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【2−3】

 アンデルニーナの中心街は廃墟の高層ビル群を無秩序に改築して作られた場所である。


 廃墟ビルの壁は小綺麗に整えられているものの、窓ガラスは一部の建物を除いて割られているか取り除かれていてあまり存在しない。

 ビルの低階層では様々な商店が入居しているようで、ビルの出入り口にはちらほらとテナント情報を書いた紙を貼り付けた木材のスタンド看板が置かれていたりする。

 車で走行すると腰を痛めそうなほどにでこぼこなアスファルトの道路から頭上を見上げると、星が輝く晴天と空を隠そうとする木材の吊り橋たちが視界に入ってきた。

 吊り橋の設けられた高さはまちまちだが、他のビルへの移動を円滑にする役割があるのだろう。そして、本来は想定されていないだろうが、純粋無垢なプレイヤーを怖がらせるという仕事も黙々とこなしている。


「ねえ、カログリア。思ったより市場が遠いんだけど、なにかいい移動手段はない?」


 一応、期待はしていなかった。カログリアは確かにグリモワールという名称のゲームに用意された存在だが、カラスに会話を期待するというのは無茶という物である。

 しかし、カログリアが短く一鳴きして私の肩から私の伸ばした腕2つ分ほど離れた距離の地面に降り立つと、彼女を中心に白い羽が舞い上がって人の形を成した。


 人型の彼女の第一印象は、概ね彼女に与えた名前の通りだった。名前に見合ったものでないといけないとは特に思っていなかったが、修道女カログリアの名に負けない服装をしている。

 汚れ一つない純白のベールの奥からは、ベールと同じような雪白の色をした瞳の上半分を隠す程度の長さの前髪が見え、髪色と対比するような暗紅の大きな瞳がこちらの様子を伺っている。白いローブ状のワンピースの肩から袖の先までは金属の光沢を放つ黒色の糸で刺繍が施されていて、刺繍はそれぞれ鳥の羽の形をしているようだった。

 ワンピースの裾はふくらはぎの高さになっていて、それに加えて艶のない黒で塗られたブーツを履いているのもあり、足元の露出はかなり控えめになっていた。

 確かに修道服がベースの服装だ。しかし、修道女として見た場合にはあまりにも目立ちすぎで、教義次第では不敬かつ不遜な格好に違いない。不透明な純白のベールは修道女の物より婚礼用のドレスに付いてくるそれに雰囲気は似ているし、そもそも本物の修道女は髪をベールの内側に隠すように身につけるとも聞く。


 そんな彼女は右腕を私に向かって真っすぐ、かつ地面と水平になるように伸ばし、右手をぐっと開いてこちらにかざしてきた。彼女が私に手をかざすその様は他人にはどこか神聖的に映ったかもしれないし、大半は何も思わなかっただろう。もしくは微笑ましいとでも思ったのかもしれない。

 小さい、幼い、背が低いとでも言うべきだろう。

 掲げられた手は私の肋骨の真下から拳1個分上の高さに存在し、彼女が私より頭1個分ほど背が低いことを示している。私の身長が同じ年齢の人より平均より少し低いことを考えると、彼女が決して大きい体格ではないことが読み取れる。

 だから私はその手の前に、自分の手のひらを上に向ける形で左手を差し出した。


「この世界は、望む者にはなにかを与えるの。でも、望まなければなにも満たしはしない」


 彼女がそう言ったとき、彼女の手の前方に鳥の広げた片翼をデフォルメ化したマークが内側に配置された、正方形の形をしたアイコンのホログラムが前触れもなく現れた。

 ホログラムに人差し指で触れると、眼の前のスキルツリーの詳細とこのスキルツリーを取得するかの選択肢が浮かび上がる。


 このオブジェクトが提示しているスキルツリーの名前は「双子星の集約」であり、乱暴に概要をまとめてしまうなら、「他のオブジェクトに騎乗する、もしくは他のオブジェクトに騎乗されること」に対する基礎的なスキルや各種ボーナスを習得できるスキルツリーのようだ。

 騎乗する……は理解できるのだが、騎乗されるはいまいちピンとこない。


 しかし、辺りを見回してみると機械のアームが付いた小さな砲台を両肩にそれぞれ乗せた大男が歩いていたり、少し上を見上げてみれば機械の鳥に肩を掴まれたプレイヤーがビルに激突して鳥もろとも青白いエフェクトを残しながら消滅しているので、「騎乗される」というのは自分の上にオブジェクトを重ねることなのだろう。


「つまり、この提案に乗れば君の上に乗るか掴まることで高速で移動が可能と?」


 彼女は私の問いに無言で頷いた。そして、仕草で肯定したあとに何かを言いたそうに目を瞑る。

 何を言いたいかはなんとなく予想できた。私はこの目で思わず口ごもるその理由を見てしまっている。


「……絶対に安全なのかは見た通り。あなたの熟練値が鍛えられるまでは、問題は多分起きちゃう」


 街中をいきなり飛ぶのは危険である。そんな意味を込められた言葉であるのだが、高速で移動できるのならば決して悪い賭けではない。

 それほどまでに我が御友人のご機嫌を損ねると厄介なのだ。

 彼女は激昂するだとか暴力で訴えるなどのぶつけ方はしてこないのだが、とことん私を可愛がりつつ隙あらば飼い猫のように甘えようとしてくるのだ。


 私は……別に構わない。でも、彼女は場所や状況を顧みずにそれを実行するぐらいに周りに無頓着な部分が少なからず存在する。他人が見ていようと関係ないと言わんばかりの行動に、私は稀に悩まされてきた。

 更に述べるなら、他人が見ていようと気にしないどころか他人に見せつけるような行動をすることもある。


 今回の致命的失敗の対価は前者の視線を配慮しないという結末になるだろうが、彼女に他人の目を考えろと説得を試みたら最後、恐らく後者のフェーズに移行する。

 徹底的に可愛がることで私に羞恥心を生み出すという罰を行う……わけでもなく、彼女にとってはただただ可愛がりたいから可愛がるだけのことなのだろう。


「リスクは構わない。今は時間だけが重要」


 私の言葉を聞いたカログリアは突き出していた手のひらをくるりと上向きにし、私に空中に浮かぶアイコンを差し出す形に手の形を変えた。そして、私の目をじっと見つめながら言葉を投げかけるのだ。


「なら、受け取って。掴むなり、突付くなり、摘み上げるなり。願いを込めて、あなたの形で」


 彼女の言葉にカラスの声が重なって聞こえる。それは神ではない者からの託宣であり、世界に紛れ込んだ福音であり、また運命の分岐点を告げる声だった。

 宣告に従って私は自身が招いた事態からの救済を願い、眼の前に浮かぶ業の欠片を握りつぶす。

 アイコンは私の手中で粉々になり、握りしめた拳から漏れ出した欠片は現実世界では見たこともない文字らしき形状の青いエフェクトとなって私たち2人を囲んで周囲を回り始める。


 文字の渦はやがて私の握りしめた左手に集まり、渦が収まると私の眼前の空中にホログラムのボードが現れて、スキルツリー習得の結果が表示された。


 スキルツリーの名前は「双子星の集約:隠し月」。彼女に提示されていたスペック表と比べると騎乗時の機動性能に関するスキルがいくつか削除されている代わりに、ハイド状態に関するスキルが消えたスキルの位置に追加されていた。

 また、入れ替わったスキルとは別に新規スキルも増えており、「一身術:基礎」となっているスキルを取得すると騎乗状態かつ装備品扱いで自分自身にグリモワールを装備することが可能になるらしい。


 よく分からないスキルを考えなしに取るのは詰みかねない、理性と打算はそう忠告する。しかし、本能と好奇心と衝動がスキルを取ることに賛成してしまったため、理性陣営は惜しくも1票差で多数決に敗北してしまった。


 3ポイント保有していたスキルポイントの1点を「一身術:基礎」に振り分けると、その上位スキルである「一身術:応用」へ続くラインの途中から下部に分岐する形で新たなスキルアイコンが取得済みの状態で現れる。そのスキルの説明文に従って、一身術の初回使用に必要な詠唱を行う。


「移ろい、溶けて、形をなせ」


 次の瞬間、私の心臓は時を刻むのを数秒ほど放棄した。簡単に言ってしまえばびっくりして心臓が止まるかと思ったということだろう。

 私の言葉を聞き遂げたカログリアの全身が水銀になったかのように溶けて空中で人の頭部程度の大きさの銀色の球体となって浮かび、それから私の足首と頭上に向かって球体の表面から細い銀の橋を伸ばしてきたのだから。

 この切り取られた一瞬を、半端なホラー映画よりたちが悪い恐怖を思う存分に与えてくる変身シーンであると私は評価した。


 銀の橋が両足に巻き付く。頭部を喰らうように纏わりつく。

 足首に巻かれた銀はそれぞれに宝石が1つずつはめ込まれた1対のアンクレットへと変化し、それらが彼女の双眼であると主張するかのように、古い血液のような深い色の宝石が鈍く輝いていた。

 頭部を覆おうとしていた銀は肩の高さまでを隠せるぐらいの丈のフード付きケープに変わり、ケープを構成する純白の生地は内側からは透明なガラスかのように外の景色を透過している。


 スキル「偽神の衣装」によって与えられた彼女の姿は、確かにスキル名通り嘘つきであった。

 私はフードの側頭部から垂れ下がるとある動物の耳を模している綿の詰まった意匠を、もふもふと右手で摘みながら感触を確かめ、恐らくこの姿でも言葉を発せられるだろう彼女に優しく冗談交じりに詰問する。


「カログリア。君には鳥としてのプライドや自覚はないのかな?」


 彼女は少しの沈黙を挟んで、私に向かって正論の火で真っ赤に染まった焼きごてを押し付ける。


「携帯端末が鳥に変わったのだから、別にウサギに変わっても違和感はないでしょう。それに、どちらも1羽だもの」


 反論する隙がない理論武装だ。ぐうの音も出ないもっともな意見だ。常識を捨てきれない私の黒星だろう。

 悔し紛れに反論する材料を手に入れようと思考の海に潜水していったのだが、世界に轟音が響き渡って何も得ぬままに海から引き戻される。世界は音の大波に揺れ、高層ビルの森を生暖かいそよ風が吹き抜けて、周りを歩いていたプレイヤーは何事かと混乱して雛鳥のように狼狽えては姿が見えぬ親鳥に救いを求めた。


 私は異常な人間だ。スキルツリー画面を開いてハイド状態を強化するスキルである「月影渡り」に2ポイント残っていたスキルポイントの1点を割り振り、混乱する群衆の隙間を縫って走り、たどり着いた先の建物の柱の影に隠れる(ハイドする)

 空気が読めないとはよく言われる。混乱する大多数がオーディエンスであり正常であり、過剰に反応して1人だけ隠れるのは異常者か不審者でしかない。

 でも、人間の感情には疎い分、直感というどうでもいいものは鍛え上げられてしまったのだろう。いつもプレイしていたゲームのように、私は「第一村人」の目撃者になってしまうのだ。

 特定ジャンルゲームの用語だと分かりづらいものだから、我が友人がこの場に居ればこう呟いていたかもしれない。「クルミの硬い殻が割れた」、と。


 予めいくつもの穴が空いていたクルミの中身は、大体の予想が付いていた。例外があるかもしれないと疑っていたのだが、自覚なき犠牲者の無意識による献身により、この世界の「遊戯者の死は青白い」ことが私の眼の前で証明されたのだ。

 斜め上から飛来した金属質な黒い光沢を放つ人の腕ほどの長さの太いトゲは最初の犠牲者の頭を貫き、トゲは勢いを殺されぬまま地面に突き刺さった。


 名も知らぬ興味も惹かれないプレイヤーが死ぬことにより、私のゲームがここから始まったのだ。

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