第106話 うっかり者の騎士候補生
「今回は挨拶していかなくても良かったのか?」
村から少し離れた場所で野宿する事にしたディールとアルの二人。
準備ができたところで話を始めた夫は、そんなわかりきった事を愛する妻に対して訊ねていた。
その質問に対するアルの答えは、当然それを肯定するものであった。
「当たり前じゃないですか! 私の事を、レベッカの身代わりにしようとしたんですからね。もう完全に、あの村の人達には何の感情もありません」
そう多少の怒りを滲ませながらも、笑顔を向けて決意を述べるアルに対し、ディールは自身の判断が正しかったという事を確信する。
少し安心した様子を見せるディールに対して、アルは更に言葉を続けた。
「それに私、とっても嬉しかったんです。ディール様が、そんなに私の事を大切に思っていてくれてたんだなって……その事が今回の件で良くわかりましたからね……」
アルはそう言った後で僅かに沈黙する。
それから、急に頬を赤く染めあげた彼女は、意を決したように自身の思いを彼に告白する。
「私にとっての大切な人も、ディール様だけですよ! あなたが側に居てくれさえすれば、それだけで私は幸せです」
最後にそう付け加えられ、気恥ずかしくなるディール。我ながら柄にも無いことをしたと、改めて彼は思うのだった。
☆☆☆
ギルビーに対して傭兵団メンバー達のその後を調査するよう指示を出したガルドは、一旦ゴッドディルの町に戻っていた。
主人からしっかり休むように言われてはいたものの、何処となく落ち着かない彼は結局普段の業務に戻る事にした。
「ガルドさん! 新しく入った兵士達のリストは、もう確認されましたか?」
用が有るといって執務室にやって来たハンスが、溜まっていた書類の整理をしている軍団長に対してそう問いかける。
「新人の資料ついてはもう見たが、それがどかしたのか?」
「その中に、獣人族の女が三人ほど載っていましたよね?」
ハンスにそう問われ、怪訝な顔をするガルド。
見落としなどない筈だったが、彼の言うリストに三人の獣人族の情報が載っている物などなかったのだ。
「いや……その資料については全部見た筈だが。項目に獣人族だと書いている者などは、一人も居なかったようだぞ?」
「あれ? おかしいな……一応気を遣って、ガルドさんの方に配属するように言っておいたはずなんですけど……」
「では手違いで、マイティス殿の部隊に資料が回ってしまったという事ではないのか?」
「そうかも知れませんね。では、ちょっと行って確認してきます!」
そう言ってガルドが止めようとするよりも早く、ハンスは執務室を出て行ってしまう。
特に政務に問題は無いと判断したエマは、マイティスに対して先に休暇を取るよう勧めていた。
その件についてディールの許可も取れていた為、マイティスは彼女の言葉に甘え、先に休暇に入っていたのである。
第二軍団の長である彼も休暇中である為、せっかくの家族団欒を邪魔する事になっては悪いとガルドは咄嗟に思ったのだが。
ライバルであるマギが戻ってき次第、その彼が騎士として叙任される事を聞いていたハンスは、どうしても発言力の有るガルドに対して得点稼ぎをしたいと思っていたようだ。
行ってしまったものは仕方がないとばかりに、ガルドはハンスが同僚の軍団長に対してなるべく迷惑をかけない事を祈る。
「獣人族の兵士が三人入ったのか……生き残った傭兵団のメンバー達の消息も掴めれば、また獣牙の部隊を復活させる事も出来るかも知れないな」
ガルドは、一人残った執務室でそう独り言ちながら、再びかつての部隊が再興する事を想像していた。
執務室を急いで出て行ったハンスは、町の中心部にあるマイティスの屋敷に向かった。
誤って紛れてしまった、獣人族達の資料を回収する為である。
屋敷に着いたハンスが玄関の呼び鈴を鳴らすと、マイティスの妻が出てきて彼の応対をする。
「あら、ハンス君じゃない。主人に何か用かしら?」
「ええ、どうしても急いで確認したい事がありまして……」
急用だと聞いて、穏和な性格の彼女は嫌な顔一つせず、主人に客が来た事を伝えに行く。
しばらくしてハンスは、応接間へと案内された。
待つこと数分。部屋に入って来たマイティスは、穏やかな表情を浮かべながら同僚の部下に対して挨拶をする。
「相変わらず職務に勤しんでいるようだな? ハンス」
マイティスとしては、嫌味を言ったつもりなど全く無かったのだが。彼からそう言われた瞬間、ハンスはようやく無粋な事をしてしまった事に気づく。
「済みませんマイティスさん。まだ休暇中なのに、お手数かけさせてしまって……」
「別に構わないさ。それで、急な用とは一体何なのだ?」
特に怒っている様子もない第二軍団長の態度に、少しだけ安心するハンス。
内容的にどうかとは思いつつも、叱責される心配は無いと判断した彼は事情を説明し始める。
しかし、それに対するマイティスの答えを聞いたハンスは、書類の件を他人に任せた事を後悔する。
マイティスの話によると獣人族の女戦士三人は、彼の指示によって既に諜報の任務に赴いており、町からは離れてしまっている状況だった。
自分の軍団に配属されたと勘違いしたマイティスは、即戦力であり元冒険者でもある彼らを諜報部隊に配属していたのだ。
ハンスは、会うなりいきなりマイティスに言われた言葉を、そっくりそのまま彼に返したい気分だった。
──休暇中なのに働くなよ……
既に配属まで決まり、任務にまで就いていると聞き、彼は第二軍団長の仕事熱心ぶりに呆れた。
どうしてもガルドに対して得点稼ぎをしたいハンスは、ダメ元で第二軍団の長に対して問う。
「獣人族達が、マイティスさんの所に配属になったって言うのは手違いなんです。今から任を解いて、領地に戻るよう指示を出すわけにはいかないですかね?」
「それは別に構わないが。手違いだったと言うのであれば、ミスをした君が責任を持つというのが筋と言うものではないのか?」
マイティスから尤もな事を言われ、自分の指示に対しミスをした部下を恨みつつも、拒否はされなかった事に喜ぶハンス。
彼は、再び先走った様子ですぐに行動に移す為に立ち上がって言う。
「本当に済みませんでした。マイティスさん! では早速、彼らの向かった先について詳しい事を教えていただけますか?」
やれやれと言った感じで、うっかり者の若い騎士候補生に対して詳細の説明をするマイティス。
その内容を聞くなり、ハンスはすぐに彼の屋敷を飛び出していくのであった。




