4章の3
大変お待たせして、本当に本当にすいませんでした。ただこの一言です。
── イタリア ── ” 山 城 ”
九ミリ弾の手拍子のような銃声に比べるとまるで大砲のようなショットガンの轟音と銃 口 炎とともに、人の形をした木製のターゲット板を木っ端みじんの木切れに変え、持ってきた七十発のダブルオー・バック弾を撃ち尽くし、うしろで彼女の射撃を見物していたフランベル姉妹のほうに振り向いたシーリアの表情は、ようやくエンジンがかかったというようにサッパリと覚めていた。
「いやぁ、これでやっと目が覚めました。わたくし、寝起きに射撃をするといちばん調子が上がるので」
白い頬をうっすら染めながら言った彼女は、タイトスーツのスキンを容赦なく押し上げるバストの前でロザリオを握り、神に祈りをささげる。
「ああ、ですが主よ。射撃という行為にこれほどの愉悦を感じるわたくしの罪深さをお許しください」
「おみごとでした。ショットガンをまるで手足のように扱われますね」
「あんなに速射して、銃口がちっともブレないのもすごいよね」
ショットガンの強烈な反 動を操って抑えこみ、一発でターゲット板を一枚づつ正確に破壊するシーリアの技量を、クラリスとジゼルは素直にたたえる。
「いえいえお二人とも。わたくしハンドガンよりショットガンのほうが合うだけで。それに今は武装を装備課にぜんぶ預けてまして、このベネリちゃんは借り物です。ふだんはフルオートのAA-12を使ってます」
「うそ、 あたしの他にもハンドガンがニガテな人いた!」
「はい、そうですよぅ。正直わたくし、点より面で狙うほうが性に合ってまして。ハンドガンの腕は、シスター・クラリスにまるで及びません。でもですね? 誤解しないでいただきたいのは、わたくしとショットガンの相性がいいのはけ、し、て、わたくしの性格がテキトーだからとか? ガサツだからとか? 大ざっぱだからとかではないんですよ? これ、大事ですからね?」
「あたしそんなこと言ってないですよね……アハハ……」
微笑みながらぐぐっと迫ってくるシーリアに、思わずジゼルの腰が引ける。
クラリスは、常におっとりした笑みを絶やさないこのシスターが ”貫 く も の《ペネトレイター》”という凶暴なニックネームを持ち、獣人の群れに向かって常にさいしょに斬り込みをかけるトップ・アサルトを務め、ジゼル以上の突破・殲滅力を誇るわけを、かいま見た気がした。
彼女は獣人にとって致命的な銀の散弾をフルオートで嵐のようにばらまきながら、微笑みとともに最前線で踊る。どれだけ訓練を重ねたのか、ショットシェル七発をわずか数秒、電光のような速さで再装填する手技と、弾倉交換だけでリロードできるAA-12アサルトショットガンの組み合わせは、破壊と死の大渦をもって、獣人どものいびつな命を刈り尽くす。
「でも、それならあたしも散弾使おうかなあ……狙い撃つのってシンドいし」
接近戦に有利なショットガンの特性を見て、自分の戦技に取り入れようかと思いついたジゼルを、真顔のシーリアがさとした。
「シスター・ジゼル。あなたの格闘戦術はマスター・リーに次ぐレベルだと、わたくしは思います。かさばるショットガンを組み合わせると、体術のキレが鈍りますよ?」
自分の意見をシーリアに代弁してもらったクラリスは、ジゼルに対して申しわけない気持ちになった。
ゲヘナのエージェントが持つスキルはどれもそうだが、ショットガンを使うことに特化したシーリアの戦技は、使えそうだから試そうと言ってやれるものではない。もちろん、妹なら見よう見まねでもそれなりのレベルに達するだろうし、獣人と戦う技術はいくらあってもいい。
だが、ジゼルを迷わせたのはきっと、銃器のスキルに関して自分がよけいな忠告をしたからだと思うと、心が痛む。
──ごめんね、ジゼル。ほんとは今のわたしに、あんなことを言う資格はないの。
心に暗い気持ちが広がったクラリスの瞳が伏せられた。
──今のわたしは臆病者。わたしは奴らの禍々しい強さを知って恐怖におびえる、ただの臆病者になってしまった。
一週間前、眼前に立ったレスターの眼を正面からのぞいたときから、クラリスの心の片隅に、口にできないひとつの疑問が張り付いていた。
肉体と精神を研ぎ澄ませることで人間として最上の戦闘能力を備えたクラリスの本能はあの瞬間、生物として人間をケタ違いに超えた上 位 種が秘める底の見えない強さと、飢え怒る野生の虎の前に裸でほうり出されたような、自分の力などこれに対しては何の役にも立たないという大きな無力感、わたしたちは奴らのことをまるで理解していなかったのだという思いに、心をうつろにされた。
上 位 種に比べたら自分たちが今まで倒してきた獣人は、まだそれになりたての、半分以上は人間のまがいものみたいなものであり、ほんとうの本物の獣人は、人が人のまま挑むのでは決して勝つことができない悪魔であり、それが何十匹、いや、何万匹いてもおかしくない獣の軍団の頂点であるリューポルドは、どれほど強い生物なのか見当もつかないのだ。
クラリスはカトリック教徒であり、四百年のあいだアンチ・キリストとしてカトリックの敵とされてきた獣人を狩る一族に生まれたハンターだが、狂信者ではなかった。
いっそのこと狂信者であればよかったかもしれない。敵がいかに強かろうが、人間の力が無力だろうが、神への献身というひとことだけで死後の幸福を信じ、命すら投げ出せる。
ゲヘナのエージェントたちはもちろん狂信者ではないし、皆それなりに獣人というものは一匹残らず、少しでも油断すれば腕の一振りで簡単に人間の命をつまみ取る恐ろしい生物であり、自分たちはただの人間だと知っている。
それに挑むからこそ、彼らは自分を鍛える。今もこの 《ロック》に集結しているエージェントたちは、ペイルホース計画の実行に向かって、少しでも自分という刃を鋭くし、心を強く保とうと努力しているのだ。
──それなのにわたしは恐れている。わたしひとりが疑っている。わたしたちは奴らに勝てないのではないかと。わたしたちはただ奴らに引き裂かれて死ぬ、ただの羊なのではないかと。
わたしだけではなく、勇敢なゲヘナの者たちはひとり残らず死ぬ。パパも、マスター・リーも、シスター・シーラも、ジゼルも、バーニーも。主よ、わたしの牙は折れたのでしょうか? もうわたしは、以前のように強い気持ちを持つことはできないのでしょうか?
ひとり葛藤しせめぎ合う姉をよそに、ジゼルが頭のうしろでのんきに両手を組んだ。
「そっかあ。もうこうなったらレオナルドさんに頼んで作ってもらおうかなあ、九ミリのショットシェル」
「そうだ! コンテさんは最近フレシェット弾の研究もなさってるらしいですから、聞いてみたらいいですよ。シスター・ジゼル」
「フレシェット弾?それってなんですか?」
「ふつうの弾薬は、一発で一個の弾頭を飛ばしますよね?フレシェット弾はですね、小さいダーツみたいな針を何本も、パッと撃ち出すんだそうですよ?」
”パッと” のところで両手を開き、ほがらかに説明するシーリアの言葉に、ジゼルの表情がみるみる、納得したというものに変わっていった。
「なるほど。主よ、感謝します! あなたはあたしがハンドガンを使う道を示してくださいました! ねえ。お姉ちゃんもそう……お姉ちゃん? どうしたの?」
姉が暗く落ち込んだ表情をしているのに気づいたジゼルが声をかけると、取ってつけたような笑顔のクラリスは「え、ええ……フレシェット弾ね。わたしも、試してみるといいと思うわ」といって立ち上がり、ジゼルにメンテナンスの終わったP239を手渡した。
「ジゼル。わたし用事を思い出したから、行くね。それではシスター・シーラ。わたしはこれで失礼します」
「用事って……お姉ちゃん、もうじきパパが来るんだよ?いっしょに出迎えてあげようよ!」
シーリアに会釈するのもそこそこに、だまって射撃練習場から立ち去ろうとする姉の唇が「ごめんね」という形に動くのを見たジゼルの心に、不安のかげりが舞った。
彼女はクラリスのああいう表情を、前に一度だけ見たことがある。
そのとき姉はフランベルの掟に従い、獣の軍団と戦うためにゲヘナに加わることをジゼルに知らせず、父には、人外との戦いに明け暮れるのはわたし一人でいい、ジゼルには女として、人並みの幸せな人生を送らせてあげてほしいとだけ告げ、妹の前から消えようとしていたのである。
それを知ったジゼルはクラリスに向かって生まれて初めて、われを忘れるほど激怒した。
「お姉ちゃんのバカ!大バカっ!! パパだけじゃなくてお姉ちゃんまで、ワケのわかんない怪物と戦おうとしてるのに、どうしてあたし一人だけ、普通に生きられると思うの?どうしてあたしを置いて行っちゃおうとするの? もうあたしは、お姉ちゃんの妹じゃないの?」
クラリス・フランベルという、この世の誰よりも愛する姉を守ることが、ゲヘナに加わっているただ一つの目的であるジゼルにとっては、リューポルドを倒すことすらも大して重要ではない。そんな彼女にクラリスが再び見せた、あの顔。
あの顔をしているときの姉は必ず、なにかよくないことを思い詰めている。
「待って、お姉ちゃんっ!」ジゼルは射撃練習場を飛び出しかけたが、もうあたりにクラリスの姿はなかった。
練習場を出てきたクラリスは、自分の心が不安に削られボロボロに崩れる挫折感を感じていた。
「主よ、わたしに道をお教えください。わたしの迷える目に、今こそ正しい道をお示しください……」
さまようクラリスの足は、反射的にベース内の礼拝堂に向かおうとしていた。そこで心の迷いを残らず懺悔すれば、ひとまず心が静まるだろうと思ったからだ。
が、とりあえず落ち着くためだけに祈ることと、ポジティブに行動した結果として不安を捨て去り自信を取り戻すことは、まったく意味が異なるし、いまは後者のほうが大事であることも理解しているつもりだった。
──だけど、わたしはどうすればいいの? もう、わたしにはわからない。今のわたしはもう、恐れを知らない戦士のように振る舞うことなんて、できない。
今のこの気持ちを、クラリスは誰かにぶちまけてしまいたかった。神ではなく、血の通った人間に不安も迷いも、心をすべてさらけ出してしまいたかった。
その相手はジゼルや父レオナールではない。心にこんな恐れを抱いてしまった悩みを肉親には、肉親だからこそ話せない。
あてもなくベース内をさまよい、数多くのエージェントたちとすれ違ううちに孤独感がますます広く大きくなるのを感じ、いたたまれなくなった彼女は、宿舎の自分の部屋に戻ろうとした。ベッドの脇にひざまづいて祈るにしろ、ぶっ倒れるまで体を動かすにしろ、もしかしたらベッドに倒れ込んで泣くにしろ、そこにいれば誰かに姿を見られずにすむ。
そう決めたクラリスが体をひるがえそうとしたその時、ここから逃げるように動くその脚を、ぴたりと止める声がした。
「そこにいるのはシスター・クラリスではなかろうか?」
ゆっくり振り向いたクラリスの前に、土と泥で汚れたタイトスーツの上から米軍の迷彩ジャケットをゆるく羽織り、 ”ここを撃て ” というロゴの入ったベースボールキャップをかぶったバーナビーが、ライフルケースを肩にかけたまま、いま畑仕事から帰ってきたというような、日なたの暖かさを帯びた笑顔を見せて立っていた。
「今のはレスターの声マネ。ちょっと似てただろ? 」
──ああ、主よ。どうしてこの人は。
「こないだ以来ゴタゴタしてて顔も見なかったが、調子はどうだクラリス? 」
──わたしが困っているときに限って現れるのでしょうか。
心細げに上がり、ためらって握られ、また開かれたクラリスの右手が、迷ったすえに、目の前の男の左手を取った。
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緑に覆われたアペニン山脈の山並みを指でなぞるような低高度で、暗いグレーに塗装された、一機のUH-60ブラックホークが飛んでいた。
"コントロールよりアークエンジェル。いまの位置を教えてくれ "
「アークエンジェルよりコントロール。ビーコンCを十五秒前に通過。《ロック》への推定到着時間は十三分後。飛行は順調」
《AIR POPE ONE》とでかでかとジョークを書き込んだヘルメットをかぶり、ヘリコプターよりはハーレー・ダビッドソンのほうが似合いそうな、みごとな肥満体のパイロットが通信を終えると、副操縦士に向かって何も言わずに左手を突き出し、すかさず手渡されたカートンから心ゆくまでストローでペプシを飲むと、はばかることなく高らかにゲップをした。
その後部座席で、この旅をとにかく無事に終えることができますように、娘たちに五体満足で再会できるようにと、レオナールは自分が尻をすえている座席からほんの十メートル、いや、五メートルもないようにも見えるところを、木々のこずえが緑色の染みにしか見えないような速さですっ飛んでいくのを見下ろしながら、もう何度目かわからない祈りをつぶやいた。
「あと十分で《ロック》に到着です。本日もヴァチカン・エアをご利用いただき、ありがとうございました。ご満足いただけましたか? レオナール司祭」
ヘルメットの無線からパイロットの陽気な声が聞こえ、ジェットコースターのようなアップダウンで胃が上下するのにうめきつつ、レオナールはなんとか気の利いたことを言ってやろうと努力した。
「ああ! もうちょっと……あと五百メートルくらい上を飛んでくれたらさらに満足だよ!」
「そんなんじゃただのヘリと変わらんでしょう! ”なんじは低きところを飛ぶものなり ” ってのが俺のモットーですからね!」
「そりゃだれの言葉だい? ヘリコプターの守護聖人?」
「アメリカ海兵隊ですよ! ところで司祭、そろそろお連れさまを起こしていただけますかね?」
言われたレオナールは隣のシートに座ったリーのほうを見るなり、あきれて首を振った。座席にゆるくあぐらをかいた姿勢ですっかり眠り込んだ老人が、機体の揺れに合わせて前後左右にこっくりこっくり、ベルトも締めないまま、気持ちよさげに体を揺らしている。
この揺れの中でどうやれば床に転げ落ちずに眠れるんだ? レオナールは、自身ではつきあいが長いと思っているこの老人が隠し持った驚異を、またほんの少し見た気がした。
「いやいい、ほっとくよ!着陸したら、この人は自分で起きるさ」それに、寝ておいたほうがいいだろうからな。眠る時間があるうちに。
「俺としちゃどっちでもいいですがね。おっと。最後の峰を越えるんで、ちょっと揺れますよ!」
またうめき声をあげるレオナールを尻目に「ハレルヤ! ヘリを讃えよ!!」と絶叫するパイロットに操られたブラックホークが斧の刃のようにきわだった岸壁を飛び越えると、”山 城” がついにレオナールの視界に入った。
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