第169話 帝国の破壊者②
「済まないアルテミス……やはりお前や、義親父殿を巻き込む訳にはいかない」
自室に呼んだ妻に対し、俺は開口一番そう切り出した。
悲しげな表情で黙って聞いているだけの彼女に、俺は続けてこの後の行動について説明する。
「恐らくマルス経由で、俺が反乱の意志を示した事は皇帝にも既に伝わっている筈だ。ダークエルフの部族に対する説得も失敗した。もし義親父殿の兵を借りられるとしても、ここの兵と合わせて二千そこそこしか集められないのが現状だ。このうえは、義親父殿に出頭して、皇帝の元に送り届けてもらうつもりでいる……」
俺は、ただ淡々とそう説明する。決定事項かのように言ってみせた理由は、彼女に反論を許さない為だ。
しかし、そんな俺の考えを他所に黙って聞いているだけだったアルテミスは、急に怒りを露にして叫びだした。
「何を言っているのよレオン! 私は、貴方と運命を共にすると決めたの! 例えお父様が味方にならないと言ったとしても、私は、最後まで貴方の側から離れたりしないわ!」
「俺の事をそう呼ぶのは、学生の時以来だな……ありがとうアルテミス。だが、俺の気持ちもわかって欲しい……」
俺はそう言いかけて、その先を続けるのを躊躇した。
怖かったんだ。彼女にもまたバラクの時のように、裏切られる事になるんじゃなかろうか。そんな考えが頭を過り、俺は彼女の言葉を信じようとする事さえ恐れていた。
俺が言葉を続ければ続ける程、意固地になった彼女は余計に引っ込みが付かなくなってしまうに違いない。
アルテミスには生きていて欲しいし、自分が信じていた彼女のままで別れたい。
下手に一緒に居続けても、結局最後に裏切られる事になるくらいなら、ここで綺麗に別れて彼女に対して良い感情を持ったままでいたい。
俺は、それ以上何も言わずに、ただ彼女に対し笑顔を向けようと努めた。
彼女も、そんな俺の気持ちを理解したのか、悲しげな顔をしながら黙って部屋を出ていってしまった。
その後すぐに、俺は義親父殿が居城とする城へと向かった。
出頭した俺に対し、義親父殿は複雑な表情を向け問いかける。
「本当に良いのですか? 私は、娘と同様に婿殿と戦うつもりでいたのですが……」
「ええ、やはり何のしがらみも無いグリーラッド領の人々を、ある意味帝位争いの延長戦のような今回の件に巻き込んで、逆賊として大勢死なせるわけにはいきませんので。それに義兄さん達も、アルテミスや義親父殿と同じ考えだとは思えませんしね」
正直アルテミスの兄妹達が、元皇太子であった俺の事を迷惑がっていたのは知っていた。
義親父殿だって建前上そう言っただけで、本音としては今回俺が下した決断を歓迎しているに違いない。
早速、義親父殿によって伝聞鳥が帝都に向けて送られる。マルスの軍に対しては早馬が走らされた。
そして、俺はそのまま義親父殿の元で蟄居状態となった。
帝都に向けて護送される日。俺は、囚人扱いではあるものの、一応は貴人としてそれなりの馬車に乗せられ移動を始めていた。
皇帝の指示によって俺が一旦送られる先は、弟のマルスの所である。
俺の領地から見送りに来たのは、館で執事を務めるミュラーただ一人だけだった。
今生の別れになるのは確実であるにも拘わらず、最後に愛する妻に会えなかった事は残念に思うが。彼女も、俺との別れが辛かったのだろう。
妻の気持ちも察すると、俺は彼女を恨む気にはなれなかった。
それから五日程の旅路を経て、俺は弟のマルスが率いる軍の陣営に到着した。
俺の顔を見るなり、マルスは侮蔑の表情を向けながら言う。
「本当に自分の無能さを理解していていない人間ほど、質の悪いものなどないな。帝位争いからも脱落し、ろくな力も無いくせに再び皇帝の座に就く夢でも見ていたのか? 今からでも遅くはない。皇帝陛下に心から謝罪すれば、命くらいは助けてもらえるかもしれないぜ」
俺は別に、最初から帝位などには興味がない。脱落した訳ではなく、自分から手を引いたのだ。
確かに、その気にさせる為に「お前の方が皇帝としての才能が有る」なんて事を言って煽ててみせたりもしたが。まさかそれを、ずっと真に受けていたなんて、おめでたい脳みそにも程がある。
それに、お前だって俺が学園に入りサポートに回れなくなった途端、帝位争いから一気に脱落したじゃないか。
そうは思いつつも、俺はマルスの冷ややかな言葉を黙って受け流していた。
そんな俺に対し弟は「ふんっ」と鼻息を鳴らすだけで、冷たく監視役に俺を移動させるよう命じた。
監視役を付けられ、一旦テントに移された俺だったが。夜になって突然それは起きた。
急に外の様子が騒がしくなり、次第に兵士達の怒号が飛び交い始める。どうやら何者かによる、夜襲が行われているようであった。
外に居た監視役のものと思われる悲鳴が響き、テントの幕が勢い良く開け放たれる。
「レオン!」
中に飛び込んできたのは、短剣を持ったアルテミスと重武装に身を包んだミュラーだった。
「良かった! 間に合ったわ! さぁ、早く行くわよ!」
「どうして……こんな馬鹿な真似を……」
思わずそう言ちた俺の腕を、アルテミスは無理やり引っ張っていく。
外に連れ出された俺は覚悟を決め、用意されていた馬に跨がった。
駆け出すと同時にアルテミスは叫ぶ。
「全軍撤退!」
彼女の命に従い、混乱する帝国軍兵士を蹂躙していた味方の騎兵達は、一斉に同じ方向へと駆け始める。
「これで本当に、運命を共にする事になってしまったな……」
馬を駆り夢中で撤退する最中、俺は独りそう言ちるのだった。




