グッバイ、マイワールド。ハロー、ニューワールド
高校生になったら自分も特別になれると思っていた。
だって、漫画やアニメの主人公は高校生になると甘酸っぱい初恋をしたり、ひょんなことから巨大ロボットに搭乗して世界を危機から救ったりするから。
だから、私も高校生になったらきっと、キラキラした青春を送ることができる。
そう思っていた――のだけれど。
現実は、甘くない。
私好みの男子は可愛い彼女を連れて廊下を跋扈しているし、男子から話し掛けられるといえば『おい、先生が呼んでいたぞ』や『消しゴム落としたよ』くらいだ。会話というよりも連絡事項と言った方が正しい。
だから恋の予感なんてものはこれっっっぽっっっちもないし、もちろん世界の危機なんてものもない。それに例え、世界の危機が起こり巨大ロボットに乗ることになったとしても、私は乗り物酔いをするから万全の体調で悪者と戦うことは出来ないだろうし、機内をゲロまみれにするのがオチだ。
所詮、漫画やアニメは空想で創作に過ぎないのだ。
そんな私を簡単に自己紹介するとしたら喪女で地味なモブキャラだ。名は体を表していて、名前も、ありふれた平凡な意味の“月並”に、役所の書類記入例に何万回も使い古しているであろう“花子”である。
高校生ではキラキラできると期待していた月並花子も、入学してすぐに現実を突き付けられた。
髪を染めてアクセを付けて制服もおしゃれに着こなしている女子とは違って、癖っ毛の黒髪に制服のスカートは長いままの野暮ったい私はすぐにヒエラルキーの最下層に位置付けられた。
結局モブはモブでしかならない。そして私は今、教室の隅にいる。どうして教室の隅なのか? それはお手洗いで席を立った間に自分の席をヒエラルキー上層の陽キャ女子に座られてしまったからである。
こういう時はどうすることが正解なのか?
① 「私の席~」って可愛く言って席を奪還する。
② 自分の席の周りをウロウロして自分の席に座っている陽キャ女子に気付いてもらう。
私は考える。まず①の案だが、私は可愛く「私の席~」と言うようなキャラではない。そんなこと言うもんなら陽キャ達に『月並さん一体どうしたw』と騒がれるに決まっている。陽キャの会話のネタになるのは癪である。……なので却下。
次に②だが、自分の席をウロついて万が一、陽キャに気付かれなかったら虚しいだけだ。それに、それを他の誰かに見られて、あぁ、月並さん、気付いてもらえなくて自分の席に座れなかったよ。可哀想に。なんて思われたら嫌だ。なので却下。
だから教室の隅で休み時間が終わるまで静かに過ごそうかと思っていたが、休み時間が終わるまで少し時間があった。仕方なく私は一度教室から出ると、廊下の端から端を無意味に歩くことにした。
その間にイチャついているバカップルの横を通り過ぎて、次にプロレスをしている脳筋バカ共の横を通り過ぎようとしていた。バカがバカに技を掛けている。ぎゃぁぎゃぁと楽し気にふざけ合っている。
脳筋バカが、小柄な男子の身体を持ち上げると放り投げた。
え――……。
投げられた小柄男子の背中が私の顔面に向かってきた。
「ぐほぉぅっ」私の顔面が醜く歪む。
とととと……。小柄男子の背中が顔面にヒットした私の身体は言うことを聞かない。
足がもつれて不格好なステップを私は踏む。階段が目の前に迫る。止まることのない足。
ふわりと身体が宙に浮いて、私は階段の下へ真っ逆さまに落ちて行った――……。
「ぶわほぅ!」
目が覚めると私は清潔な白いベッドの上にいた。
どうやらここは保健室らしい。階段から落ちた私は保健室へと運ばれたのであろう。
「あの脳筋バカ、絶対に許さないんだから!」
文句の一つを言おうと私は起き上がると保健室を出た。
そして怪獣が歩くかのように大きく足音を立たせながら廊下を歩く。
階段から落ちたけれど、痛みはまったく感じなかった。喪女で地味なモブキャラだけれど身体が丈夫でよかった。頑丈な子に産んでくれてありがとう、お母さん。
「ちょっと、動いて大丈夫なの!?」
突然、後ろから腕を掴まれた。
口振りからして、私が階段から落ちたことを知っているのだろう。
「はい、大丈夫で――」
振り返ると、私は固まった。
誰だ、コイツ――。
目の前には、私の友達ではない女子が立っていた。
いや、一言で友達ではない女子、と片付けるべきではない。
目の前にいる女子はウチの学校の制服ではない――別の制服を着ているのだ。
朱色のブレザーに黒色のリボン、そして深緑色のプリーツスカート。
ウチの学校の制服ではないのに、私はその制服に見覚えがあった。
どこで見たんだっけ? だめだ、思い出せない。
私が何も喋らないでいたからか、目の前にいる女子は心配そうな表情を浮かべている。
「やっぱりもう少しだけ休んだ方がいいんじゃないの? ハナ――」
え? ハナ? 確かに私の名前は“花子”だけれど、そんなフレンドリーな呼び方をされたことがない。
その時、私の記憶が、記憶の中枢を司る海馬が、雷に打たれたかのように刺激された。
そうだ、この制服は幼馴染のナオちゃんがやっていた乙女ゲームのキャラクターが着ていたんだ!
そして、そのゲームのヒロインの名前が――。
私は、来た道を引き返すと保健室まで戻った。
そして壁に掛けてある鏡で自分の姿を確認する。
「嘘……でしょ……」
その姿に愕然とする。
明らかにモブキャラとは違うピンク色の目立つ髪の毛に、目鼻立ちが整った顔。
乙女ゲームの主人公“ハナ”になっている!?
どうやら私は、脳筋バカのせいで階段から落ちてそのまま死んだらしい。
で、よくある転生もの作品のようにゲームの世界に転生したってわけだ。
何でよりにもよってこのゲームなのよ……。私はこの残酷な運命を呪わずにいられないでいた。
なぜならこのゲームは生前、幼馴染のナオちゃんがプレイしているのを私は隣で漫画を読みながら見ていただけなのだから――!
私はよくある転生もの主人公のようにチート能力も持っていないし、物語の展開もよく知らないのだ。
私はその、ながら見知識でナントカカントカっていうこの乙女ゲーム(名前忘れた)の世界を生きていかなければならないのである。
「ちょっとハナ! 突然走り出してどうしたのよ!」
息を切らしながら私の後を追ってきたのは先ほど私に声を掛けてくれた女子だった。
確か“ハナ”の中等部からの親友で名前が“エリカ”だ。
何かと“ハナ”を心配し、時には情報を提供してくれる貴重な存在だ。
「えっと、エリカ? 私はどうして保健室で寝ていたんだっけ?」
状況を理解するためにエリカに確認する。
「はぁ!? 自分がどうして保健室に運ばれたのかも覚えてないの!?」
「う、うん」
するとエリカはイチから丁寧に説明してくれた。
「私たちは聖羅舞璃愛学園に通っている生徒で今日は高等部の進級式。だけど向かっている途中で、木から降りられなくなっている猫を助けようとしたハナが木に登っていたら手を滑らせて落ちたのよ」
何ともマヌケな主人公である。
「じゃあ猫は助けられなかったの?」
「いや、ハナが木から落下したと同時に普通に木から降りてどっか行ったわよ」
何とも報われない主人公である。
進級式ということは、きっと今はゲームの始まりの段階よね。
私は、ながら見知識で整理する。
この乙女ゲームは現代を舞台にした学園で学園生活を送りながらイケイケキラキラ男子を攻略していく……というストーリーだったはず……だ。いや、乙女ゲームなのだから攻略するのは当たり前か。
「それより教室に行きましょう」
「あ、うん」
私はエリカに導かれるようにそのまま教室までついていく。
問題はどの男子を攻略していかなければならないのか、っていうとこよね。
攻略対象の名前なんて覚えてないんだもの……これはかなりマズイ状況よ。
すると、中庭できゃあきゃあと女子の黄色い歓声が聞こえてきた。
声のする方を見ると、女子の大群ができていた。その中に一人、男子がいる。
普通の世界では有り得ない青色の髪をした男子だ。
青髪の男子はにこにこした笑顔を女子に振りまいている。
「あぁ西園寺くん、今日もかっこいいわ」
「西園寺グループの御曹司で成績優秀なうえ性格も良い王子様のようなお方!」
「私、西園寺くん目当てでこの学園に転学したんだから!」
訊いてもいないのに、群れの女子ABCが口々に説明してくれた。
どうやら西園寺くんとやらが攻略対象の一人らしい。
その時だった。
「ハナ! 危ないっ!」
エリカの叫び声。突如サッカーボールが私に向かって飛んで来たのだ。
何このデジャヴ。私はプロレスごっこをしていた男子を思い出した。
あ、私。サッカーボールに当たってもう一回死ぬんだ。
状況とは反対に冷静だった。
目の前に迫るサッカーボール。
私は目をつぶった。
さようなら、私――。すべてを受け入れた次の瞬間――。
グシャァ!!!
聞いたことのない音と共に風が吹いた。
何? 何が起きたの……?
私は薄目を開けると、これまた普通の世界では有り得ない赤髪の筋肉隆々の男子が私に背中を向けて立っているではないか。
赤髪の手には潰れたサッカーボールがあった。
どうやら私を守るために、この赤髪が両手でサッカーボールを潰したらしい。
吹いた風はサッカーボールを潰した時に抜けた空気だろう。いや、どんな状況。
私は自分で解説しながら突っ込んだ。
「きゃあっ! 高等部二年生の獅子堂先輩よ~」
「空手の大会で総ナメにする空手の申し子! 一年生の時からウチの学校の空手部主将を務めたのは獅子堂先輩が初めてらしいわよ」
「あの腕に抱かれたいわぁ!」
またもやそこにいる女子ABCが説明してくれた。
攻略対象を見つけるのが大変そうだと言っていたけど前言撤回。これはすぐに見つかるわ。
女子ABCの説明がある派手な髪色の男子が攻略対象だ。
「おい大丈夫か、アンタ」
赤髪が振り向く。鍛え上げられた筋肉質な体格に似つかわしい凛々しい顔をしていた。
そこで私が取るべき行動は、この赤髪の好感度を良くする受け答えをすることだ。
しかし、見た目はヒロインでも中身は一端の喪女モブである。それに、今までこんなイケイケキラキラ男子なんかと喋ったことがない。
だから。
「だだだだ、大丈夫ですぅ。デュフフフ」
にちゃぁー、とした気持ち悪い笑顔と不気味な笑い声しか出なかった。
「うっ……そうか、君が無事ならよかった」
獅子堂先輩はドン引きした顔で言うと、さっさと私の元から去って行った。
そこで、私は悟る。
いくら乙女ゲームの主人公になったとしても中身が喪女モブなのなら攻略不可能なのでは? と。
しかも私はチート能力もなければ、このゲームの展開もわからない。ながら見知識しかないのだ。
これは明らかに詰んでるだろう……。
そんな絶望の淵で私はこんな言葉が頭に浮かぶのだった。
グッバイ、マイワールド ハロー、ニューワールド。