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ナウマン博士の地底紀行  作者: 塗戸 雄司
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第五章 陰謀の匋い

翌朝、霧は晴れ、佐川の町は清明な朝日を浴びていた。しかし、吉村家の離れ座敷にいる我々の頭上には、目に見えぬ曇りが垂れ込めているようだった。昨夜見た不審な影と、弥太郎の不可解な振る舞いが、頭から離れない。


朝食の席で、惣左衛門が不敵な笑みを浮かべて言った。

「さて、先生。本日はまず町を一巡りされませぬか?せっかくのご来訪なれば、わが佐川の風物もご覧いただき、その後、改めて竜王穴への準備を整えましょうや」


彼の申し出は、もてなしとして当然のように聞こえた。しかし、その底意には、我々を町に公開し、地元の名士としての自身の権威を誇示したいという思惑と、我々の動向をより多くの町民の目に触れさせることで、何らかの圧力をかけたいという計算が透けて見えるようだった。


「承知した。ぜひ町を見せてほしい」

余はそう答えた。それはむしろ好都合である。この町の空気、人々の様子を直接感じ取り、我々が巻き込まれつつある状況を測りたかったからだ。


杉浦と二人、惣左衛門の案内で町歩きが始まった。町は活気に溢れ、人々は慇懃に頭を下げる。しかし、その視線の奥には、単なる好奇以上のものを感じ取れた。好奇と、警戒、そして何より期待である。


「東京の大学の先生が、竜王穴を調べに来た」

「吉村さんが、ついに動き出したんじゃ」

「あの怪しい光の正体が分かるのかのう…」

「鉱山ができれば、町も豊かになるじゃろうて」


そんな囁きが、路地裏から、店先から、かすかに聞こえてくるようだった。惣左衛門は、我々を一種の「看板」として利用し、町中に鉱山開発への機運と自身のリーダーシップをアピールしているのだ。


ふと、路地裏の酒蔵の陰で、二人の男の会話が耳に入った。一方は明らかに土地の者ではない。ずんぐりとした体格に、よれよれの洋服を着込み、無造作に伸ばした顎鬚が特徴的だ。もう一人は、地元のならず者風の若者である。


「…あの外国人学者、動向は?」

「はい、吉村さんの屋敷に泊まってます。今日は町を案内されてるようで」

「…穴には、まだ入らんのか?」

「明日か明後日には入るそうですが…なかなか頑固な案内人でして、詳しいことは掴めんで…」

「…油断するな。あの『青い石』は、我々がぜひとも手に入れねばならんものだ。ロシアの科学アカデミーが、並々ならぬ興味を示しておる…」


ロシア——その言葉に、余は思わず足を止めた。杉浦も緊張した面持ちでこちらを見る。会話はそこで途切れ、男たちは路地の奥へと消えていった。惣左衛門は、わざとらしく別の方向を向き、その会話を聞かなかったふりをしている。果たして、彼はこの「よそ者」の存在を認識しているのか? あるいは、もしかしたら…。


町歩きを終え、吉村家へ戻る途中、余はふと尋ねた。

「吉村さん、この町には、他によそ者…外国人などは滞在しておるのか?」


惣左衛門の顔が微かに曇った。

「外国人?いや…そんな者はおらんと思いますがの。どうして、そんなことを?」

「いや、単なる好奇心だ」余は曖昧に濁した。


屋敷に戻り、午後は明日の探検準備に費やした。装備の確認を終え、ひと息ついていると、使用人の一人が近づき、小声で言った。

「先生…実は、昨夜、お庭でお怪しい者をお見かけしたとのことで…」

「ああ、気のせいだろう」余はわざと平静を装った。

「いえ…実は、わたくしも、この二、三日、町にロシア人らしき怪しい男が二人、うろついているのを見かけておりまして…」


使用人はそう言うと、慌てたように俯き、すぐにその場を立ち去った。惣左衛門の影響下にある者たちの中にも、彼の開発計画に不安を感じ、我々に警告を送ろうとする者がいるのだろうか。


夕刻、明日の最終打ち合わせのために弥太郎が現れた。彼は相変わらず無口で、必要最小限の指示だけを淡々と伝える。


「明朝は四時に集合じゃ。軽装にて、重い荷物はわしが担ぐ」

「了解した。ところで、弥太郎さん…この町に、ロシア人らしき男がいるのを見かけたことはないか?」

余が試すように尋ねると、弥太郎の動作が一瞬、止まった。そして、鋭い眼光を余に向ける。

「…知らん」

彼は短く答えたが、その一瞬の躊躇が、すべてを物語っていた。彼は知っている。そして、何らかの理由で、口を閉ざしている。


その夜、余は杉浦を呼び、厳かに言った。

「耕作君、我々の調査は、純粋な学術探検では済まされぬ情勢になってきた。吉村惣左衛門の開発野心、ロシアと思しきスパイの暗躍、そして案内人・弥太郎の不可解な沈黙…。この三者は、それぞれ別の目的で『竜王穴』を狙っている。我々は、それらのはざまで、最も危険な立場に立たされているかもしれん」


杉浦の顔が緊張で強張る。

「博士、それでは我々は…」

「とにかく、用心だ。明日からは、洞窟内での行動も、単に地質調査だけではなく、周囲の人間の動向にも常に注意を払わねばならん。何よりも、お前の安全を最優先する。分かったか?」


「はい、博士」


余は窓の外を見やった。再び町は深い闇に包まれ、山塊の輪郭は不気味な影のようにそびえ立っている。あの「竜王穴」の深奥には、学術的な発見があると同時に、人々の欲望と危険が渦巻いている。


我々の地底旅行は、最早、単なる探検ではない。それは、欲望と秘密が交錯する、危険極まりない罠へと足を踏み入れることになるかもしれなかった。

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