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クロイツェル・バレット 掃討の聖約者  作者: 美濃勇侍
第2章 ローマの怪人《ファントム・イン・ジ・ローマ》
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第 2 章 ロー マ の 怪 人ファントム・イン・ジ・ローマ 


── イタリア ── ローマ ヴァチカン カトリック教理省 機密フロア


「いつもながら簡潔で、いい報告書だ。《ガリア戦記》のごときラテン語の見本だな」

「恐れいります。枢機卿ピエトロ」

 ローマン・カトリックの尼僧衣に身をつつんだクラリスは、造られてからゆうに二百年はたっているはずの、古色ゆたかな木の机のむこうで書類を読んでいた男の賞賛に答えると、正午まで十五分ちょうどを指している時計にちらりと目をむけた。


 昨夜ドイツで獣人のコロニーを壊滅させ、イタリアに帰還してすぐ状 況 後 説 明(デブリーフィング)をこなし、ポット半分のコーヒーで眠気をさましながら、いま目の前にいるゲヘナ監督官、ピエトロ・カルーソー枢機卿への報告書を作って朝を迎えた彼女にとってこの時間は、正午からはじまる三日間の休暇のために乗りこえるべき十五分。


 獣人を狩って殺すというとんでもない仕事をしていても、休みに関しては世間のビジネスマンと同じ欲求をもつクラリスは、休暇をどうやって過ごそうかとぼんやり考えはじめたが、正直に言えば今はとにかくゆっくり風呂に入ること、食べて寝ることの三つ以外、何もしたくないと言うのが本音だった。


 まずは主のおぼし召すままぐっすり ──とりあえず十二時間は── 寝たあとでならヒマをつぶすアイデアも出ようというものだが、二週間ぐらい前にジゼルから、つぎの休みはロンドンへ行こうと誘われていたクラリスは、妹がそうはさせてくれないだろうと、うすうす思っている。

 さすがにこれから休みなしで、底なしのバイタリティを持つジゼルに付きあうと思うと、三日間の休暇はいきなりハードに始まりそうな予感がするが、まあブリティッシュ・エアウェイズかアリタリア航空の客室乗務員は、少なくともひとり分だけサービスする相手が減って楽だろうとクラリスは思った。ヒースロー空港に着くまで、わたしは泥のように寝ているにちがいないから。


「これによると最年長の獣人を捕獲するのは、戦術的に困難な状況にあったと言うことだね? シスター・クラリス」

 ピエトロの言葉に、その目標はわたしの妹が真っ先に始末してしまいましたとは返せないクラリスは、ニコリと笑みを見せた。

「その通りです枢機卿ピエトロ。申しわけありませんが現場の状況は混乱しており、最年長のライカンスロープを殺さず無力化するのは、非常な危険を伴いました」

「かまわん。わしとしてはエージェントの生命が優先だ。きみの判断を支持しよう」

 そう言って彼女に報告書を返したピエトロは、これまた年代ものな椅子にふくよかな身体を深く沈め、きしませた。


「わしはこのリューポルド本人に挑戦状を送りつけるというアイデアが気に入ったよ。情報部の奴らは一事が万事、気長にやりすぎだ。年長の獣人を捕虜にしてリューポルドの居場所を吐かせようなどという夢物語に付きあっておっては、次の千 年 紀(ミレニアム)が来てしまう。あいにくわしはそこまで長生きせんよ」

「同感です。枢機卿ピエトロ」

 クラリスの返事を聞いたピエトロの眉毛が " それはどっちに(・・・・)同感なのかね? " と言うように吊りあがった。

「きみが忘れんようにと思うから言うが、今回 ” ファントム ” は現れなかったようだな?」

「そうですね。全チーム、不審なハンターの目撃・接触報告はありませんでした」


 ゲヘナの記録に十八世紀はじめからその名を現しはじめた、ゲヘナとは別に獣人を狩る正体不明人物ペルソナ・イグノトゥス、通称ファントム 。

 彼はゲヘナの殲滅チームが獣人のコロニーを襲う時にいきなり現れ、その武装はダガー二本と拳銃二丁きり、常軌を逸した身体能力でほとんどの獣人を独りで倒し、ことが終わると初めからいなかったかのように消えうせるところから ” 幽霊 ” と呼ばれるようになった、謎のハンターだった。

 その見た目が十八世紀からまったく変わらない事から見ても彼は獣人であり、獣の軍団(レギオン)内部の造反者と分析されてはいたが、ゲヘナの情報部が持っているファントムに関しての情報は、いまだにレターサイズの用紙一枚に収まるほど少ない。


「まあファントムについては、そう考えることはないな。なんにしろ味方に取り込めないなら、敵に回ることのないように祈るばかりだ」

「そうですね。それに私はまだ彼を見たことがありませんよ? 枢機卿」

「休暇を楽しみたまえ、シスター・クラリス。あとシスター・ジゼルに、よくやったと伝えておいてくれ。神のご加護を」

「伝えます。神のご加護がありますように」


 枢機卿執務室の重いドアを開けて廊下に出たあと、背後で閉まった扉にもたれてフウッとため息をついたクラリスの目が、彼女と同じ尼僧衣をちゃんと着て通路の木のベンチにちょこんと座り、ヒマそうに足をブラブラさせているジゼルを見つけた。

「なにしてるのジゼル?こんなところで待ってなくていいのに」

 声をかけられたジゼルはぱっと立ち上がると、嬉しげに姉のそばに駆け寄った。

「だって、ひとりで退屈だったんだもん。ねえ、もうお昼過ぎたから、あたしたちお休みだよね?」

「それはそうだけど」

「前にあたし、ロンドンに行こうって言ったの覚えてる? 今から行けば、ディナーは向こうで食べられるよ?」

 この世でカーズ・マルトゥとシュールストレミング以外はなんでも食べるジゼルはまるで気にしていないが、ヨーロッパ大陸では、なぜかイギリスの料理はあまり評判がよくない。

 行くならせめてランチぐらいはこっちでゆっくり食べていきたいクラリスに、このとき天におわす何かが救いの手をさしのべた。 


「やあ、シスター・クラリス。シスター・ジゼル。これからランチかい?」

「そうです。あなたもですか? ミスター・バーロウ」

 二人が階段を下りていく途中で声をかけたのは、バーナビー・バーロウ。

 彼は昨夜ドイツへ出動したときも同じチームだった狙撃手で《アーチャー》というコールサインにふさわしい技量を持つ、元アメリカ陸軍軍人だった。


 結成当時はカトリックに身命を捧げる者たちの集団だったゲヘナも、四世紀を経る活動のあいだに、そのあり方はかなり現代風に、柔軟に改められてきていた。

 十九世紀からはヴァチカンの機密予算から給料と呼べるものが出ているし、エージェントの選出も教区内の指名制だったのが、カトリック教徒で優れた能力を持った元軍人などをスカウトする形に変わっており、いわばヴァチカンの極秘の特殊部隊のような形を取っているのが、近・現代のゲヘナだった。ただしその持てる力が、人間(・・)に向けて放たれることは絶対にない。


「バーニーでいい。ところでだ。こないだ同じ斑の奴に、とびきりのピッツァ・ロマーニャを出すトラットリアの話を聞いた。これから試しに行こうと思ってたんだが、よければ一緒にどうだ?」

「どうするの? お姉ちゃん」

 降ってわいたようなこの成りゆきを見守るジゼルの声に、楽しさがにじんだ。

 姉がこの誘いにどう応じるのか、これはぜったい見逃せない。


 ジゼルは、姉も羽根を伸ばすときは伸ばすべきだし、女というものはそれが正式なデートでなくても、ときには男性と食事に行くことも必要だと、ひそかに思っている。

 獣人と戦っているときのクラリスをこの世の誰よりも信頼している彼女は、それと同時に、戦うことに重きを置きすぎる姉の私生活が、同じ女として危機感を感じるほどに殺伐としているのを、誰よりも心配していた。何しろ姉の休日は、まず眠ることから始まる。起きたら掃除、洗濯、射撃訓練と小火器の分解整備をし、出かけるのかと思えばサバイバル訓練を兼ねたキャンプだったりする。そこらの職業軍人でもこんな殺風景な休暇は過ごさないだろう。


 だからジゼルは事あるごとに姉を旅行に連れだし、現地で服をプレゼントしてあげたりするのだが、妹のすることだからか、それとも好みが合わないのか、どうもうまく行ったためしがなかった。

 世間で暮らしているふつうの姉妹とちがって、そもそもクラリスとそういう軽い話題を話したことがないジゼルは姉のファッションや男の好みを知らないのだが、みの虫みたいな迷彩ギリースーツを着てないバーナビーはなかなかカッコいいし、クラリスも、迷っていても嫌な顔はしてないから、きっと誘いを受けるはずだ。


── あ! これってもしかして、今のあたしはオジャマな子なんでは?


「でっでも、ミスター・バーロウ。わたしは聖職にある身ですから、そう言った申し出は……ああ、どうしましょう」

 軽いパニック状態のクラリスを見ていたバーナビーが、軽く吹き出した。

「どうして笑うんですか? わたし、真剣にどうしようって思ったのに」

「ごめん。笑ったのは謝るよ。でもこれはデートのつもりじゃない。俺みたいなアイダホの田吾作でも、尼さんは口説いたら駄目なことぐらいは知ってる。俺は修道士扱いでもあるし」

「えっ、じゃあ」

 今度はクラリスがポカンとした顔を見せた。


「きのうの作戦でいい仕事をした仲間にメシをおごりたいっていうシンプルな動機だよ。これはなんの罪に値する? 暴食(グラトニー)か?」

 と言って、バーナビーはニッと笑って見せた。

「いえ、そんなことはありません」

「きみらが大活躍したおかげで、俺のチームは村のそばの野っ原にいる牛を数えるぐらいしかやる事がなかった。もちろん俺は報告書に、よく乳の出そうなホルスタインが二十八頭いたと書いたよ。ローマ数字は苦手だから、合ってるかは知らんけどね」

 バーナビーが真面目な顔で吐いた言葉で、いかつい狙撃チームの男たちが高性能スコープを使って牛を数える光景を想像してしまい、ガードを崩されたクラリスの唇からプッと笑いが漏れる。それを見たバーナビーが、ぽつんと言った。

「なかなかいいじゃないか」

「何がですか?」

「あのコヨーテどもをやっつけてるときの君は、確かにおっかない女だ。でも、そうやって笑うこともできるんだな。君のことを死の天使だの鉄 の 処 女(アイアン・メイデン)だの、ヴァチカン製の戦闘サイボーグだの言ってる奴もいるが、そいつはたぶん、ものがよく見えてないんだな」

「からかわないでください。それに、シスターは口説いちゃ駄目なんじゃないんですか」

「アイルランド系ってのはいつもこうなんだ。気にしないでくれ。本気で口説くときはそう言うから。ところで、俺がまだちゃんと財布を持ってるうちに食いに行かないか?」

「わかりました。食事、ごいっしょします。ねえジゼル、あなたも……」

 クラリスが振り向くと、妹はいつの間にか音もさせずに、その場から消えていた。


「すごいなシスター・ジゼルも。さっきまでそこにいたのにパッと消えちまった。さすが、ニンジャって呼ばれるだけのことはあるね。いや、君らはホントにたいした姉妹だ」

 人間がこれほど気配を感じさせずに動けるという実例を見せられ、うなっているバーナビーの横でクラリスは、これはジゼルが、姉とバーナビーを二人きりにしてしまえと気づかってやったのだろうと、うすうす悟っていた。


──でもどうせなら用事を思い出したとか、もう少しさりげなくしてくれたらいいのに。


 これでは意図が分かりやすすぎて、気をつかわれる方が困ってしまう。でもそれをバーナビーに言えるわけもないクラリスは、妹をちょっと悪者にして、いいわけを言った。


「すみませんミスター・バーロウ。あの子、すごく人見知りするんです。食事は二人でまいりましょう。あなたの言っていたお店、昼どきは混みますよ?」

 階段を下りながらクラリスは言った。

「いいさ。混む店はうまい店ってことだ。おすすめがあったら教えてほしいね。それと、俺に気持ちよくおごらせたかったら、そのミスターとかって単語はなしにしてもらえるかな?ミス・シスター・クラリス・フランベル」

カーズ・マルトゥ=イタリア、サルジニア島の、ある意味名物チーズ。チーズの発酵を助けるためにびっしりウジがわいている、超ドン引きな食べ物。


シュールストレミング=スウェーデン産の魚の缶詰。とてつもなく臭い。


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