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ナウマン博士の地底紀行  作者: 塗戸 雄司
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第十一章 吉村惣左衛門の真意

翌朝、余は吉村惣左衛門を書斎に訪ねた。一晩で頭の中を整理し、伝えるべきことと、黙すべきことの線引きを決めていた。祭祀場の壁画や人骨、そして「彼ら」の存在については、公にすべきではない。しかし、鉱物の存在と、洞窟の危険性については、警告を発する責任がある。


書斎で相対する惣左衛門は、相変わらずの豪商らしい風格だが、その眼は一層鋭く、我々の報告を待ち侘びているように見えた。


「ご苦労であった、ナウマン先生。さて、竜王穴の調査の結果はいかがであったかな? やはり、わしの睨んだ通り、有用な鉱脈は存在するのであろう?」


余は慎重に言葉を選んだ。

「吉村さん、まずお伝えせねばならんのは、あの洞窟が、我々の想像以上に危険な場所であるということだ。複雑な迷路、落盤の危険、そして…(ここで少し間を置く)…特異な地質現象により、compass は狂い、方向感覚を容易く失う。とても開発などできる環境ではない」


惣左衛門の表情が曇る。しかし、余は続けた。

「ただし、貴殿の見立ては一部、正しかった。あの磁性を帯びた鉱物は確かに存在する。しかし、その分布は局所的で、採算の取れる規模での採掘は極めて困難と見る。学術的には極めて興味深いが、実業の対象とするにはリスクが大きすぎる」


それは嘘ではない。あの「青き石」が祭祀場の壁画の中心にあった以上、その周辺部に集中的に存在する可能性は高い。しかし、あの地へ人を送り込むことは、死か、あるいはそれ以上の惨事を招くに違いない。


惣左衛門はしばらく黙考した後、ゆっくりと口を開いた。

「…ふむ。なるほど。確かに、危険が伴うというお話は重く受け止めます。しかしながら、先生…」


彼の目が、一瞬、冷たい光を宿した。

「…それだけでは、ありませんな?わしの耳には、別の話も入っております。湖で銃声が響いたそうではないですか。そして、先生方の後を追っていた者たちが、消息を絶ったとも。どうやら、学術調査だけで済まされるような、生易しいものではなさそうですが?」


余は内心、驚いた。彼は我々の動向を、別ルートで逐一監視させていたのだ。

「それは…」


「先生」惣左衛門は姿勢を前に乗り出し、声を潜めた。「この話は、もう少しだけ続けさせてくださいまいか。わたくしも、実はある人物から、この洞窟について、少々…気になる情報を提供を受けておりましてな」


彼は机の引き出しから、一枚の紙切れを取り出した。それはロシア語で書かれたメモの写しで、「強磁性鉱物」「生物発光」「地熱活動」といった単語と、数値らしきものが走り書きされている。そして、その末尾には、「Иваннов」(イワノフ)という署名らしきものがあった。


「この人物、ボリス・イワノフと名乗る男がの、わしに接触してきやがった。この鉱物が、彼の国にとって極めて重要な戦略的資源たり得るとぬかし、わしに協力を持ちかけてきたんじゃ。もちろん、わしは一笑に付したがの…」


彼は紙切れをしまいながら、じっと余を見た。

「しかし、先生。もし彼らの言うことが真実ならば…この資源を、わが日本国が、彼らの手に渡す前に確保せねばなりませんではないか。国家的な大事ですぞ?」


余は息を詰まらせた。事態は、最早一個人の野心などではなく、国際的なスパイ合戦へと発展していた。惣左衛門は、純粋な利己心からではなく、(それも大いにあるだろうが)一種の国益主義から、この開発に執着しているのだ。


その時、ドアがノックもなくいきなり開かれた。現れたのは弥太郎だった。彼は惣左衛門を一瞥すると、余に向かって短く言った。

「…先生、すぐに来てくだされ。あのロシア人ども…一人、森で見つかりました」


その言葉に、惣左衛門の顔から血の気が引いた。

「なっ…!生きておるのか!?」


弥太郎はゆっくりと首を振った。

「いいえ…ですが、死に様が、普通じゃありません。…まるで、何か大きなものに、全身の骨を握り潰されたかのようでございました」


書斎の空気が凍りつく。湖で消息を絶ったもう一人のロシア人スパイは、どうなったのか。そして、彼らを殺したものは、果たしてあの巨大甲殻類なのか、それとも――。


「吉村さん」余は静かに、しかし強く言った。「もうこれ以上、血を流させてはなりません。この調査は、いったん中止すべきです」


惣左衛門は何も言わず、蒼い顔で机を見つめていた。彼の野心も、国益も、眼前の現実の恐ろしさの前には、色褪せて見えた。


我々は弥太郎に導かれ、現場へと向かった。余の頭の中は、錯綜する情報と倫理観で混乱していた。科学的真実、国家的利益、そして人道的な危機。この三重の苦境の中で、学者である余は、何を選択し、どこへ向かうべきなのか―。


そして、その現場で待ち受けていたのは、我々の想像を絶する、新たな戦慄の光景であった。

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