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クロイツェル・バレット 掃討の聖約者  作者: 美濃勇侍
第2章 ローマの怪人《ファントム・イン・ジ・ローマ》
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2章の3

更新が遅れました。

楽しみにしていただいていた方々には申し訳ありませんでした。

「なるほど、それで最後に残ったヤツをメッセンジャーに仕立てようと思いついたのか。さいしょは何事かと思ったが、これでよくわかったよ」

 感心したようにうなずきながらエスプレッソをすするバーナビーに、クラリスはあいまいに笑った。

「はい。でも、あそこで察してもらえたのは助かりました」

「同じ状況なら、きっと俺でも……いや、俺はきっと一人残らずやっつけたあとで、しまった! って叫ぶほうだな。君らはよくやったよ。あいつらを一匹捕まえて来いだなんて、情報部もムチャを言う」

 つつきまわしていた皿の上のティラミスをひとくち食べて、クラリスは言った。

「ありがとうございます。ミスター……いえ、バーニー」

 最後のほうは照れくささから小さな声になったが、それでも彼女は、バーナビーをはじめてこう呼べた。

「いいぞ。それが仲間との絆(バンド・オブ・メイト)ってやつの第一歩だ。仲間を愛称で呼ぶ。でも俺は、きみのことをクラリーとは呼ばないから安心してくれ」


 言われたクラリスは、フフッと声を上げて笑った。このランチのあいだじゅう、バーナビーはクラリスの緊張をほぐそうと、いろんなジョークを飛ばして彼女を笑わせたり、自分がなぜゲヘナに加わったか、そのいきさつを話して聞かせた。聞けば彼は米軍がサダム・フセインの政権を倒すためにふたたびイラクに侵攻したとき、自分の属する軍が道義や正義のかけらもない戦争を平気で起こし、弱体なイラク軍を踏みつぶし、戦闘と言うより一方的な虐殺と呼んだほうがいい行為が行われるのを目の当たりにして、軍を辞めると決めたのだという。その後、故郷で ”魚を釣っては放し、眠れば悪夢を見て飛び起き、教会でボランティアでもしようかと思う毎日” を送っていたバーナビーを、ゲヘナのリクルーターが訪問したのだった。

 

「正直いうと、俺はカトリック教徒のくせにガキのころはロクに礼拝に行ったこともない男でね。皮肉な話だけど、信仰心を得たのは戦場のまっただ中でだったよ」

 戦場で見た悲惨な光景を思ったのか、バーナビーもこの話をしている時だけはさすがに軽口も消えて悄然としたようすを見せたが、そんな彼にクラリスは穏やかな優しい口調で語りかけた。

「自らの魂を救う道を発見することに、遅すぎると言うことはないと思います」

「そう言ってもらえるとありがたいがね、俺みたいなできの悪いヤツにヴァチカンの中をうろつきまわられたら、イエス様も困るんじゃないかって気持ちは、今もあるよ。ところでこの、米とチーズのコロッケはうまいな」


 こんな会話をしながらゆっくりと続いたランチも、いまはコーヒーとドルチェ(デザート)を残して終わりにさしかかっていた。

 気づけば、店にやってきたときは昼時に押し寄せたローマっ子や観光客で埋まっていた店内にもポツポツと空いたテーブルが出るようになり、野戦病院の軍医そこのけに忙しく動き回っていたカメリエーレ(ウェイター)たちの一部は店の奥に引っ込んで、一息つく時間になってきている。

 それもそのはずで、ふと店の壁にかかっている時計を見たクラリスは一瞬、自分の目を疑った。店に入ってからいつの間にか二時間も過ぎていたからである。


 彼女にとって、このランチは楽しかった。とてもとても(・・・・・・)楽しかった。それはいままで灰色の一色で塗りつぶされたまま残っていた精神の一部分がにわかに色づき、魔法のような鮮やかな色彩に染まっていくのを見るような、自分の心が急に弱く柔らかくなったような、息苦しくなるようなざわめきを、彼女にもたらしていた。


”お姉ちゃんはきっと七世紀ぐらいに産まれてたらよかったかもね”

 ジゼルはクラリスがあまりにもカトリックの原則に忠実すぎるのを、よくこういうふうにからかう。人生の楽しみをあえて味わわず、他人の芝生を青いと思わず、主の教えに忠実に生きる女。

 現代では変人のように思われてしまうかもしれないこのライフスタイルを自分に課した理由を、クラリスは人に話したことはない。


 それは、こうでもしないと、この二十一世紀の現代にまるでそぐわぬフランベル一族の掟(・・・・・・・・・)に従って、獣人を滅ぼすべく戦うことなどできないからだった。

 十六世紀から続く掟に従うなら、まるで同じとはいかないまでも、できるだけ精神を十六世紀に近づけなければ、世の中にあらゆる楽しみや快楽があふれている現代に生きるうちに、いつか一族の掟を守る気概など、消え失せてしまうだろう。


 ジゼルにからかわれることはあっても、クラリスは現代の基準から言えばストイックすぎるこの生き方を後悔したことはない。

 後悔するようなら、あの十二歳の誕生日の夜、父親のレオナールからカトリックと獣の軍団(レギオン)の闇の戦い、そしてゲヘナの最初の七人のひとりに加わったジャン・ゴドフロワ・ド・フランベル以降、代々の長子はすべてゲヘナに加わるべしという、フランベル家の秘められた掟を聞いた時点で、そこから逃げていればよかっただろう。


 だがクラリスはそうせず、リューポルドと獣の軍団(レギオン)たちを地上から一掃し、父とジゼル、そして四世紀にわたってヴァチカンに仕え、歴史に記されることもなく、人に語れぬ誇りを保ちつづけたフランベル一族を、この忌まわしい因縁の輪舞曲(ロンド)から解き放つために、ここにいる。


 クラリスは一族の誇りと責務を守るために戦い、バーナビーは、神に弓を引く獣の軍団(レギオン)を屠り、人間同士が殺し合う悲惨さに満ちた戦場で見いだした信仰心をまっとうするために戦う。それらはいまを戦うには充分な理由になりうる。

 だが彼女の中には、これ(・・)が終わるとき、終わったその先に何があるのかという、今まで答えを見つけられずにいたわだかまり、フランベル一族は何のために、一族の掟に盲目の服従をもって苦役を勤めてきたのかという疑問があった。

 

 その疑問の答えをいま、クラリスは見つけた気がした。

 それは未来のため。自分の未来のために戦うとき、ひとはもっとも強くなれるのだと、クラリスはいま悟ることができ、そしてこの思いは父レオナールも、祖父オーギュストも、そのまた祖先も、フランベルという姓を持つものはみな、この掟から解放された、まだ見ぬフランベル家の子孫たちが自由に生き方を選べる未来を作るために、共有してきた思いではないだろうかと思った。


 いつかこれが終わったとき。まだわたしにこのランチで感じたような、心うきたつ楽しみを、人並みの恋というものをして結婚し、幸せな人生を過ごす時間が残されているだろうか。

 いるかもしれないし、いないかもしれない。

 だけど、わたしはわたしの人生を取り戻すためなら、いまよりずっと強い心で戦える。まだ自分の人生はほんとうの意味で自分のものではないけれど、その日はきっと来るはずだ。なんといっても、世に終わらぬ物事はなく、永遠に不変のものも、ありはしないのだから。


「バーニー?」

 呼ばれて目を上げた彼の前に、今まででいちばんいい笑顔のクラリスがいた。

「うーん……ティラミス、もうひと皿注文したほうがよかったか?」

「ちっ、ちがいます! わたし、あなたにお礼を言ってなかったなと思って」

「このランチの礼か? 別にいいんだ。ここに来る前にも言ったけど……」

「いいんです。あなたがどういうつもりでも、わたしはお礼が言いたくて。ありがとうございました」

 ほんの少し無言でクラリスを見つめていたバーナビーが言った。

「よくわからんが、誘ってよかったみたいだな。何かが吹っ切れたような顔じゃないか」

 

──腕のいい狙撃手って、カンも鋭いの?


 目をそらしてカプチーノに口をつけたその瞬間、クラリスのうなじの毛がなんの前触れもなく、ぞくりと総毛だった。その不快な感覚に、思わず口からコーヒーが噴き出しそうになるのを、彼女はありったけの自制心でこらえる。


これは殺気だろうか?だれかが、いや、何か(・・)がどこかから、わたしを見ている。


 そう判断したクラリスは、自分とバーナビーが、あろうことかヴァチカン市国から目と鼻の先にあるこのトラットリアで、窮地に立たされていることに気づいた。この、殺気を感じるほどの鋭い視線を放っているのが獣の軍団(レギオン)が放った刺客だとしたら。


 楽しいランチから突如一転して、これは最悪の状況だった。クラリスたちはいま、獣人に対抗できる武器をなにひとつ持っていない。

米とチーズのコロッケ=アランチーニというイタリア料理。ローマではスプリと呼ばれるメニュー。

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