【2−4】
このゲームのプレイヤーたちの肉体は非常に脆弱である。正確には、ゲームでありながら私たちプレイヤーキャラの肉体は現実世界と同じ耐久性しかない、ということだ。
耐久性が皆無なことへの対処法としては、装備品や道具によって物理的もしくは魔法的な障壁を生成して攻撃を無力化する、もしくは攻撃に当たらないように立ち回るというのがある。
今の私に取れる手段は後者の当たらないようにするであり、ゲームシステムとしても隠れることに対して補正が掛かるようになっているのだ。
ハイド状態として扱われる条件としては、物理的な遮蔽物に身を隠すか、スキルやアイテムで存在を希薄にすることの大きく分けて2択になる。今の状態としては建物の柱という遮蔽物に隠れているので、私はハイド状態になって襲撃者から存在が認知されにくいようになっているはずだ。
柱の影から伺う世界は混乱の渦に呑まれていた。悲鳴を挙げながら逃げるプレイヤーの背中にトゲが突き刺さり、はたまた覚えたてのスキルを使って抗おうと試みる蛮勇に満ち溢れた戦士も居る。
「ねえ、ラズリア。あなたのプランは?」
カログリアは私にそう問うが、この混沌を前にプランなんてあったものじゃない。けれど、逃げ惑うことしか許されないプレイヤーたちと比べて、私たちはハイド状態に移行できたことで幾分かの余裕を与えられている。
さて、プレイヤーたちはゲーム開始直後や事前セットアップの時に提示されるアイテムリストから好きなアイテムを3つまで選択して、最初から特殊アイテムを所持した状態で物語を始めることが可能だ。
私の場合は、足音を発生させずに移動できるブーツである「キャットフット」、敵対者に視認されている状態でも数秒だけ強制的に敵対者に視認されない状態になれるスキルを使用可能にする拡張チップの「フラッシュ・ステルス」、周囲の状況をサーチして大まかな戦況を確認するスキルを使用可能にする拡張チップである「フェアリーアイズ」を所持している。
「プランなんて最初からないよ。ただし、私が取るべき行動は決まってる」
フェアリーアイズを発動させると心の中で念じると、私の肩に止まる形で白く光り輝く小さな鳥類が1羽現れた。現実でも「雪の妖精」と例えられる小さくて可愛らしい鳥は、こちらを見て首を傾げている。
他ゲーのマジックポイントのような概念のAPを追加で注ぎ込むと肩に乗っているシマエナガは1羽ずつ増殖していって、串団子に団子を追加するように真っ直ぐに列を伸ばしていく。そうして6羽になったところで、集まった妖精に号令をかけるのだ。
「敵の位置と建物をサーチして。ここから北の方角を重点的に」
私の号令を聞き届けた妖精部隊は散り散りに飛んでいき、プレイヤー全員が使うことができる地図をホログラムボードとして表示できるスキルの「ガイドマップ」を使って地図を見てみると、北に向かって現在の状況が逐一更新されていく様子が分かった。
なぜ北の方角を重点的に調べるかというと、単純に「マーケットスクエア」が街の北側に存在するからだ。そして、妖精の眼から見えてくる世界は私の楽観的なプラン構築を崩させるのに十分な物だった。
妖精たちは敵の位置を地図上に赤いピンを差して教えてくれる。つまり、北側のビル群や市場の外側が一面赤いまだら模様になっているということは、かなりの数の敵がひしめいているわけだ。
悪い知らせはもう1つ。市場付近や市場から少し離れた地域の赤ピンは小粒なのだが、「私から少し近い場所に特大サイズのピンが立っている」ということだ。
飛んできたトゲのサイズから襲撃者の姿形を見ていなくても大きい存在なのは理解していたのでそちらは答え合わせにしかならなかったが、同時に私の目的地であるマーケットスクエアに向かう最短ルートにどデカい怪物が鎮座していることも証明されてしまったのだ。
まあ、そもそも市場が包囲されているので戦闘は避けられない。
それが嫌なら戦わずに、混乱が収まるまで安全な場所まで逃げてぬくぬくと過ごすのも悪くない選択肢だろう。
私が隠れて状況を探っている間に、夥しい物量の混乱の最中にもほんの少しの秩序と安息が生まれつつあるようだ。
私の前を通ってビルの内部へと逃げ込むことに成功したプレイヤーも徐々に増えてきているし、勇敢かつ愚かにも脅威に対して正面から立ち向かうことにしたプレイヤーの大半は死んでしまっている。
狂乱に差し込んだ秩序の光を手にしたプレイヤーは逃げ延びて、掴めなかったプレイヤーは死の沈黙という一時の安息を手に入れたのだ。
このまま此処に立ち止まっていれば後者の仲間入りだ。そう思って視線を地図から外すと、1人の人物と目があった。
幼い子供のような体格に似合わない巨大さの皮革製のバックパックを背負った少女は、私たちと違って本物の兎の耳をしている獣人であった。動きやすそうな革の半ズボンとパーカー付きのトレーナーの組み合わせを見る限り、彼女は戦闘員の類には思えないほど軽装だ。
彼女は鮮やかな青色の瞳で私の目をじっと見つめ、じっくりとこちらの動向を観察している。
「同胞さん、結構死んだよ。きみ、逃げないの?」
彼女の質問に対する格好いい答えは何一つ持っていない。だから、ありのままの感情を吐き出すのだ。
「友人と待ち合わせしてる。この先の、――戦場で」
名も知らぬ薄茶色の髪をした少女は質問の答えを聞いて、少し考え込む様子を見せてからこちらに向かって右手を差し出した。
「わたし、ネレカドラ・ファミリーで武器の運び屋やってるミレニカ。最悪死んでもいいなら、手をちょうだい」
私は差し出された右手に自分の右手を重ね、お互いに手を握り握手を交わす。彼女の手は身に付けた革手袋でゴワゴワとしており、手を握る力は子供のような外見に見合わない程に力強かった。
握手が終わると、彼女は「ついてきて」と一言だけ口から紡ぎ、ビルの上階層を目指して建物内を進んでいく。階段スペースの階層表示が10階になったところで階段から離れて怪物が見えるであろう方向へ向かい、外の様子を伺うことが可能な広い部屋へと案内される。
元々はオフィスだったのか、錆びた金属の机が並んでる部屋である。そこには黒いコートを着た2人組の先客が居て、男女2人組のうち屈強な男性と思われる人物が狙撃銃のスコープ越しに外の様子を確認していた。
思われると濁したのは、彼が獣人であるからだ。詳しく述べるならば、ミレニカのように人間の姿に動物の耳が生えたという外見ではなく、頭部が狼そのままの獣であるというべきか。
もう片方の女性は頭部から狐耳の生えた若い女性であり、私と比べると一回り背が高いので現実世界の感覚ならば歳上の女性なのだろう。
「ガラディオ……と、レネットお嬢さま。武器とイイ顔の、届けに来たよ」
レネットと呼ばれた女性はこちらをちらりと見て、視線で離れた建物の下で蠢く禍々しい花を見るように私たちを促す。
視線の先では、人間を花の内部に詰め込んだら10人は平らげられるだろう大きさのラフレシアのような花とその花の根元から蠢くツタ、という外見の怪物が地面に根付いていた。怪物はトゲを花の内側からツタで取り出して、せっせと慌てふためくプレイヤー目掛けて投げている。
そして、怪物を囲んで奉るように、頭部が植物に侵食されたゾンビとも言うべき人型の異形が大量にたむろしているのが見えた。
「うーん。試しにちょっと撃ってみたけど、アレって周囲の取り巻きから信仰的な物を集めて硬くなる厄介な化物みたいでね」
レネットがそう口にした直後、ガラディオが狙撃銃の引き金を引いた。だが、撃たれたはずの怪物は傷一つ負うことはなかった。
そして、自意識過剰な見方をすれば、怪物はこちらに対して挑発的な態度を取るようにただウネっとしている。
その様子に彼女はうんざりだと言わんばかりの表情をしながら自身の黄金色の髪を指でいじり、灰色の狼は大きな溜め息をついて顔を大きな手で覆う。
「お嬢さまが出てくるの、もしかして人手足りない?」
ミレニカの質問にレネットは苦々しいという表情をしながら、ゆっくりと首を縦に振った。
「そう、ウチが出るくらいには足りない。白兵戦向きのアームズの連中は別の化物たちで手一杯だし、ファミリーのほとんどは市場の支援に回してる」
ミレニカがバックパックから取り出した干しブドウを受け取って口に運びながら、レネットは怪物を睨んでそう言った。
彼女たちは言葉にしていないが、怪物の周囲を観察していると北側から人型の異形たちが集まってきているのが理解できる。
異形たちを誘引するという特性だけで厄介極まりないのだろうけど、異形たちを生み出す親玉のような個体が周囲のビル内部に潜んでいる可能性がある、という話もレネットから聞くことができた。
ミレニカが運んできたロケットランチャーを使えば、怪物の周囲をまとめて焼くことはできる。けれど、それだけでは致命打を与えるには火力が不足しているのだ。
「ビル内部を彷徨う雑魚敵も含めて取り巻きを排除する」ことが勝利の前提条件であり、取り巻きを排除するためにロケットランチャーを使い切ってしまうとトドメの一撃に難儀することになる。
「ただ」。そう言いながら、レネットは怪物から見て南側に陣取って防戦に徹しているプレイヤー集団を見る。彼らはスキルを使用して飛んでくるトゲを弾いてるようで、先頭に立っているのはゴスロリ衣装の女性1人と歩く骸骨の僧侶4人である。
その背後に数えるのも億劫な数のプレイヤーたちが群れをなし、逃げることもなく様子を窺っている。
「あの大群が敵に突っ込んで片っ端から狩ってくれると助かるんだけど……」
なるほど。それならば「まだ」簡単かもしれない。
「人違いじゃなければ彼女たちを動かせる、かも」
私の言葉を聞いた3人の視線がこちらに集まった。この感覚はあまり心地の良いものではないが、仕方ないことなのだろう。
私はシステムメニューを開き、扇動する準備を始めた。