【1】学生としての一幕
私は学校の屋上で昼食を摂るようにしている。屋上は風の音と少しばかりの会話する声が聞こえるだけで、談話室や食堂で食事をするよりは静かに過ごせるのだ。
私は人付き合いが苦手だ。人の感情を読み取るのはうまくできないし、他人の言葉が意図する意味合いを理解するのにも人一倍長い時間を必要とする。
だから、私の隣で昼食のおにぎりを頬張る彼女は、理解に苦しむとても不思議な存在だ。
私と一緒に昼食を取っても面白くないだろうに、いつも隙あらば私に構ってくれる稀な人。私の得手不得手なんて気にせず、あれをしようこれをしようと身勝手に提案する私の親友、なのかな。
そんな彼女がその手に持った携帯端末を操作し、ホログラム機能を使って一つのゲームの紹介記事を見せてくるのだ。
「じゃーん、今日リリースする新作ゲーム!日頃のペット飼いたい欲を満たしてくれる期待のゲーム!」
その欲望に苛まれているのはどっちかと言えば彼女の方だろう。野良猫を見つけてにじり寄った末に逃げられたり、公園などで彷徨う鳩を見て「やっぱり柄有りの鳩はいいな」と呟くぐらいには飢えている。
そうぼやく彼女の家には実はかなりの数の白い鳩が飼われているのだが、彼女の認識では彼らはペットではなく両親の「商売道具」でしかないのだろう。彼らに対して愛情が全く存在しないわけではないのだろうけど、舞台を盛り上げるための「道具兼仲間」としての愛情であり、愛玩動物に向ける純粋な愛着とは少し違うものだ。
「ライオンとか?」
そう私が冗談を言うと、彼女は数秒ぐぬぬと唸ってからこう呟くのだ。
「食われないならただのでかい猫では……?」
確かに大きいだけのネコ科動物だ。マタタビで酔う、「人を食い殺せる大きさの」ネコではある。
ぬこ様にやられるなら本望だとか、それならいっそのこと獅子様に囲まれて逝くのも一興などと世迷い言を発し続けるゾンビと化した彼女を放置して、自分の携帯端末でゲームタイトルを検索して彼女が見せてくれた記事を開く。
――「グリモワール・テイル」、略称は「グリテル」。一応VRMMOのジャンルにはカテゴライズされているのだが、制作陣としては「不平等」という単語を強調している。
MMOに限った話ではないのだが、オンラインゲームとは基本的に「公平かつ平等」が根幹に存在している。
ドロップ品の性能がランダムな一見不平等なゲームでも「ドロップするチャンス」は基本的に「平等」であり、2人のプレイヤーが同じスキルを全く同じ条件のもとに発動したときには、計算式に基づいて「公平」に乱数の範囲で同じような結果が導き出される。
プレイヤーに与えられる権利は一点に偏らないように公平でなければいけないし、ルールは平等な足かせでなければならない。
と、難しいことを考えていたが、制作陣の押し付けたい「不平等」はとても簡単だった。
どうせ装備品の数値とかがランダムだったりするんだし、もう「不平等」になるのを飲み込んでアイテムの獲得チャンスや個人個人のビルドに関わる物を色々と徹底的にランダムにして、はっちゃけたオンラインゲーム作ってしまおうか!である。
グリテルは大衆的なカテゴリこそはMMOであるが、MMOにしてはあまりにも不平等すぎるので制作者的にはオンラインゲームとだけ名乗りたいとのこと。
その願いは恐らく未来永劫叶わないだろう。というか、この記事を扱ってる攻略サイトでも既にVRMMOのカテゴリに突っ込まれているので、叶う叶わないではなくもう夢破れている。
ただ、正直に言ってしまうならば開発者の信念という独りよがりな物はどうでもよく、ゲームの価値とは面白いかつまらないかだけだ。ときたま古きゲームにプレミア価値が付いて価格が高騰することもあるが、それは面白さという概念とは別にアンティークとしての価値がついただけである。
まだ世に出ておらず評価の分からないゲームにおいて重要なのは、ゲームの情報を見た者にどれだけの精神的な揺さぶりを与えられるかだ。
興味、好奇、打算。通りすがりの人間に傷跡を残せるならば、揺さぶるべきものの貴賤や価値など問われない。
そういう意味では、私に興味と打算を抱かせたのはゲーム側の勝利であり、また私の明確な敗北だろう。
「るりっち、やるぞ!私はサモナーの王になる!」
彼女は握りしめた右手を空に掲げるとそう宣言した。
プラスチックのカップに満たされたカフェオレをストローで啜りつつ、私は気の利いた答えを考えようとし、数秒の熟考の末に最良の答えを導く出すことにいつも通り失敗する。
「そう。手伝うよ」
多分、これでも頑張った方なのだろう。誰かに褒めてもらいたいとは言わないが、過去の自分をよく知る自分自身だからこそ多少の成長を実感することができる。
それでも、まだ普通の人未満のゴミだ。
脚にはめられた「普通の人じゃない」という足枷は依然として重く、私を絶望の深海へと着実に沈ませる。「正常」や「普通」という言葉からもたらされる安心感とは縁がなく、むしろその言葉たちは鈍らな刃物のように私の心を残虐に潰していく。
だから、君の気持ちは理解できない。君の行動も意味が分からない。君が私に何を求めているかも想像がつかない。
けど、私の中で仄かに燻る君と一緒に過ごしたいという感情は真実だ。それだけはきっと、本当のことなのだ。
正直者を気取る虚構と偽善的な幻想に満ち溢れた残酷な世界で唯一信じられるのは、異端と異常に染まって醜く汚れた自分の意思だけ。この意思だけは私のささやかな武装だ。
そんな後ろ向きなことを考えていたとき、彼女が唐突に私の耳元でゆっくりと囁いた。
「まーたなんか暗いこと考えてる。るりっちの表情って、自分が思っているより分かりやすいんだよ?」
彼女はそう言って立ち上がり、数歩前に進んでから私の方に振り返る。その表情には薄っすらと悲壮が隠れていて、やり場のない怒りも同じように滲んでいた。
「あなたは私が何を思ってるか分からないってよく言うけど、私はきっとあなたを自分のために利用してるだけ。お互いに、好きなように利用すればいいんだよ」
彼女は踵を返して屋上の出入り口に向かって歩き出す。そして、出入り口のドアに手をかけたとき、こちらに首だけ振り向いてとびっきりの笑顔で勅令を下すのだ。
「我が友よ、また会おう!……今度は向こうの世界で、ね?」
君は変わり者だ。こんな私に笑いかけて、お喋りして、また会おうと呪いをかける。
その笑顔に、約束に、いつも救われてきた。だから、君が私に何を求めていても構わない。君の力になりたいというこの想いは、万物を統べる神にも覆せない。
……分からない。きっと私の顔は微笑んでいたんだろうけど、本当に微笑んでいたのかは私自身には分からない。
少なくとも、放課後の楽しみが1つ増えたのは明確だった。