4章の1
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第 4 章 ツ ー ク ・ ツ ヴ ァ ン ク
── イタリア ── ラツィオ州の北東部 アペニン山脈のどこか
周りのものが近寄りがたい決死の表情をしたジゼルが、両手でしっかりかまえたハンドガンで十五メートル先のマン・ターゲットを狙い、射撃練習場に立っていた。
パンッ!フィールドに銃声がひびき、彼女の足元に転がる空薬莢たちに新しい仲間が加わったが、かんじんの弾丸は標的を大きく外れて後ろの土手にめり込み、ポフッとはかない土煙を上げた。その様子をスポッタースコープで見ていたクラリスが、このうえなく優しい声で言った。
「あらあら、またはずれ。ねえジゼル?」
「はっ、はイぃっ! なんでしょうか、お姉様……」
「これで十五発連続ミスよ。あと五発はずしたら食後のデザート抜き一週間。でいいわよね?」
クラリスの笑顔と明るすぎる声に ” 本気でお仕置きモード ” のスイッチが入ったらしいと感じたジゼルが、姉の腰にすがりつかんばかりの哀れさで抗議した。
「やだやだぁーッ! デザート抜きだけはいやあーんッ!!」
「だったら標的に当てなさい。弾がもったいないでしょ。だいたいどこを狙えばああなるの?」
「ひどいよお姉ちゃん……あたしマジメにやってるよ? きっとこの銃、調子が悪いんだよ……」
一ヶ月に百発。ゲヘナのエージェントに課された射撃練習のノルマは、自分をひそかに ” 銃に見放された女 ” と呼び、自分でも理解不能なほど銃という武器との相性が悪いジゼルにとっては拷問だった。なにしろターゲットをがんばって狙えば狙うほど、弾丸はあさっての方向に飛んでいってしまう。
いちおう彼女の戦闘装備には最低限の護身用として、体術の駆動にひびかない小型のハンドガン──SIG P239──が入っているが、ジゼルはヒップホルスターに収まったそれを戦闘で使った記憶が一回もないばかりか、へたをすると現場に持っていくのさえ忘れてしまう。
そんなジゼルの射撃練習に付きあうのがゲヘナ全体でもトップ三人の内に入るハンドガンの名手、もと軍人の男性エージェントも射撃指南を受けにくるほどのクラリスなのだ。射撃場で銃を握っているときのジゼルは、あまりにも肩身が狭いので、ただでも小さい身体がさらに小さく見えるほど意気消沈しているのが常だった。
「銃のせいにしないの。ちょっと貸して」
「うん……」
クラリスにP239を渡し、後ろに下がってベンチに座ったジゼルは、持ってきた魔法瓶から暖かなレモネードを紙コップに注いで飲みながら、カチューシャで髪をアップにした姉がハンドガンをあっという間に通常分解して各所をチェックし、発射状態まで組み立てるのを見まもった。
九ミリ弾をフルロードした弾倉をグリップに押し込み、一度スライドを引き、スライドロックを解除して初弾をチャンバーに送るまでを流れるような動作でこなしたクラリスは、すいっと銃を持ちあげてターゲットに向けると、いきなり全弾八発を撃ちつくした。
サブマシンガンのような一続きの銃声とともに、ターゲット用紙の頭部に四つ、両肩に一つづつ、心臓の位置に二つの穴がビシビシと空いていくのを見たジゼルの口がパカッと開いた。
「べつに、どこも調子悪くないわよ?」
「ですよね……あーもうっ、ダガースロウならお姉ちゃんに負けないのにーっ!」
髪をかきむしってから全力でうなだれたジゼルを見たクラリスはしょうがないという風に肩をすくめると、妹のとなりに腰を下ろし、頭をなでてやりながら話しかけた。
「ねえジゼル。ペイルホース計画の本番は近いの。あなたが射撃は苦手なのは分かってる。でも全員が少しでも個人スキルを上げれば戦いは有利になるし、戦場であなた一人になっても、生き残る可能性が上がるの。だからがんばろ?」
「それって、お姉ちゃんが死んじゃうかもしれないってこと?」
驚いて顔を上げたジゼルの表情に、人は死ぬものだと、今はじめて知ったというような切迫感があった。
「それは……わたしだけじゃないわ。誰だって……」
こんどの作戦では命を落とすかもしれない。妹をはげますつもりが、気まずいほうへ話題を振ってしまったと気づいたクラリスの手が、無意識のうちにテーブルの上に置いたP239を分解し始めた。ついでに、銃のクリーニングをしてあげよう。そうすればこの銃も少しは、ジゼルの言うことを聞いてくれるかもしれない。
「お姉ちゃん。お願いがあるの」
「なに? ジージちゃん」
まだふたりが幼かったころ、自分のあとをどこまでも付いてくるジゼルにクラリスがつけた、二人だけがわかる秘密のあだ名で、姉は妹を呼んだ。
「お姉ちゃんに、その子をメンテしてほしいの。お姉ちゃんがしてくれたらあたし、その銃をもっとうまく使える気がする。あたしがやったら、きっと部品が足りなくなるから」
ぜったいに死なないでとは言えなくて、こんな言葉でごまかしたジゼルのハートのおくそこに、姉を守ることにつながるならトリガーを引く力のあるかぎり、銃の訓練をしてやろうという決意が生まれた。
「いいよ。してあげる。でもそのかわり、もう銃の調子が悪いって言い訳はきかないよ?」
それを聞いてにっこり笑ったジゼルが言った。
「わかった。ところでお姉ちゃん、パパは今日ここに着くよね?」
「そう思う。香港からのメンバーはそろそろローマに着くころよ。パパもだけど、マスター・リーもお元気だといいわね」
「げげッそうか! リーおじいちゃんもいっしょに来るんだ。うわぁー! また組み手の最中におしり触られるのイヤー!!」
そのとき、青空に向かって叫ぶジゼルの背後から、いかにも血圧の低そうな眠い目をした少女がしずかに射撃場に入ってくると、二人を見つけて会釈した。
「あぁ…………これはごぶさたですねぇ……シスター・クラリスにシスター・ジゼル」
「シスター・シーラ! お元気でしたか。いつこちらに?」
手を止めたクラリスが、新参のシスター──ゲヘナ北米支部のトップエージェント、シーリア・ウェイファラー──のそばに歩み寄った。
「はぃ、それはけさの三時半ごろで……恥ずかしながらわたくし、さっきまで時差ボケで寝ておりましたぁ……で、眠気ざましに射撃でもしようと思いましてぇ……」
と言ったシーリアは、ぎょっとするクラリスとジゼルの目の前で、戦闘用タイトスーツの背中から、一挺のベネリM2タクティカルショットガン・カスタムを、ブロード・ソードを抜く戦士のように、ずらりと引き抜いた。
ペイルホース計画の発動準備が宣言されてから、九十六時間後。
ここ、アペニン山脈のまっただ中にあるゲヘナのメインベース、通称 ” 山 城” には、ローマのゲヘナ・セントラルのエージェントと支援要員たちの全員がすでに移動していた。今はそこに北米と極東支部から召集を受けた主要メンバーたちが合流を完了するのを待っているところで、事態はいわゆる、嵐の前の静けさにある。
しかし、リューポルドがアメリカにいることがわかっても、それがアメリカのどこなのかを詳しく調べなければ、猟犬の群れを送り込むことはできない。この静けさの裏でローマ教皇庁は、アメリカ国内でおそらく南北戦争以来の大騒ぎを引き起こすこと確実な計画を実行する前に、合衆国政府に対して入念に根回し外交を繰り広げていた。
じっさい、イタリア政府を通じて極秘にヴァチカンに呼び出され、山のような資料を前に、十六世紀に端を発する物語を二日間のあいだ聞かされ続けた駐伊アメリカ大使は、この話を病院送りにされずに大統領に持っていくにはどうすればいいのか、頭を抱えているところだった。
●ツーク・ツヴァンクとは、チェス用語で「動きたくないが動かざるを得ない」状況のことです。
●SIG P239=ジゼルの持つ小型ハンドガン。
●ベネリM2タクティカル・セミオートショットガン=シーリアの武器。ポンプアクション不要な半自動ショットガン。
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