【3−8】
ワイバーン狩りを2人で始めて30分ぐらい経ったとき、少しワイバーンの動きに違和感が現れ始めた。私の気のせいでなければ、ワイバーンが私たちの頭上を旋回するのではなく、スローンズの前方へと逃げるかのように滑空するようになったのだ。
違和感を噛み砕いて結論を導く前に、リリウムがボイスチャットを私たち2人に繋げて異変の答え合わせをしてくれた。
「外ではしゃいでるのはいいけれど、もうそろそろ奴が来る。その時に大きな砂嵐がスローンズを襲うから、一旦屋内に避難することをオススメするわ」
彼女の忠告に従って、手が届く範囲の戦利品と金属クラゲを回収してから持ち場であるスローンズの貨物車に、私とカログリアは逃げ込んだ。ルルはこの最後尾の貨物車から見て1個前方の貨物車に乗っているはずだから、逃げ遅れたということは起きないだろう。
そうして薄暗い貨物車で身を潜めていると、砂塵が混じった衝撃波のような暴風がスローンズを追い抜き、世界は空中に舞う熱せられた砂塵によって死をも予感させる暑さに包まれる。貨物車の壁面に設けられた数少ない窓から外部の様子を伺っても、世界は白き砂塵に覆われてしまって何も見えない。
少しでも状況を確認するために、パーティーのボイスチャットに接続して他の3人へと情報の共有を行おうと試みる。けれど、ボイスチャットを接続して最初に聞こえた言葉は、ある意味絶望の幕開けであった。
「あれ、マップの反応が予想以上にデカいんだけど私の目がおかしいのか……」
それはリリウムの発言である。リリウムが配信を行っているときの一人称は「わたくし」であるため、「私」という一人称は事態が予想してない方向に転がっていることを示している。ロールプレイを忘れるぐらいには予想外のトラブルが起きているのだ。
砂嵐が過ぎ去ったのを窓から確認してから外の世界に飛び出すと、スローンズの後方の砂漠で奴は砂塵を撒き散らしながらこちらへ猛進していた。
「奴」の大きさは相棒さんがスケッチブックに描いた「スローンズを体当たりで横倒しにできるサイズ」ではなく、「その口でスローンズをいとも容易く丸呑みできる巨大さ」であった。
望遠鏡やそれに準ずるスキルがないと詳細が分からない後方にターゲットは存在する。なのに、黄白色の肉体を持つ芋虫は、そこに小山を出現させたかのような圧迫感をもって、追い付かれたら全てが文字通り終結する破滅を私たちに想起させてくるのだ。
異変はあと2つ。スローンズの右側面方向に小さく見える2台のスローンズと、それに呼応したかのように出現したホログラムボードの存在だ。ホログラムボードには「闘争」「共闘」「傍観」の3つの選択肢が書かれたボタンが表示されており、そのボードは私と同じように屋外に飛び出してきたルルの眼前にも浮かんでいるのが見えた。
「レイドイベントかしらね。みんなの意見も聞きたいわ」
冷静さとロールを取り戻したリリウムが私たちにそう問い掛ける。
「闘争」は討伐に最も貢献したパーティーが総取り、「共闘」は討伐成功時にそれぞれに分配。そして、「傍観」は討伐に参加せずに各々で逃亡を図る選択肢となっている。自分たちの振る舞いを決めるための投票というわけだ。
自分の意見を出す前に望遠鏡でこちらから近い位置を走っている方のスローンズを観察していると、こちらに腕を振る背の低い人物の姿を確認できた。恐らく女性である彼女の横には、古き日本の軍服を身に纏った男性と、腕が大砲に侵食された上に両肩に機銃を載せた異形の人型生物が佇んでいる。
私が彼女に応えるように手を振ってみせると、暗殺者のような黒いローブ姿の彼女はこちらに手を振るのをやめて右腕を空に向かって掲げる。掲げた手には小さな拳銃のような物が握られており、程なくしてそれは空高く弾丸を打ち上げた。
青く輝く流星が空を目指して疾走し、青く着色された煙の尻尾を残しながら弾丸は青く光り輝いた。
――フレアガンだ。フレアガンを撃った理由は即座には分からなかったが、ホログラムボードの選択肢が視界に映ったときに意味を理解する。「闘争」のボタンは赤色、「傍観」は白色、そして「共闘」は青色で描かれているからだ。
「リリウム、隣の人たちは多分私たちとの共闘を望んでる。これが多数決なら『共闘』を選択することは容易いけど、とりあえずリーダーとしての意見を聞きたいかな」
私の問いに対してリリウムは「同じような信号は送れそう?」と聞いてきたので、私はスミス・キューブでミニストルに青色の信号弾を注文しながら肯定の意思を示した。そして、数秒後にインベントリに届いた信号弾をフレアガンに装填しながら、他の2人に最終確認をする。
「相棒さん、ルル。2人ともいいかな?」
「私は構わないよ。愛しき我が姫の判断に従うさ」
「私も異論はないかな。多分、私たちだけじゃ逃げ切るのも無理でしょ?」
全員の意向を確認し終えて、私は空に信号弾を放ち砂漠を駆ける全ての人間に自分たちの意志を誇示する。すると、沈黙していたこちらから一番遠い位置のスローンズからも青い信号弾が打ち上がった。
ゆえに、私たちは未来を共有することを選んだ。「全員一致で『共闘』が選ばれました。各自、団結を意識しながら戦闘を開始してください」というイベントログに流れた文章が、同じ未来を見ていることを証明していた。
「ラズリア、聞こえるかしら?」
不意にパーティーのボイスチャットでリリウムが私に問いかけてくる。それに対して短く返事をすると、彼女は指揮官としての力強い言葉で私に命令を出す。
「資源の出し惜しみはしなくていいわ。勝利のための犠牲なら今回得た資源を使い切ってもいい」
「いいよ、惜しまない。けど、そのためにみんなもどんどん私にリクエストを回してね」
「それと」と前置きして、リリウムにとって致命傷になり得る質問を投げつける。
「リリウムとしては使い切って欲しいんだよね?何故なのかは名誉と尊厳のために言わないけど」
格好良い返答の代わりに、彼女の下手な口笛が聞こえてくる。
彼女が全部なくして欲しい理由は簡単だ。私の足元で私たちを見物しているテディベア教授に提出する素材レポートのページ数が減ると、そう考えているのだ。
けれど、恐らくリリウムは気付いていない。目の前のワームから素材を手に入れた暁には、未知のワーム素材という別格な研究対象が増えてしまうことになるのだ。
その事を教える前に、巨大ワームの口から耳をつんざくような咆哮が放たれる。怪物退治の死闘が始まったことを怪物自ら教えてくれたのだ。
私の隣に立っているカログリアを大鷹に変身させる。そして、再び金属クラゲを召喚して機銃をマギ・ロケットランチャーに換装し、クラゲの傘に別の階層で手に入れた衝撃で爆発する樹脂と遠隔式の信管を載せて空に放つ。クラゲが空中に浮かんだことを確認した私は、カログリアの背中に即席の鞍を取り付けて彼女の背に騎乗した。
彼女の頭に可能な限り口を近付けて指示を出す。
「カログリア。私たちは上空からこの盤面を全て俯瞰して、アグレッシブに戦況を制御する。出来るだけ相手の攻撃範囲から離れながら、ね」
「不思議。あなたならみんなを連れて突撃すると思っていた」
カログリアの言葉に私は多分笑っていたのだろう。
確かに、人を扇動するには自分が先頭に立って集団を引き連れるのが手っ取り早い。けど、今回の戦いは群と群がぶつかる戦争ではなく、中規模な軍団がドラゴン退治するような神話的な怪物討伐の物語だ。
無限に湧き出るプレイヤーの塊ならいくらでも使い潰せるけど、いま求められているのは少数のプレイヤーと無尽軍団の兵士の小規模部隊を動かして生存するための戦いだ。目的こそは怪物の撃滅だが、与えられた手駒の重さがラフレシアの時とは格段に違う。
飛び立とうとしたとき、パーティーチャットに「チャットを他パーティーと連結しました」というログが流れてきた。そして、リリウムが戦場の全てのプレイヤーに対して発言する。
「わたくしは第1パーティーの司令塔役、リリウム・マルドリカよ。第2、第3の貴方達もそれぞれ状況を報告できる司令塔を立てて欲しいわ」
その命令に最初に答えたのは私たちに近い位置のスローンズに乗っている第2パーティーの男性だった。
「こちらは第2部隊の伝令兵、コンゴウだ。俺達は3人パーティーで参加しているが、その中で一番ゲームに慣れている俺が司令塔を担当する」
それに続いて落ち着いた少女の声が聞こえてくる。彼女が口にした内容はとても興味深いものだった。
「……一応第3所属、メルドリーテ。ずっとソロで魔術師プレイしてるから、いま他のパーティーメンバーは居ない」
彼らの言葉でリリウムが状況を理解し、彼女は脳内の盤上の駒を動かし始めたことだろう。
ゲームに不慣れであるプレイヤーを含む可能性がある第2パーティーと、MMOでソロプレイをしているのにこの階層まで辿り着いた暫定化け物プレイヤー。
駒の数は全部で8個。リリウムが手の内をよく知っているのは自身含めて4人で、他の4人は未知数。
「オッケー、把握したわ。まず、メルドリーテさんは単独で動いて、何か不具合や物資の不足が発生したらボイスチャットで相談してほしい」
リリウムの言葉にメルドリーテが「了解」の意志を示すスタンプをチャットに送信してきた。
「第2部隊も方針はほとんど変わらない。けれど、いざというときは私が強さを信頼してるシスターが貴方達をサポートできるようにしておくわ」
次は私の手番なのだろう。覚悟を決めて、ボイスチャットに言の葉を紡ぐ。
「私は第1部隊のラズリア。上空から戦況把握のサポート、及び緊急時の増援を担当するよ」
この戦場にジャンヌ・ダルクのような救世主候補なんて絶大な存在は居ない。けれど、窮地に陥ったときの支援が待っているのと全くないかでは、兵士の士気に大きく差が出てくる。
だから、偽の軍旗を掲げるその役割は私が引き受ける。リリウムという将軍に付き従う部隊長として、兵士の任務をすべてこなすだけだ。
空に私たちが飛び立ってから程なくして、釣鐘に吊り撞木を折れそうなほど強く叩きつけたかのように感じる、重低音の爆音が世界に響き渡った。音の発生源に視線を向けると、金属クラゲが射程範囲に入ったワームに向かってロケランを撃っている最中だった。
ワームの表皮の一部が、砲弾の爆発によって発生した蒼い火炎に覆われた。けれど、ワームは魔法の炎を意に介すことなくスローンズたちに向かって進撃を続ける。
「ああ、これは骨が折れそうだよ。君もそう思わないかな?」
そうカログリアに言葉を投げてみると、彼女は私の気持ちを汲み取って気の利いた返事をしてくれた。
「口ではそう言ってるけど、とても楽しそうだね。その顔、まるで……」
続く言葉に邪な笑みが溢れる。
「――悪鬼のよう。それも、獲物をいたぶることを喜ぶたちの悪い鬼」
戦火はまだ燻っている。けれど、燃え上がるのにそう時間は要さないだろう。
「さて、始めようか。私たちの抵抗は始まったばかり」
遥か上空にカログリアと私は陣取った。次の一手を導き出すために。




