「紫煙」に託して
カチャリ、シュボッ
胸ポケットから取り出されたジッポーが淡い火を灯す。それを口元へともってゆき、銜えた細巻へと火を移す。チリチリという紙の焦げる音を背景に、深く息を吸う。フィルターを通った毒煙が肺へと侵入する。ほんの少しだけ、息が詰まる。視界にベールがおろされたように、すべての景色が薄く霞む。
昔日の名作家たちが描いた作品の中でよく目にする「紫煙をくゆらす」という表現が気に食わなかった。親父の吐く煙をいくら観察したところで、白か灰色、稀に青白く見えるくらいのもので、紫とは程遠い色をしている。誰が紫としたのか、なぜ誰も他の色を提案しないのか。まったく謎だった。
肺に溜まった煙を大きく吐き出す。空気を切り裂いた煙たちが薄く広がる。平時には青白い煙が、夕焼けの赤と混じって紫になる。なるほど、これが噂に聞く「紫煙」というやつだ。熱に侵されボーっとする頭でそんなことを思う。
一瞬、ビルの狭間から顔を覗かせた太陽と目が合った。思わず漏れ出た涙を拭ううちに、美しい紫煙たちは世界へと溶けて消えてしまった。その光景をもう一度見たくて、右手を口元へと運ぶ。ゆっくりと息を吸えば、呼吸とともに毒煙が体を蝕む。
この瞬間だけは、何も感じなくて済む。
あぁ、これは、やめられない。
私は、紫煙のように風にくゆられて、消えてしまうのを、待っている。