第四章 案内人、弥太郎
吉村家の離れ座敷に戻ると、惣左衛門がすでに一人の男を伴って待っていた。男は三十歳前後か。晒し木綿の仕事着に地下足袋といういでたちで、無骨なまでに鍛え上げられた肩幅の広い体格をしている。背は余ほどもあろうか。日に焼けた顔は無表情で、剃り込みの入った頭は無造作に刈り込まれ、無精鬚がぼうぼうと生えている。しかし、その目だけは異様に鋭く、山で長年生きてきた者特有の、獲物を見据えるような冷たさを宿していた。これが、我々の案内人である。
「ナウマン先生、ご紹介いたします。こちらが町一番の山案内、坂本弥太郎でございます。弥太郎、こちらは東京からお越しの大学の先生だ。しっかりとご案内いたせよ」
惣左衛門の紹介に、弥太郎は黙って軽く会釈しただけである。慇懃無礼というわけではなく、むしろ、余裕というものを感じさせない、ぎりぎりまで無駄を省いた、機能的な動作のように思えた。
「よろしく頼む、弥太郎さん。私はハインリヒ・ナウマン、こちらは助手の杉浦耕作だ。これから、竜王穴の調査でお世話になる」
余がドイツ語なまりの日本語でそう言うと、弥太郎の鋭い目が一瞬、余の顔を捉えた。その視線は、学者という存在そのものを計っているかのようだった。
「…よろしゅうございます」
彼の声は低く、濁っており、土佐の山言葉が強く滲んでいた。それ以上は何も言わない。
「弥太郎はな、元は土佐藩士の家系の出でな。維新後は山で生きておる。この辺りの山々は、彼の庭同然じゃ。どうぞご安心を」
惣左衛門が付け加える。元士族というのは意外であった。その荒々しい風貌からは想像し難い、ある種の気高さ、というよりは屈折した誇りのようなものを、ようやく余は感じ取った。
「では、早速明日の朝、洞窟へのアプローチを開始したい。必要な装備は揃えてあるが、何か準備すべきことはあるか?」
余が尋ねると、弥太郎はゆっくりと首を振った。
「…山の用意は、わしがいたします。先生方は、ご自分の道具と、覚悟だけお持ちくだされ」
「覚悟?」杉浦が聞き返す。
「…あの穴は、甘く見んことじゃ。足を踏み外せば、それまでじゃ。戻れんこともある」
その言葉は、脅しでも誇張でもなく、単なる事実の提示であるかのようだった。晴介爺さんの警告が、再び頭をよぎる。
打ち合わせが終わり、弥太郎が退出した後、惣左衛門が低い声で言った。
「彼は無口で扱いにくい男だが、腕は確かじゃ。ただ…一つだけ、お伝えしておかねばならんことがある」
惣左衛門は周囲を見回し、さらに声を潜めた。
「実はの、彼の家には、竜王穴の『古い写し図』なるものが伝わっているそうな。江戸期に穴に迷い込んだ先祖が描いたとされるものじゃが、頑なに見せようとせん。何か…穴の奥について、知っているのか、あるいは守ろうとしているのか…」
写し図——。それは地質学者にとって、これ以上ないほどに興味を引く言葉であった。同時に、弥太郎という男の頑なな態度の理由も、ほのかに見えてくるようだった。彼は単なる案内人ではない。何らかの「秘密」の、番人なのかもしれん。
その夜、余は杉浦と共に、明日の準備のために荷物の整理をしていた。すると、ふと、窓の外で物音がした。見やると、庭の隅の暗がりで、弥太郎らしき男が、別の男と低声で話し合っているではないか。相手は町の者らしき風体ではない。洋風の外套に身を包んだ、ずんぐりとした体格の男だ。その会話は明らかに険悪なもので、弥太郎は短く強く何かを言い放つと、相手を突き放すようにして去っていった。洋装の男は弥太郎の後ろ姿をじっと睨みつけ、やがて闇の中に消えていった。
「博士、今のは…?」
杉浦もその光景を目撃していたらしく、蒼い顔で尋ねる。
「…分からん」余はそう答えるしかなかった。が、心の中は穏やかではいられなかった。吉村惣左衛門の開発野心、山本晴介の不気味な警告、謎のよそ者との接触、そして秘密を抱えた案内人・弥太郎。
純粋な地質調査のはずが、いつの間にか、複雑な思惑と秘密の蜘蛛の巣の中心に、我々は立たされている。弥太郎は果たして、我々を無事に導いてくれるのか。それとも、何か別の目的のために、我々を利用しようとしているのか。
明日、洞窟へ向かうその時が来るのが、待ち遠しいと同時に、一抹の不安なくしては考えられなくなっていた。余は、机の上に置いた分厚い『日本地質構造論』のドイツ語原稿をぱたりと閉じた。この著作のための調査が、予想だにしない方向へと向かい始めていることを、余は強く予感せずにはいられなかった。
我々の地底への旅は、人々の様々な思惑が絡み合う、危険な綱渡りと共に、いよいよ始まろうとしている。




