らした。すると、化石の間の薄く堆積した粘土層に、無数の三本指の足跡のような窪みが、新たに付けられているのを発見した。我々のものではない。そして、ぬるぬると光る青白い粘液の痕跡が、それらに絡むようにして点々と続いている。
冷や汗が背中を伝った。追跡者の存在を一時忘れるほどに、この空間そのものが放つ不気味な威圧感に圧倒された。
ふと、余はあることに気がついた。先ほどまで頭上にあった、あの追跡者たちの赤いランプの明かりが、いつの間にか消えているのだ。代わりに、遥か遠くの、別の支洞らしき方向から、かすかに金属を叩くような硬質な音が響いてくる。それは規則的で、意思を持っているかのようだ。
「…奴らは、別の道を知っとる」
弥太郎が苛立たしげに呟く。「表の口から、まっすぐにここへ抜ける近道を…」
すると、杉浦が突然、自分のリュックに手をやった。
「お、おかしいです…また、なにか…」
確認すると、今度は水筒の蓋が緩められ、中身の水が半分ほど失われていた。そして、水筒の横には、小さな青く光るキノコのようなものが、ぽつりと置かれていた。
誰かが、気づかれないように近づき、そして奇妙な“置き換え”を行ったのだ。それは警告なのか、それとも、何らかの意思表示なのか―。
「博士、これって…」
杉浦の声は震えている。
余は言葉を失った。科学的説明を超えた、理解不能な現象が進行している。追跡者は人間か? それとも…。
弥太郎は無言で、その奇妙なキノコを足で踏みつぶした。青白い発光液が飛び散り、異様な臭気が漂う。
「構うな。足を止めるな。ここは…長くいてはいけん場所じゃ」
彼はそう言い、再び歩き出した。我々は複雑な思いでその後につづく。壮大な化石の層は、最早学術的興奮の対象ではなく、不気味な古代の祭壇のように感じられた。
回廊の出口に差し掛かった時、余はふと振り返った。ランプの光が届かぬ深い闇の中に、ぽつりと青白い光点が浮かんでいるのが見えた。それは一瞬、細長いヒューマノイドのシルエットのようにも見えたが、瞬きする次の瞬間には、ただの幻のように消えていた。
我々は、単なる地質調査などでは決してない、はるかに深く、危険な何かの只中に、足を踏み入れつつあった。




