【2―1】始まり
オンラインオフライン問わず、ゲーム開始時にキャラメイクを行うゲームは多い。
キャラメイクが存在しないゲームは、基本的に主人公含めた登場人物の役割や設定が固まっている物が多いだろう。
逆に、キャラメイク有りのゲームは主人公にゲーム側から強制的に与えられる個性は薄められており、見た目や性能を自分好みにカスタマイズしてキャラに愛着を持って楽しむ仕様になっている。
もっとも、個人的な感想ではあるが。
自宅のベッドに寝転がってヘッドギアを被る。
グリテルを起動して最初に没入した世界は、白を基調にした清潔感あふれる寂しい部屋だった。
部屋の広さは私の歩幅で10歩程度の四角であり、その狭い空間の壁際に金属のパイプがところどころ剥き出しになっている質素なベッドが置かれており、私はそのベッドで寝ていた……という筋書きらしい。
部屋に窓はなく、照明は明るすぎない白熱電球が天井から吊るされているだけ。
ベッドの頭側には木製の小さなテーブルが置かれている。また、現実世界だと数世代前に使われていただろうポケットに入れるには嵩張る大きさの黒い携帯端末と、小豆大の大きさの白い錠剤が蓋の下ギリギリまで詰め込まれたガラス瓶が1本、テーブルの中心近くに置かれていた。
2つの物品の少し上には日常的に使うホログラム技術のように菱形のアイコンがそれぞれ浮かんでおり、アイコンに触れるとアイテムの名前などの情報が拡張ウィンドウとして出現した。
ガラス瓶の中身は「満腹ラムネ:糧食用」という物らしい。「このラムネをひと粒食べるだけで長時間の活動を可能にするだけの「エネルギー」を獲得することができる」と説明される一方で、味に対する評価は無駄にパサパサしているやら無味無臭で美味しくないと表示されている。
端末の方は情報ウィンドウに「グリモワール」と名前が表示されるだけで、詳しいことは分からなかった。
不味いという評価が気になり、好奇心に敗北して瓶に手を伸ばしたその時、ベッドと真逆の位置に存在する出入り口の扉がノックされた。
「プレイヤー殿、起きてますか?……いや、起きてるの判ってるんでさっさと入りますね」
次の瞬間、部屋のドアの鍵が備え付けられた部分を金属製の触腕がドアの向こう側から貫いて、鍵が持つ尊厳と意地ごと物理的に破壊した。
その手際は惚れ惚れするものであり、金属製のドアではなく人体相手であれば、ホラー映画の一幕にもなれただろう。……非常に正確、かつ、無慈悲な一撃だ。
扉はゆっくりと開かれ、扉の向こうの触手の主と対面することになる。
端的に言うなら人外、人の形を模した人ならざる者だ。本来は人間の頭が存在するべき空間には微かに光る硝子のような質感をした大人の頭と同じぐらいの大きさの球体が浮かんでいて、扉を葬り去った触手は彼の背中を中心にして蠢いている。
服装はどこかの軍隊を想起させる黒いコートと、綿が詰まっているのか全体的にぶかぶかに膨らんだズボンから構成された軍服で、腰のベルトに備えられた金具に鞘を固定する形でサーベルを帯刀している。
正直、どういう反応をするのが正しいかは知らない。
だから、私はベッドに腰掛けて、敬意を込めてゆっくりと拍手をした。
「破壊力は十分。次は私かな?」
彼にそう言ってから頭部をじっと見つめると、彼はうねうねと動かしていた触手をどこかへと引っ込めて、お互いに腕を伸ばしても届かないギリギリの位置で背もたれのない椅子に座りこちらに体を向ける。
さっきまでそんな椅子は存在しなかったのだが、彼が虚空からでも取り出したのだろう。人外の存在など人間である私に推し量れるはずもないのだから、なんら不思議ではない。
「ふむ、恐れないのですね。眼の前の怪物を」
正直なところ、彼に対する関心はミリ単位だけ残して潰えた。私のいま一番の興味は、瓶の中のラムネがどこまで不味いのか、である。
「敵意や悪意がない者を恐れる必要はないもの。たとえ、人でなくとも」
当初の予定通りにテーブルからガラス瓶を手に取ると、彼は「それは傑作ですよ。あまりにも不味すぎて、不要な2粒目を食べる危険がない」などと忠告してくる。
忠告を十分に噛み砕いて理解した上で1粒を口に含むと、確かに酷いものであった。
口の中で溶かしても味は全くせず、溶かしているはずなのに口内にざらついた砂のような物が残留する。砂みたいな何かは一向に融解することはなく、口当たりが最悪という不快感は与えてくるが、味覚には全く訴えかけてこない。ただただ味がしないという形で、不満をより一層煽り立てるだけなのだ。
私たちの世界がかつて大きな戦争をしていた頃、糧食――レーションに求められていたのは戦場で失われる熱量をどう効率よく補給させるか、どう戦場に届けるかであった。味は二の次三の次であり、運びやすさと高カロリーを求めて様々な悍ましい味のレーションが作られたことだろう。
特に、チョコレートに関してはかなり酷いものが存在したと聞く。硬く、不味く、でも高カロリーで長持ちもする。まさにお手本のようなチョコレートだ。
このラムネはお手本チョコと違って硬さこそはないだろうが、恐らく同じようにとても美味しくない。
「素晴らしいラムネだね。あまりの素晴らしさにお世辞も思いつかないよ」
ラムネへの好奇心は満たされたので、彼の言葉を忠犬のように待つ体勢に入る。
彼からの言葉を待っていたが、無言のまま左腕の仕草でテーブルの上の端末である「グリモワール」を手に取るように催促される。
その手が示すままに端末を右手に掴むと、「グリモワール」の黒いボディは銀色へと変色した。質感も固い物から水銀と化したかのように変化して、指の間をすり抜けて地面にこぼれ落ち、金属質な水溜りを形成した。
「では、我ら先導者としての役目を果たしましょう。ラズリア・へレティク殿」
座ったままの彼が、一度引っ込めていた触手を再び背中から2本ほど生やす。そのゆらゆらと揺れる触手の軌跡の背後に、私はここではない別の世界を幻視した。
私は漫画みたいに目を丸くしていたのだろうか。表情が読み取れない球状の頭部から笑い声が漏れ出した。
「貴女は少し珍しい、用意周到な方だ。名前も容姿も持ち物も、こちら側で最初に手に入れるものを別次元で用意して、準備をしてからこの世界に落ちてきた」
彼の声がなぜか部屋に反響する。それと同時に、どこからか微かに雛鳥の鳴く声がする。
「ですので、私めの話は恐らく貴女にとっては既知に満ちた退屈な話になるでしょう。貴女には聞かない権利も聞く権利もありますが、どうします?」
実はこの世界、……ゲームの世界観について「は」事前に全く調べていない。
ゲームのシステムについては公式情報の出ている範囲は念入りに調べたし、ゲーム内で自身の体となるアバターの基礎部分や最初の服装は事前セットアップ機能を使ってチュートリアル前に用意した。
けれど、この世界の在り方に関しては友人の「知らないことをゲーム内で地元民に聞くのが楽しい」という言いつけに従って、幻想世界と現実世界のどちらに近いのか程度しか調査していない。
スタート地点の街、「アンデルニーナ」の街並みが、荒廃した高層ビル群というのは知っている。アンデルニーナから別世界へと旅に出て、それらの異世界で物資などを集めるゲームなのも知っている。
でも、私はこのゲーム世界の住人たちがどのように活動し、どんな物語を紡いでいるかは全くと言っていいほどに知らない。
この世界の子どもたちより無知な私の答えは決まっている。
「じゃあ、役目を果たして。私はゲームのプレイヤーとしての知識はあるけど、この世界のプレイヤーとしての知識はないの」
彼の表情は判別できない。球体はただ光を反射しているだけ。
でも、なんとなく彼が笑った気がした。
私の言葉を聞き遂げた彼の足元から星空のような星が煌めく闇が広がっていき、やがて部屋いっぱいに広がった夜空に彼と私という存在だけが取り残される。
「では、お言葉に甘えて教導すると致しましょう。――貴女が祈りを捧げるべきこの世界が、どのような姿をしているかを」
その言葉を聞いた直後から、私というモノが世界に溶けていくのを感じた。