【4−2】
ロードが私の身体を貫いている腕に力を込め、私は宙に持ち上げられた。
私が負傷した部分に現れた、「掟の鎖」の効果による時計のエフェクトは、彼によって私が致命ダメージを受けたということだ。
無敵時間があるうちに状況を打開しないと、腕が貫通していることによる即死ダメージを繰り返し受けることも教えてくれている。
「つまらぬ手加減など要らぬよ。我らも本質は無尽ゆえに、のう」
ロードのその言葉で、私を厳しく縛る枷が1つ、音を立てて吹き飛んだ。
彼とは半分本気で殺すつもりでこうして対峙した。だが、もう半分の理性は、NPCの喪失を無闇に引き起こすべきではないと歯止めを掛けていたのだ。
そこで殺しても問題ないと言われてしまえば、肉塊になるまで相手を潰すことになる。
手加減など要らない。その言葉は私にとって素晴らしい助言だった。呪いのように染み渡る言葉のせいで、とある狼の神話のように私の「深謀」という名の最後の鎖はその役割を失ったのだ。
だから、激情と本能に身を任せて、インベントリから取り出した拳銃を素早く構える。黒い結晶に変質していたロードの額に向けて――迷いなく引き金を引いた。
銃口から青い閃光とともに銃弾が撃ち出され、銃弾がロードの額から変質した表皮の一部を削る。その衝撃で、一瞬だけロードは思考を逡巡させた。
「行動の取捨選択」。それを行う彼の隙を逃さずに、私は足でロードの胸部を思いっきり蹴りつけた。そして、勢いに任せて自分の身体からその手を無理矢理に引き抜く。現実ならばそんなことをしても傷は塞がらないので死からは逃れられないが、こうして「再起動」できる能力があるならばまだ立て直せる。
フラッシュ・ステルスを使いながら彼から距離を取ると、彼は私を見て、にやりと笑った。
「いい顔だ。人殺しの表情を隠していたが、嘘が剥がれ落ちて更に良くなった。心から楽しんでいる顔ではないか」
その言葉に、視界が揺れる。酷く、頭が痛む。
――君もボクと同じだよ。ゲーム内で自分や人をいたぶることで自らの価値を確かめる、快楽殺人鬼の狂人だ。
揺らぐ意識の中、誰かの言葉が脳内で反響する。
だからこそ、ボクは君が気に入ったんだ。ねえ、「あなたを愛してる」なんて言ってみたら、君は動揺してくれるかな。記憶の中の彼女はそう言った。
……でも、違う。私の記憶が正しいならば、「お前は他人を感情だけでは愛せない」。
だから、刻み込もうか。君に忘れられたくないから、心に永遠に消えない傷が残るまで、……ボクは君を殺し続ける。彼女はそんな言葉で愛情を告げた。
あの日は、その言葉の終端を合図にして、私たちはゲームの中でお互いに気が済むまで殺し合ったんだ。
……そうだね、シンフォリカ。君の願い通り、私に付けられた傷は失われなかった。だから、こうして私は君の名前を思い出したんだ。
――ああ、我が親愛なる永遠の狂人「シンフォリカ・ブランディス」。よき友である君の名前と、私の過去の一片を、やっとこの手に取り戻したんだ。
意識がはっきりとしてくると、視界が以前より明瞭な輪郭を持っているのが分かった。記憶を失ってからずっと霧に覆われていた思考が、己の鼓動に従うように規則的に演算を開始する。
演算すべき勝利条件は、彼を殺すか満足させること。取るべきアプローチは武力行使の一択。観客は余るほどにいて、みな私たちを見ている。
役者の帰還を祝うには最高の舞台。最高の、――グランギニョル。
でも、これはゲーム。生と死が交差する瞬間は、「神聖なる喜劇」のように美しく悲劇的で、役者たちの哲学に満ちていなければならない。
だから、理不尽な劇が始まる。
「ロード、異端審問を始めましょう。死んだら貴方は罪なき善人です」
ロードの口元が微笑む。悪意なき、侮りの表情で。
「ならば、生き残ったとしたら?」
彼の言葉に、私の顔は悪意に満ちた狂信が張り付いて歪んでいたことだろう。
「それは大丈夫。絶対に殺すから、貴方が悪人として生きることはない」
魔女は溺れない。溺れた人間は、ただの罪なき犠牲者。だから、私は白銀の鉄槌をもって貴方の罪を試し、決して罪は背負わせない。
私の前にスキルアイコンが浮かび上がる。それが、神判の合図。
「カログリア、仕事の時間だよ」
手元に残っていた小剣――黒渦を地面に捨て、神聖なる銀色で輝く戦鎚に姿を変えたカログリアでアイコンを粉砕する。
戦鎚の形が徐々に変貌していく。槌頭は打撃に適したハンマーから、カラスの嘴のように残酷なピックとなり、罪を存分に抉り取れる形に変わったのだ。
「デュアル・フェイス」も狂信の果てに穢され、スキル名と効果が別の物に入れ替わる。
「【ユーディキウム】、開始」
ウォーピックを一度振り、重さと重心を確かめる。それから、自分の背後で刑具を携えて立つ一対の影から私の右手の指に、魔術的な糸を接続した。
罪を焼き払う炎の影は、赤熱した硝子の槍を投擲しようと構える。罪を流し尽くす水の影は、毒の水で満ちた杯を空に掲げて宙に浮かぶ水球を生み出す。私の足元ではアンクレットから伸びる白銀の荊がブーツを覆い隠し、荊が放つ悍ましい熱をもって私を苛み戒める。
どちらも、それぞれ黒渦が変化して生まれた水晶の異形。光を反射する水晶が人の形を持った、無貌の神判執行者。
――勝利は神が宣告する。ゆえに、私は熱を帯びる鉄靴を履いて踊ることしか神に赦されないと告げる。そして、自身の死さえも演劇に昇華せよと観客が乞い願っているのだとも。
その証拠に、観客の街人と私の仲間たちはその手に賭けの内容を記した紙を握り、私とロードの勝利と敗北を好き放題に望んで叫んでいる。
「仕切り直しだ。楽しもうよ、ロード」
お互いに醜く笑う。彼は私に手をこまねいて挑発し、私はただ愚直に挑発に乗るだけ。
油断を殺して、無駄な葛藤を殺して、彼を破滅させる。それだけがいまの私の望み。……あとは、ただ目の前の強者に膝をつかせてみたいという好奇心もあるのかもしれない。
――走りながら糸で合図をする。水の影が自身の水晶の体から毒を生み出しながら、私を追い抜く形で彼に疾走する。
そして、少し体勢を屈めた私の頭上を炎の影が放った槍が通過し、彼の右腕に当たった。
当たった槍が突き刺さることはなく、彼の腕と手を覆うように溶解した硝子が纏わりつく。けれど、私はそれで攻勢の手を緩めるほど優しい人間じゃない。
何度も何度も、ロードに槍をぶつける。その間に、水の影は彼との距離を詰め、やがて彼に肉薄して彼に毒に濡れた手で触れようとした。
けれど、予想通り。――予想通り、ロードは毒の手に掴まれる前に、水の影を拳で破壊しようとした。
結果は、水の影は過去の私と同じように、ロードの右腕で胸部を貫かれて行動を停止する。けれど、毒の水はその肉体から湧き出し、腕から足元まで伝う毒が水たまりを広げる現象は一向に止まらない。
「行くよ、カログリア。好きに貫いて」
ルルから貰った「雷電の小瓶」を、空に放り投げる。小瓶を砕くように横薙ぎでウォーピックと化したカログリアで殴りつけ、瓶が割れた瞬間に「フラッシュ・ステルス」を使って一時的に姿を消す。
そして、殴りつけた勢いのまま私は足を軸に一回転し、適切なタイミングでカログリアをロードに向かってぶん投げた。カログリアは横回転から縦回転に変わり、フラッシュ・ステルスの効果で潜伏しながら彼に死神の一撃を届けようとしている。
多分、ロードから見た世界では、いきなり目前にウォーピックが出現したことだろう。
だから、避けきれなかった。右腕で仕留めた水の影が重荷になって、突如現れたピックに対して右腕を捧げることと引き換えに致命傷を逃れることしかできなかったのだ。
――幾重にも重なる、観客の歓声と悲鳴。刹那、ロードは呆気にとられていた。
しかし、状況を素早く飲み込んだロードは、すぐに愉悦と快楽に表情を歪ませる。
次の彼の狙いは明確だった。腕を刈り取ったあとに地面に突き刺さったカログリアを狙い、私の武器を潰す。たったそれだけ。だから、次の一手は用意してある。
「――カログリア、弾けて」
カログリアは銀色のトゲだらけの姿、銀色のハリセンボンとも例えるべき形に素早く変身する。
そして、本物のハリセンボンのように膨張し、手榴弾の破片かのように針を辺りに撒き散らした。飛散した針を、ロードは涼しい顔でガードもせずにその身で受け止める。
想定通り、ロードにはそんな弱い攻撃は通用しない。……けど、カログリアの針は毒の水溜りに何本も突き刺さった。
雷撃のエンチャント済みの針が、水に触れて真価を発揮するのだ。
針から電撃が放出され、辺りの水溜りを沸騰させる。そうして毒が水蒸気となって宙に舞い上がり、視界を奪いつつ、液体より吸い込みやすい形へと変化するのだ。
「さあ、ロード。楽しもうか」
カログリアの形を針から普段のケープに戻す。ウォーピックの代わりに彼女の余力でメイスを作って、この手に握る。その間にもカログリアに砕かれた水の影は毒の水を生み出し続け、――私の足を電撃と焦熱を同時に纏った荊が苦しめる。
エンチャントはまだ有効で、エンチャント先はカログリア本人。だから、彼女自身でもある荊も電撃を纏い続けているのだ。自傷ダメージこそはないのだけども、感覚が徐々に麻痺してきているので長期戦は期待できないのだろう。
けれど、それも自滅覚悟で決戦を仕掛けるならば好都合。だって、この足でこうして水溜りを踏んでしまえば、ね。
「面白い。毒と暴力、それでどっちが先に死ぬのか試すのか」
私の意図にロードが気付いた。ああ、私が記憶を失ってから今までの中で、これまでにない一番いい笑顔を作れていることだろう。
「多分、私じゃ貴方には勝てない。だから、満足するまで殺し合おう?」
私の足元で発生する毒を含んだ湯気がお互いの視界を奪った。姿見えぬロードの大きな笑い声が響く。
「愉快だ!乗らせてもらおうか!」
視界を遮られた中で先に動いたのはロードだった。彼は私から少し距離を取り、彼の影は姿勢を低くする。確か、あの場所には彼が投げ捨てた両手剣が落ちているはずだ。きっと、それを拾っているのだ。
お互いに相手のシルエットだけは把握できる。ならば、私はそれを利用して戦況を撹乱させるだけ。
魔力の糸を通して炎の影を彼に突撃させ、壊された水の影も再構築した。影たちと私の動作を比べると違和感に気付かれるだろうけど、致命的な「一瞬の隙」を生み出せる可能性はある。
それに、ロードが水の影を破壊する分には毒溜まりが更に広がるだけ。けれど、そうだね。
「ねえ、ラズリア。……大丈夫?」
口元から温かい雫が顎に向かって落ちる。残り時間が少ないという事実を、吐血が鮮明に表しているのだ。
「大丈夫だよ、カログリア。すぐ終わるからね」
別に不思議なことじゃない。周りを漂う毒には敵も味方もないのだから。
だから、もう攻めるだけ。掟の鎖の効果であと2回は死ねるけど、このまま長引いたら、致命打になるのは毒によるスリップダメージだ。スリップ1回分が巻き戻っても、次のスリップでまた死に至る。
なら、腹を貫かれようが、毒で死のうが関係ない。
魔力の糸で2つの影を操りながら、同時に私も駆け出した。先行した炎の影がロードが振るう剣に薙ぎ払われ、続いた水の影が勢いよく蹴り飛ばされる。
最高の隙。メイスを勢いよく横薙ぎに振って叩きつけ、ロードの脇腹にフランジを食い込ませる。
けれど、ロードが尋常ではない筋力をもって振り抜いた剣を切り返し、勢いのまま私の首を刎ねた。これは2回目の死、まだ1回は死ねる。
2度目の無敵時間。今度は両手で構えて、さっきと比べて更に勢いをつけて殴った。けれど、その勢いでも少し深く刺さる程度で終わる。
そして、この無敵時間が終わった瞬間に、剣を投げ捨てたロードの手刀が私の喉元を薙ぎ払い、命を破壊した。3回目の死と無敵時間の開始、ここからは最後の抵抗の時。
カログリアを変化させ、短剣に武器を変える。そして、無敵時間が切れる前に短剣でロードの右目を貫いた。
最後の一突きを喰らう瞬間まで、ロードはその目をしっかりと見開いていた。
「最後の一撃。どうだったかな?」
私の問いかけに、ロードが笑う。
侮蔑、愉悦、敬意。あらゆる感情が混じった満面の笑みを浮かべながら、彼は私の首を左手で掴んで私の肉体を持ち上げる。
ロードの口元と右目からは、赤き血が一筋流れ落ちていた。その赤が美しくて、神秘的で、私の心を掴んで激しく揺さぶった。
「文句なし、素晴らしい決闘だった。故に……」
無敵時間が潰える。もう残機は残っておらず、全ては彼に握られた。
観客の声が途絶え、終演の時を様々な感情を抱きながら見つめている。
「今は誇りを抱いて死ね。強き、人の子よ」
彼は私の首を握り潰した。
視界が暗転していく。パーティーチャットには、リリウムを筆頭に私に賭けて大損した6人の敗北宣言が流れていた。そして、ロードに賭けた相棒さんの一人勝ちを告げる言葉も、ひっそりと流れていった。




