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クロイツェル・バレット 掃討の聖約者  作者: 美濃勇侍
第1章 ヤクト・シスター
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1章の1

ベテシメシの人々で主の箱の中を見たものがあったので、主はこれを撃たれた。すなわち、民のうち七十人を撃たれた。

── 旧約聖書 サムエル記 六章十九節


第 1 章 ヤ ク ト ・ シ ス タ ー


 1   


── 二十一世紀のいま ── ドイツ共和国 南バイエルン オーバーザルツブルグ


 ヨーロッパアルプスの麓にひっそりともたれるように広がった谷あいに、その村は張りついていた。


 施設といえば雑貨屋、食料品店、郵便局の三軒と、宿屋と居酒屋を兼ねたガストハウスが一軒、それに小さな教会がひとつきり。

 あとは観光用絵はがきにでも出てきそうなチロル風のがっしりした民家の建ち並ぶ、ドイツのこの地方では普通な、いまが二十一世紀だということを忘れているような寒村。


 夏が去り秋を迎えれば、この地を雪の下に押し込めてしまう厳しい季節の足音が聞こえてくるのは、他よりひとあしもふたあしも早い。

 そんな冬の訪れを近く感じさせる肌寒さのなか、唇から小さくかぼそく、だが澄みきった歌声で賛美歌──主よ、みもとに近づかん──をくちずさみながら、村に向かって伸びる半舗装の道を、ひとりの少女が歩いていた。


 歌うあいまにかすかな白い吐息を吐きながら、叩けばキンッと鳴りそうな寒夜に光る半月を見上げるグリーンの瞳は意志と聡明さをもって開かれ、白磁のような白い肌を持つ幼げな顔立ちは、これから花開き成熟する前の女だけが持てる、まだ固く締まった花のつぼみのような可憐さをたたえている。

 今ここで彼女とすれちがう誰かがいたとしたなら、その者はおそらく自分はシスター(修道女)に行き合ったのだと思い、街灯など一本たりとも立っていないこの夜道を、神のしもべが無事に歩めるようにと祈ったかもしれない。


 事実、この少女は聖職の身にあった。

 だが高度五千メートルを飛ぶ輸送機からのパラシュートによるHALO(高高度降下・低高度開傘)という、修道女のイメージから激しく逸脱した手段でこの地に舞い降りた彼女は、ただの修道女ではなかった。

 

 所定の降下地点から歩いて数十分、最終待機点として指定された小高い丘の頂に立ち、闇の中で身を寄せ合うような寒村の灯りを見おろした少女は、耳元の髪に隠れた小型ヘッドセットにささやきを送り込んだ。

「ビッグシスターよりバルタザール。最終待機点に到着。目標の村を視認しました」

『こちらバルタザール。了解した』

 報告に対して返ってきた男の声にかぶせるように、階調で言えばややアルトの、丘に立つ少女がよく聞き知った声が聞こえた。

『リトルシスターよりバルタザール。こちらもおなじく最終待機中』

『了解、バルタザールからシスターズ。オメガ・ポイントへ突入し、予定どおり実 行(エクゼキュート)せよ。主のご加護を』

「ビッグシスター了解」

『リトルシスター了解。これより潜入開始』

 そのとき、谷をわたって丘の下からかけあがった風が、通信を切った少女の背中に流れ落ちる髪をザッと吹き乱す。

 なかば目を閉じ、舞い跳ねる髪の束をえり元で押さえた彼女は、もういちど半月を見上げた。


──今夜はやつら(・・・)を何匹狩れるだろう。三十? それとも四十? でもそんなのは、考えるだけ無駄なこと。たとえやつらが何匹いようと、わたしの務めには何のちがいも変更もありえない。最後の一匹までやつらを滅ぼし尽くす。それが、わたしの努めのすべて(・・・・・・)


 いらぬ思いを風に乗せて捨て、またかすかな歌声を夜気のなかに放ちながらゆっくりと丘をくだり、これから住人をひとり残らず殲滅しつくす予定の村へ前進を再開した少女はまちがいなく修道女だったが、断じて普通の修道女ではなかった。


 琥珀のように深い栗色の髪を月光に洗う彼女は武装修道女(アームド・シスター)

 神をたたえて歌いながら夜をゆく祓魔の狩人(エクソシスト)だった。


 2


 店内から漏れる男たちの胴間声を聞きながらオメガ・ポイント ── 村に一軒だけのガストハウス── の前に立ち、その丸太組みの外壁に《孤狼亭》という店名入りの木板がクギ打たれているのを見かけた少女のくちもとに、ちょっと面白いものを見かけたというようなわずかな笑みが浮かぶ。


 だが、はるか昔に生木を削って作られたゴツい取っ手を握った彼女がドアを押して店内に踏み込む時には、その淡い笑みは手のひらに落ちた雪のように残らず消えている。

 かわってその表情に現れていたのは、やや世間知らずで、大人の男しかいないガストハウスを勇気を出して訪れた少女という擬態(・・)だった。


「こんばんは。夜遅くにすみませんが、ここは宿屋ですか?」


 ひとつまみの不安をまぶした少女の声が遠慮がちに響きわたると、店内にいた数十人の男たちがいっせいに、一陣の寒風とともに居酒屋を訪れた珍客に向かって目を向ける。

 現代の流行から百年は遅れたような古めかしいコートを着こみ、細い指には指輪の一つもなく、ハンドバッグすら持たぬ少女。


 コートのすそからのぞく黒いスカートはレース飾りのひとつもなく、どこかの屋敷のメイドと比べても地味だったし、上から下まで見渡しても、少女の全身で最もしゃれっ気がある部分と言えば、ロングヘアを留めたベネチアン・ロッソのカチューシャぐらいしかない。

 少しの香水の香りもさせず、まるで化粧気を感じさせない顔とあいまって、中世の尼僧のような禁欲ぶりを漂わせるその声や姿は、その場の誰の警戒心も呼び起こさなかったが、ただ彼女は全員の注目を浴び、全員の食欲(・・)を刺激した。

 そう、やつらは化粧をしない女を好む(・・・・・・・・・・)のだ。くさい匂いがしないから。


“ バイエルンはドカ雪でもいい天気! だってそれが普通だから! ” という文字が入ったエプロンをつけた太鼓腹の中年男が店の奥から現れて、善人まる出しの笑顔を見せた。

「そうだよお嬢ちゃん。誰を訪ねてきたのかな?」

「教会のファーザー・アルノーを。わたしは孫娘です」

「彼のことは残念だったね。この村のものはみんな、彼が大好きだったよ」少女の言葉を聞いた “ ドカ雪男 ” は一瞬目を伏せて、顔を曇らせる。


 村の教会に赴任して三ヶ月後に不慮の事故死を遂げた神父アルノーを、ある者はジョッキをかかげ、ある者は目を伏せ、その場の男たちすべてが悼んだが、アルノーにたいして祈る者はいなかった(・・・・・・・・・)。ただの一人も。

「わたし、アルノーおじいさまがいた村を見たくて来ました。教会は誰もいなかったから、ここにお部屋があればと」

「もちろんあるとも。今は飲んだくればっかりでも、ここはいちおう宿屋だよ」

「いちおう一八八十年から宿屋だわな!」

 だれかが飛ばした冗談に大爆笑しつつ、人でなしども(・・・・・・)はごきげんに、巨大なジョッキからビールを消費する作業に戻ろうとしはじめた。思わぬ上質な獲物が現れた。明日の夜は楽しくなるだろう、とでも言いたげに。

 

「ありがとうございます。荷物は明日教会に届くはずなので、コートだけ預かっていただけますか?」

 そう言った少女は前ボタンをはずし、肩をゆすって上着から袖を抜きかけたが、そこで手元を狂わせたのか、年季の入った木の床にコートをバサリと落とした。

「おっとっと」

 身をかがめて床に落ちた服を拾ってやり、顔を上げかけた店主の感情と神経は、少女が上着の下に隠していたものを見たとたん、液体窒素を注ぎ込まれたように凍りついた。


 どこまでも細身だが、年相応の柔らかそうなふくらみに満ちた身体の曲線にまといつく、黒いタートルネックセーター。

 その両肩から装着された革製のマガジンホルスターに、いくつあるのかわからないほど収まっている、ぎらりと鈍く光るハンドガンの弾倉(・・・・・・・・)

 そして細くくびれた少女の腰を一周しているのは、やはりいくつかのホルダーに弾倉が収まった、革製のガンベルト。


 少女の可憐さとあまりにも噛み合わない武装ぶりに現実感を失って混乱した店主は、傲然と彼を見おろすものの目を見た瞬間、終わりが来たことを悟った。

 ついさっきまで幼さと少しの不安げな気持ちを漂わせていた少女の瞳はいま、汚物を見るがごとき蔑みと憎悪をたたえた底なしの殺意を見えない焔のように放射し、敵を前にした兵 士(イェーガー)のように無慈悲な表情は、店主に向かって ” わたしがお前の死だ ” と告げていた。

 

 全身をつらぬく終末の予感に脂汗を流しつつ、両手を腰のあたりでゆるく遊ばせている少女の胸元で光る銀のロザリオと、そのロザリオに巻き付くヘビのように " Ash to Ash(灰 は 灰 に) " の言葉がかたどられているのを見たとたん、気のいい居酒屋兼宿屋の主人だった中年男は、鼻をヒクつかせ、上唇をめくりあげ、やけに犬歯の長い歯ぐきをむき出しにした怒る犬のような表情で、店じゅうに向かって最後の叫びを放った──

「お前ら気をつけろッ!」


──瞬間。店主に向けて鞭のようにしなる少女の左腕。その先に突然現れたハンドガンの銃口に眉間を捕捉された男の怒号は、恐怖の喘ぎの中に消えていく。


「 “ゲヘナ” だ! このガキは……ゲヘナの……」


 店主の怒鳴り声を聞き、はじけるように振り向いた者たちの耳が捉えたのは、気圧が上がったかのように張りつめた沈黙の中で撃鉄が起こされる音と、鈴の転がるようなソプラノの声。


「グーテン・アペティート(召しあがれ)」


 そして、なんの躊躇いもなくトリガーを絞る少女の指に従い、ジェリコ941ハンドガンは 炎と轟音と弾丸を一度に吐き出し、後頭部に空けられた大穴から骨と血と脳髄のシェイクを噴き出した店主の身体が腐った木のように横倒れてゆく。

 イジェクトされた空薬莢が床に落ちるまでのさらなる一瞬、右手でもう一挺のジェリコをヒップホルスターから抜き放った少女は、腰の後ろに右手を回し、顔は正面を向いた姿勢のまま、自分の左側面で木製のイスを振り上げ、投げつけようとしている男の左胸に九ミリ強装弾(ホット・パラ)を二発撃ち込んだ。


 着弾の衝撃で背後の壁に叩きつけられた男の服の下から噴き上がる、青緑色の炎。


 その奇妙な色の炎は衣服を燃やさず、男の体細胞だけをグズグズに泡立ち腐らせ、灼き焦がしながら、またたく間に撃たれたものの全身にひろがってゆく。

 燃え崩れてゆく男の絶叫が響きわたる中、最初に撃った店主が燃え尽きた後に残った、くさい煙の立ちのぼるエビ茶色の土のような燃えカスをブーツのヒールで踏みにじる少女の目前で、二人の同族を瞬く間に屠られた怒りのままにそれまでの外見を捨てた生き物たちが、人間以外のものになりつつあった。

 その体格は衣服をめりめりと破りながら膨張して、元から二回りほど逞しくなり、むき出しになった腕も脚も、ライオンのたてがみのような毛がみっしりと生えはじめた。

 顔の内側からパキポキと骨の鳴る音をさせながら、鼻と口が前に向かって変形するにつれ、耳は後ろに吊り上げられて長く伸び、牙をむいた唇はおびただしい涎を垂らしつつ、耳まで届くほどに裂けてゆく。

 そんなおぞましい光景を見つめながら、少女は待った。本来ならすぐにでも、ハンドガンを向けて銃弾を叩き込み、奴らを腐った土に戻してやっても構わない。だが少女は、奴らに答えさせねばならない問いがあった。撃つのは、その答えを聞いてからでも遅くない。


「グ ロ ロ ル ブ ル ア ァっ! ぎざまぁっ!! ヴァチカンのメス猟犬めがぁああっ!!!」

 わずか数秒で変体を終え、瞳が縦に割れた獣の眼を光らせる者どもの一人が、少女を威圧するように見下ろしながら、丸太小屋の窓ガラスが振動するほど吠え猛ったが、群れならぶ獣人を前にしても、ハンドガンを持つ両手を下げた少女の顔には恐れも脅えも見えないどころか、人ならぬ赤に染まった獣眼を真っ向から見すえながら返された少女の声には、なんの感情もなかった。


「答えなさい、ライカンスロープ。リューポルド(・・・・・・)はどこ?」


 人間に似てはいるが人間のものではない発音で叫ぶけだものが、床をズンと踏み鳴らしてにじり寄り、吠えた。

「ブルアアァッ! 舐めるなよ、メスガギ!! 今が半月とは言え、お前のような小娘をだっだひどりでよごずどは笑わせる!」

「ひとりなわけないでしょ? もうこの村は包囲しました。一年のあいだに神父をふたりも殺しておいて、わたしたちが気づかないままでいると思ったの? 舐めるなっていうのは──」


 言葉を継ぐひと呼吸のあいまに、少女の手がふたつの銃口を跳ね上げた。


「 ──悪いけどこっちのセリフよ。これからわたしはお前たちを狩る。その汚れきった魂を一ミリでも救おうと思うのなら、せめてあの裏切り者(・・・・)の居場所を吐いてから地獄へ堕ちなさい」

 同時にパタタタッ、タタタッと自動火器の発射音があちこちで聞こえはじめ、死にゆくライカンスロープの咆吼がなんどもなんども響いた。

 少女の言うとおり、いまや村内では狩りが始まっていた。このようすだと村の建物は一軒残らず襲撃を受けているだろう。

「グォオウゥルアァッ!! ならばぜめて小娘、ぎざまだけでもブッ殺すぅ! ボロクソに犯しまくりながらぁ、生きたまま頭の先から……」

 その瞬間、吠え猛るものの脳天からノドに向かって、優雅に反りが入った日本刀がカ ツ ン ッ と固い音を立てて貫通し、串刺された獣人の赤い眼球がグルンッと白目をむいた。



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