【5−AI】第1楽章−ダイジェスト
眼の前の少女はにやりと笑う。感情を自然に露出しているように見えて、よく見ると機械的な作られた笑顔だ。
「君はいつも変わらない。いつも、楽しげに笑っている」
黒髪の少女は、私の言葉に抑揚が薄い口調で淡白に受け答えする。
「ええ、私はそういう存在なので。ご不満ですか?」
特に異論はない。だから、私は首を左右に振りながらテーブルを挟んで彼女と向かい合うように椅子に座る。
場所は、いつも通りの古い廃工場の中心。正確には廃工場を再現した仮想空間の内部に存在する、打ち捨てられた大きな機械やベルトコンベアがいくつも放置された空間。
現実ならば、かつて従業員たちが歯車となって働いていただろう、地獄のような単純作業の執行場だ。
その執行場の中心に空いたスペースにテーブルと2脚の椅子が配置され、テーブルの上には菓子パンの袋やインスタント飲料の箱が雑多に積まれていた。テーブルから少し離れた場所にある動かないベルトコンベアの上には、電気ケトルとマグカップの姿も確認できる。
本当にいつも通りの、私のオーダー通りの配置だ。
「あんぱん、食べます?」
歯車の人たちが虚無の深淵に落ちながら胡麻を振り掛けたであろう犠牲の結晶をこちらに差し出しながら、少女の姿を持つAI――カルディアが私に問いかけた。その問いに対する答えはただ1つ。
「私はコーヒーだけでいい」
彼女は笑う。
「ええ、いつも通りの選択ですね。貴女らしいチョイスです」
インスタントコーヒーの粉を手に取ってベルトコンベアに向かい、マグカップに粉を入れてケトルからお湯を注ぐ。コーヒーの匂いが濃厚な苦みを漂わせていて、作業に向いていそうな深煎りのブラックコーヒーであることを示している。
「では、始めましょう。因みに、負けて萎え落ちしました?」
答えは「否」だと思う。私は首を左右に振る。
ロードにトドメを刺されてリスポーンしたあと、私はリリウムにあるメッセージを送って、ゲームをログアウトした。
メッセージの内容は、「シンフォリカ・ブランディスを知っていますか?」というだけ。
現実世界の端末に対してリリウムから届いた答えも、私と同じで短い文章だった。
――マスカレード。そう言えば、貴女は彼女が誰なのかを理解できるはず。
その答えが示す人物は、恐らく彼女しかいない。
色々なゲームでたまに私たち4人に混じる形で支援役としてやってくる、仮面を付けた一人称が「ボク」の女性。
彼女はルルの前でフルネームを口にされるのを嫌がるので、ルルの前ではみんなからただ単に「仮面さん」や「マスカレード」と呼ばれている。
グリテル内では彼女とまだ接触していないが、彼女の仕事も直に落ち着くはず。だから、出会うのは時間の問題だろう。
けれど、そんなことをカルディアに質問しても、彼女は「知っているのに」答えを言わないだろう。
カルディアがクスクスと笑う。
「しかし、見ていて滑稽でしたよ。いきなり一方的に神明裁判を始めて、逆に審問官の方が死んでるんですから」
いつも通りのコーヒーが、いつもより苦い。言葉のエッセンスが私に苦みを与えている。
「いまの私は君に感想を求めていない」
「ええ、そうでしょうとも」。私の言葉に、彼女は特に異論を口にせずに同意する。
「ではでは。貴女の予定通りに、その“軌跡”をまとめましょうか」
◆
まず、貴女は「グリモワール・テイル」というゲームをプレイすることにした。ゲーム内容は「不公平で不平等が謳い文句のVRMMO」で、開発者視点では本来ならばMMOではなくオンラインゲームとだけしたかったゲームです。タイトル名が長いので、皆さんからは「グリテル」と略されることが多いのでしたね。
始めることにした理由は、……確か友人である“イチゴ”さんに同調したから。それで構いませんね。
――ああ、そうですね、うっかりしてました。貴女の意見は、何か否定したいことがあったとき以外、必要ないのでした。
私から見た視点で貴女のことをまとめて、貴女に語ること。それが私に求められた“プロンプト”なのですから。
ゲーム内のアバターは、以前プレイしていたゲームからの流用。黒髪で青い瞳の、ベールを付けていない修道女の服装です。確か、このアバターは貴女の親愛なる従姉妹であり義姉である“リリウム”さんを意識した格好でしたね。
彼女はロールプレイに熱がこもると、貴女を「シスター」と呼びますから。公な意味としては「修道女」を指し、同時にリリウムさんの「妹」であることも暗喩する言葉です。
ええ、戻りましょうか。
貴女はゲームの中で、始まりの街と言える「アンデルニーナ」で目を覚ました。アンデルニーナのビルの1つ、窓のない部屋のベッドで目覚めた貴女が最初に出会ったのは、頭部がガラス球でできた、人の形をしている異形の男性。
部屋の唯一の扉を彼の触手で破壊されて入室を許した、そんな衝撃的な出会いのハズだったのですが……。貴女は目の前の「クソ不味いと鑑定結果が出るラムネ」にご執心なされて、彼との出会いはそこまで動揺しなかったようですね。
それから、貴女はその部屋で「グリモワール・テイル」における、「貴女だけのユニークキャラ」である「グリモワール」と邂逅するのです。彼女に貴女が名付けた名は「カログリア」、修道女の意味を持つ言葉です。
グリモワールはプレイヤーの相棒、もしくは武装と言うべきでしょう。「祈り手」である遊戯者のための執筆者、彼はそうも言ってましたね。
……そして、彼からゲーム世界の物語を聞くことになる。
あらゆる意味を与えられた最初の落星、落星がもたらした地獄、人々の抵抗の物語。それらは夜が明ける前を示す、民草が記した破滅への叙事詩。
そして、明けぬ夜はない。星の贈り物「スターレガシー」、異世界からの民、最初の流星で生まれた次元門への反撃。
世界は始まったばかりなのに、ゲーム内世界の歴史は確かに存在していた。開発者さんもそこまで設定するのは大変だったと思いますよ。
アンデルニーナは、一言で表すならば廃ビルの森。ビルとビルを繋ぐ吊橋はクモの巣のように、道行く人々は様々な輝きを秘めて。とても平和でしたね。
……それまでは平和だった。そうですね、過去形になってしまうのですが。
貴女は人の姿になったカログリアからスキルを貰っていました。彼女は鳥の姿のときは全身が白いカラスなのですが、人の姿を取るときは白き髪と黒みを含んだ赤い瞳が特徴ですね。
スキルを取ることにした理由は、「友人との待ち合わせに遅れそうになった」から。……ああ、そうでした。
遅れそうに”なった”ではなく、遅れることが”確定した”からでしたね。
その直後、プレイヤーを含めた民衆が、怪物の襲撃を受けることになるのでした。後々分かることですが、植物に寄生されたゾンビの異形と、その親玉のラフレシアの形をした化け物が襲撃者でした。
貴女は襲撃直後の混乱に巻き込まれる前に、“物陰に身を隠す”ことを選択した。私は賢い選択だったと評価しますよ。その結果、貴女は生き残り、ウサギ耳の獣人の少女“ミレニカ”に導かれて戦乱に身を投げる英雄になれたのですから。
私は英雄ではない、ですか。けれど、英雄とは名乗るものではなく、気づいたらそう呼ばれていた人を指すかもしれませんよ。
以前プレイしていたゲームで、貴女は“ロキ”――自身の叔母を裏切った。彼女とその配下が「光輝の神」を殺すことを遅らせ、結果的に姉のリリウムに勝利を手渡す英雄の「ラタトスク」となったではありませんか。
けれど、いまはその話は蛇足ですね。
貴女はネレカドラ・ファミリーのボスの娘である狐獣人の“レネット・ネレカドラ”、その配下の狼獣人の“ガラディオ”とミレニカと協力することになった。ここで幸いだった要素は、自分たちとは別に、怪物に抵抗しようと様子見していたプレイヤーの集団が存在していたこと。
そして、その集団の先頭にリリウムが立っていたことでしょう。
貴女は動画配信プラットフォームの「ランプアイ」を介して、リリウムに接触した。そして、戦場を突き動かした。
そういえば、貴女は自分が不器用ゆえに孤独であると思っているような言動をしますが、実際には様々な方に支えられています。義姉であるリリウムも、彼女のバディである"フォルマイカ"――「相棒さん」も、この事件の中で貴女に協力してくれているのですから。ロキさんは……協力というより便乗かもしれませんが、彼女も貴女に悪い感情は抱いていないはずです。
それに、ラフレシアの怪物によって致命傷を負ってゾンビの異形に追い詰められた貴女を助けた、貴方と親しい彼女も忘れないであげてくださいね。現実ではイチゴと呼ばれている“ルルベリス・パーガス”、貴女の最も愛する御友人を。
事件の後は、平和でしたね。事態を収拾した報酬として贈られた、「ネレカドラ・ファミリー」からのクーポン券を片手に、市場で大きな買い物をしていますから。
……クーポン券ではなく「弾丸」だった、と。用途は変わらないので、分かりやすくクーポンという認識でいいと思いますよ。
買った品物は、ゲームシステム的に“マイワールド“と呼ばれる空間に関するアイテムでした。そこで、貴女は“ライブラ“と呼ばれる存在と出会うことになるのです。
後に貴女から「ミニストル」と名付けられる彼女は、天秤の神から生まれ落ちた分体の1人。以降、貴女は「スミス・キューブ」というアイテムを通じて彼女と対話し、戦況に応じた支援を受けることになりましたね。
それから、貴方は現実世界の仕事と遊戯を楽しむためにログアウトした。といっても、すぐにゲーム世界に戻ってしまいましたが。
ログインした貴女はルルベリスさんと行動し、朝を迎えた頃にリリウムと相棒さんに合流して、とある作戦に参加することにした。
作戦名……、と言えるものは決めてなかったんでしたね。
まあ、作戦の中身は単純でしたね。“フィムレル鉱山“と呼ばれるマップに存在する“アビサルホール“という地域を、“アビサルスローンズ“と呼ばれる乗り物で進むというもの。乱暴にまとめるなら、採取をメインにした調査です。
貴女はパーティーの給仕役として参加し、他の3人に加えてスローンズに随伴していた“無尽兵団“の兵士をバックアップする役割をこなしていました。
確か、無尽兵団の中で貴女と一番親交があったのは“レニアス“と呼ばれる少女でしたね。
そして、アビサルホール内でリリウムさんが図った通りにワームの怪物と接敵した。しかし、当初予定していた怪物とは違った性質の怪物で、少しばかり苦労をしたようですね。
けれど、アビサルホール内で運命的な合流をした他の2つのパーティーとともに、ワームの皮を被った機械――“ワームイーター“を撃破した。
アルカ・ドルネ、コンゴウ、メルドリーテ。それと……1人だけ名前が分からないプレイヤーさんも居るようですね。その方を含めた、8人は勝利を手にしたのです。
そして、貴女は戦いの後に“アンカデラ“という街に到着し、なんの因果か街の領主と殺し合いをすることになる。
本当に、貴女達はなんで戦ったんでしょうね。強者と殺し合いたかった、お互いに人殺しできそうな顔をしていた、なんとなく楽しめると思った。
色々言い訳はできそうですが、もう少し知性を持った判断をしてほしいものです。
そして、戦いの最中に、貴女は「シンフォリカ・ブランディス」という人物との記憶を取り戻した。
……戦い自体は負けてしまいましたし、パーティーメンバーも1人を除いて「賭け事」に負けたようですが、収穫はあったのではないでしょうか。
――ああ、記憶を取り戻したのはいいけれど、ですか。
義姉に……、それから最も愛していたはずの友人に、「殺意」を抱いていたのかもしれないという話でしたね。
彼女たちと接していたときに心に流れ込む温かい気持ちが、「殺意」であると思ってしまったと。
そうですね……。私は残念ながら人工知能なので、人間の感情は積み重ねられたデータによって推測することしかできません。
ですが、恐らくその感情の本質は「殺意」ではないと思いますよ。
いまの貴女は、記憶とともにあらゆる物が抜け落ちた存在です。そして、記憶の一部を取り戻したとはいえ、所詮まだ一部です。
よって、貴女のその“殺意“は「錯覚」、もしくは感情が不完全ゆえの「倒錯」であると判断致します。
殺意と断定するのは早計です。理論的に感情を分解し、真実を獲得することを目的とするべきです。
ああ、1つだけ貴女に伝えることがあります。
メッセージが届いているのです。
真理の探求を、彼女がみっちり手伝ってくれるそうですよ。
永遠の狂人、シンフォリカ・ブランディス。愛情すらも解剖して、骨だけの骸となった感情の残骸を白日に晒す探求者。あらゆる理知に魅入られて狂った、貴女の心強い先輩が。




