第162話 聖女の言葉
きちんと話さなければならない。
ヴィルは、三人だけになった直後にそう思う。
彼としても、自身が聖女と崇めるアルに対し、それを伝えるのは非常に心苦しいと感じていたが。一国の王として、政治的な務めは果たさなければならなかった。
本来それは夫であるディールの仕事であったが、そもそも本人があまり乗り気ではないのである。
その理由が彼の妻に有る事も一因である以上、ここで彼女の方を説得できなければ最終的に話が頓挫する可能性が高い。
急に思い悩む様子となるアメリア王国の国王を、心配そうに見つめるアル。
しかし、彼女がそうしていたのは、別に彼の事を気遣った訳ではなく。例の話を切り出されるのではないか、という心配からであった。
「聖女よ!」
意を決してようやく口を開くヴィルに対し、即座に反応して作り笑いを浮かべながら返すアル。
「聖女じゃありませんけど、何ですか? ヴィルさん! ヴィセちゃんの事なら、絶対にダメですからね!」
ヴィルは、相手から先に牽制され一瞬困惑するも、ここで怯んでは王としての務めを果たすことができないと奮起する。
「世界の秩序と平和を守るためには、必要な事なのです」
「何を言ってるんですか? そんなのは王様達が頑張れば良いだけの話じゃないですか。ディール様にばかり、負担をかけさせないでください!」
負担という言葉に思うところがあったのか、ヴィルは一瞬だけ気勢を削がれた様子になる。
実際にサマルキアの英雄抜きでは、魔王もハルバの使徒達も倒す事などできないのは確かだ。
そう考えると、彼に頼りきりになっているのも事実。しかし、そうせざるを得ない以上ヴィルとしては、ここで引く訳にはいかなかった。
「確かにそのとおりです。しかし、我々王家の力では、魔王すらどうする事もできない。というのを今回の件で痛いぼど学びました。したがって、旦那様に負担をかけているのは認めますが、我々としてもそうせざるを得ないのです」
「何か勘違いしてませんか?」
即座にそう返すアル。
自分としては、十分理解していたうえでの回答だった。と考えていたヴィルは、困惑の様子を隠せない様子だ。
ディールは、妻が嫉妬から我が儘を言っているだけなのだろうと考え、彼女の気持ちは理解しつつも呆れた表情を浮かべていた。
しかし、そんな風に考えていた二人は、次に彼女が発した言葉により、自身の考えが間違っていたという事に気づかされる。
「魔王も使徒達も、ディール様一人で簡単にどうとでもなります。問題なのは、しがらみを持つ事なんじゃないでしょうか。ただ、世界を平和にしたいだけだと言うのなら、ディール様の事を自分達の側に取り込もうとする必要なんてありませんよね?」
アルは、そう言いながら同意を求めるように、旦那様に対して視線を送る。ディール本人ですら曖昧に考えていた部分を、彼女は鋭く指摘してきたのだ。
姿かたちが人である以上、これまで人としての在り方を模索してきたディール。
しかし、妻の言葉により、改めて試練の塔で見せられた事について彼は考えさせられる。
人として、それに敵対する存在を駆逐していく事が、本当に世界にとって正しい事なのだろうか?
マスタードラゴンは、自身がこの世界に住む全ての者達の味方だと言っていた。
今までは、至極当然のようにそうしてきた訳だが。試練の塔を経験して以来、彼の心の中にそういった迷いが生じていた事だけは確かだった。
「アル! お前が言いたい事は何となくわかる。だが、人として、人の為に生きていきたいっていう俺の気持ちは、そこまで間違っている事なのか?」
思わずそう問いかけるディールに対し、アルの出した答えは意外なものであった。
「間違ってなんかいませんよ。ディール様がそう思うのなら、それで良いと思います。でも、お二人にちょっと訊ねたいんですけど」
全く否定しないアルに驚きつつも、彼女の問いに対して「なんだ?」と即座に返事をするディール。
自分は蚊帳の外だと思っていたヴィルも、唐突に巻き込まれ困惑した様子で頷く。
「自分や、自分の大切な人が、もし魔物とかに襲われそうになったら容赦なく殺しますよね?」
「ああ、そうだな」
「じゃあ、ディール様とヴィルさんが、魔族と戦う理由って何ですか?」
「そりゃ奴らが、人にとって害を及ぼす存在だからだ」
「本当にそれだけでしょうか? ヴィルさんは、どうですか?」
今度は自分に振られ、ヴィルは僅かに考える様子を見せた後で答える。
「私も、ディール殿と同じ意見ですが……」
「それじゃ彼らはどうして、人間に害を及ぼそうとするのですか? それは、人間が彼らを迫害したからですよね? じゃあ、どうして人間は彼らを迫害するようになったと思います?」
その問いに対して、ディールは何となくではあったが彼女の言いたい事を理解する。
ヴィルは、全く理解不能だといった感じで困惑している様子だ。
「恐いから……人よりも強い魔力を持っていて、強力な魔法を扱える彼らを、人間は恐れたからではないのでしょうか。要するに、最初のきっかけは大した理由ではなく。単純に、得たいの知れないものに対する恐れからだったんだと思いますよ」
彼女が言いたい事は何となくわかる。しかし、それと王女の件と、一体どのような関係が有るのだろうか。
そう思い、例え聖女の言葉といえど納得のいかないヴィルはその真意について問う。
「言いたい事は何となくわかります。しかし、それとヴァイセリーナの婚姻の件と、どういった関係が有ると言うのです?」
「ディール様の意志が伴っているかどうか。ディール様が、本当はどうしたいと思っているのか。それが抜け落ちている事が問題なんですよ。力を持った者が、ただの器じゃ駄目なんだと思います」
ヴィルの質問に対しそう答えたアルは、改まってディールの方に向き直り彼をじっと見つめる。
天然キャラだと思っていた彼女が、小難しい言葉を並べた事に困惑しつつも、ディールはその問いに対して真剣に考える姿勢を見せる。
しかし、一向に答える様子の無い旦那様に、アルは具体的な質問を投げ掛けた。
「ディール様は、この領地を守りたいですか? 守る為の選択肢として、アメリア王国とこれ以上戦争する事を望みませんか?」
婚姻を断るという事は、即ちそういう事である。
ヴィルが先に言っていたとおり、アメリア王国側としても立場が有るのだ。
緩衝地帯として独立させるにしても、全く無関係の者が王として立てられる訳でもなければ、相手の立場からしてとても納得できる話ではない。
その事をしっかり理解していたアルは、敢えてストレートに訊いた。愛する旦那様が、自分の気持ちと真剣に向き合えるように。




