プロローグ
「ふむふむ……明日の夕刻に南の方角でコレとコレが重なるっと……」
ぷつぷつと小さく呟きながら、天板の上に浮かび上がった天体図を確認する。そして「あ」と小さく溢すと、よく手入れされた細い指先で天板を2つ程叩いた。黒いローブに身を包み、深くフードを被っているため表情は全く見ることができない。
「【星詠みの魔女】様、どうでしょうか?」
「そうですね……『ツグリ草を明日植えたらどうなるか?』とのご質問でしたが、【明日は大雨】と星が示しているので、明後日以降植えた方が良く育つかと思います。お兄さん家の畑の辺りはとりわけ強く雨が降るようなので、明日植えてしまうと苗が全てダメになってしまう可能性が高いですよ」
「えぇ⁈ それは大変だ、明日は植えないでおいた方がよさそうだな」
念のため聞いて良かったと胸を撫で下ろした青年は、ポケットから取り出した銀貨を3枚【星詠みの魔女】に手渡すと、慇懃に何度も頭を下げ、こりゃ家族に早く伝えねばと勢いよく部屋を出ていった。
錆びたドアの蝶番がキィ…と音を立て、閉まる直前で動きを止める。【星詠みの魔女】と呼ばれたその人は、小さくため息を溢してゆっくり椅子から立ち上がると、その古びた立て付けの悪いドアに近づき丁寧に閉めた。その瞬間、かろうじて感じられていたメイン通りの活気が一気に消散する。
「今日は銀貨3、6、9、12枚っと。うん、午後からしかお店を開けられなかった割には上出来ね!」
【星詠みの魔女】は満足気にそう言って、ぐっと大きく伸びをする。フードの奥にちらりと見えた小さな八重歯が何とも可愛らしい。
「あれ、そう言えば今何時? ……あっ大変! もう行かないと……!」
傍らにあった懐中時計を見るや否や、慌てて銀貨を鞄に詰め込み、ローブを脱ぎ捨て駆け足で外に出る。
ここはヴァルタス王国で最も栄える街・パディントン。ここパディントンの8丁目8番地、メアリー通りから更に奥まった裏道を右に2つ曲がったところにある、古びた小さな一軒家。ここが話題沸騰中の占い師【星詠みの魔女】の拠点だ。
彼女は数年前から彗星の如く現れた凄腕占い師で、何を聞いても必ず当たるとパディントン内で密かに騒がれている人物。どういう経歴の持ち主で、一体どこの誰なのか、完全に謎に包まれているミステリアスな天才。これらがパディントンに住む人々からの評価である。だがそんな孤高の占い師が今は焦った様子で全力疾走しているのだから、人の噂は当てにならない。
「はぁっ、はぁっ……セーフ――」
「残念、完全にアウトだよ。早く馬車に乗って向かわないと怒られるよ!」
「わ! トリスタン! それはまずいわね。お父様のお説教は長いから厄介なのよ」
「トリスタン」と呼ばれる青年に急かされた彼女は、丈の長いワンピースの裾を豪快に捲し上げて馬車にせっせと乗り込む。扉が閉まったと思ったと同時に馬車はカラカラと音を立てながら静かに動き出した。
「本当に肝が冷えたよ今回は……。今日は王家開催の夜会に参加しなくてはいけない日だろう?」
「ううう、ごめんなさい。占いをしていると時間を忘れてしまう癖は直さないとって思ってはいるのよ? 一応、一応ね……!」
「言い訳はよろしい」
えへへと誤魔化す彼女の額に一発デコピンをお見舞するトリスタン。痛っ!と声を漏らした【星詠みの魔女】は、「もうっ、手加減して欲しいわ」と膨れ面になる。美しいターコイズブルーの瞳はデコピンの痛みでほんのり潤んでいた。それを受けて「すまんな」と謝るトリスタンだが、その声色は全くもって反省していない。顕になった彼女の金色の髪をわしゃわしゃと撫でて、キッと睨まれるまでが1セットだ。
「……兎も角、遅れた原因が怪我とかトラブルとかではなくて安心したよ」
「ありがとう、トリスタン。本当申し訳なく思っているわ。今度何か贈らせて頂戴」
「気持ちだけ受け取っておくよ。大したことじゃないからね」
そう言ってトリスタンは優しく彼女に微笑みかける。その柔らかな深緑の瞳から発せられる色気に耐えられるのは【星詠みの魔女】たった1人に違いない。
「……さて、もうすぐ着くよ。ミッシェルお嬢様」
パディントンの8丁目8番地、メアリー通りから更に奥まった裏道を右に2つ曲がったところにある、古びた小さな一軒家。そこで活動している巷で話題の占い師【星詠みの魔女】。たった今、トリスタンのエスコートを受けて馬車から優雅に降り立った彼女こそ、【星読みの魔女】――
ヴァルタス王国アルノー子爵が娘、ミッシェル・オレリア・アルノーである。
***
「ミッシェル」
「ハイ。申シ訳ゴザイマセンデシタ、お父様」
アルノー子爵家に到着して早々、父親である子爵に怒られるミッシェル。眉間に皺寄せて心底申し訳なさそうな表情を作らせたら、彼女の右に出る者はいない。かれこれ生きてきて18年、父親からの説教を受け流す術は持ち合わせている。
「まぁまぁ、ミッシェルも間に合ったのですから良いではないですか。さ、急いで準備しますよミッシェル」
ミッシェルを叱るアルノー子爵を窘めた女性はミッシェルの母、子爵夫人だ。夫人にそれ以上は言ってくれるなと注意されてしまったら子爵は何も言えない。
「お母様、ありがとうございます」
「もう、あなたもトリスタンさんとの街歩きが楽しいのは分かるけど、気をつけなさいね」
「はぁい」
とはいえ夫人もミッシェルの肩を持つ訳ではない。お転婆娘に注意の一言を残した後、侍女たちに夜会参加の準備を進めるよう指示を出した。侍女たちの手によってもみくちゃにされたミッシェルは、夜会参加前なのにも関わらずゲッソリしている。
「お嬢様、カモミールティーはいかがですか」
「えぇ、お願いするわ。何だか今日はいつも以上にコルセットを締められた気がするの」
ふふふと小さく笑い、ミッシェルが落ち着けるようにとそっと紅茶を淹れる侍女は、ミッシェルの専属侍女であるアンナだ。気のせいでは?と言わないあたり策士である。
「【星詠みの魔女】のお仕事はいかがでしたか?」
「聞いて欲しいの! 今日は沢山お客様がいらしたのよ!」
ターコイズブルーの瞳をキラキラと輝かせながら語るミッシェル。アンナはそんな主人の姿が大好きだ。紅茶を淹れるたびに「今日もとびきり美味しいわ、ありがとうアンナ」と言葉をくれるミッシェルをどうして慕わずにいられようか。
「お父様とお母様にバレてしまったらとんでもないことになるわね。まさかわたくしが【星詠みの魔女】として街で仕事をしているなんて思ってもいないでしょうから」
――そう。ミッシェルは【星詠みの魔女】として街に店を構えていることを両親には内緒にしているのだ。これを知っているのはアンナとトリスタンの僅か2名のみ。ミッシェルが占い師の仕事を続けられているのは一重にこの2人の協力があってこそだ。
「最近侍女たちの間でも噂になっておりましたよ。凄腕の占い師がメアリー通りの裏にいるらしいと」
「嬉しいけど正体がバレないように気を引き締めないとだわ。――これは絶対に続けないといけないのよ。わたくしのために」
きゅっとティーカップを握る手に力が籠る。【星詠みの魔女】として活動を続けなければいけない理由があるのだ。
(絶対、絶対に、次こそは当ててやるんだから……!)
これはミッシェル・オレリア・アルノーがあの人にギャフンと言わせるために奮闘する物語である。