晴れないもやもや
よく分からない事件の被害者になった。
被害者とは言っても被害はごくごく軽微なもので身体的には何ら傷ついてはいない。
それでも貴族の怖さを知ったのは事実だ。このできごとで学校に行きたくなくっている自分はとことん庶民にできているなと自嘲した。
この休みが続けばいいなと心のどこかで思っている。
友人達が眠りについた夜半、自室で本を読んでいた。
今日は月が綺麗だからとあれこれ理由をつけて部屋に戻り、現実逃避も兼ねてラウルに借りた冒険者物語を読むことにしたのだ。
「ソルレイ様、花冷えの季節でございます。紅茶でもいかがですか」
本から顔を上げると、ブランケットを持ってミーナが立っていた。受け取って膝にかけた。
「うん、今日は砂糖とミルクもお願いしようかな。大きめのカップでミルクティーにしてくれる?」
「かしこまりました」
微笑んで部屋から出て行ったのを確認してから息を吐く。
気を遣わせているな。
取り調べがされれば単独なのか組織的な犯行なのかも分かる。考えても仕方のないことだ。
でも、気になる。動機は特に。
レディスク家は王族派閥だ。一方、グルバーグ家は無派閥だ。辺境の領主達を束ねているが、派閥という訳ではない。子に慕われる親の立場だ。
敵対派閥は事実上ないのだが、念のため家同士の確執がないかこっそり調べてくれるようにロクスに頼んだ。
頼まれたロクスはとても戸惑っていた。
『そのようなことはないかと思います』と言うのだ。
何故そう思うのかを尋ねると、意外なことを口にした。『レイナ様とミオン・レディスクはご友人だったと記憶しております』
ロクスは、ユナ先生と同学年だったらしい。双子の兄がユナ先生と同じクラスだったと言う。
つい、知らなかった双子の兄の話を沢山聞いてしまったが、レディスク家は仲のいい姉妹でいつも一緒にいて、そこにレイナもいたというのだ。学内で仲良くしているところを学生時代に何度も見たなら確かに友達だったのかもしれない。
「友達だったからこそ何かあったんじゃないか。なんて考えすぎかな」
学長と体育祭の時に話したけれど、特に何かがあったわけじゃない。印象は“ちょっと意地の悪い人”くらいだ。殺してやりたいという憎悪や悪意は感じなかった。
ノエルの言葉じゃないけれど、何だろうなこの事件。
もやもやして落ち着かないのは、動機が分からないからだ。
「はぁ――」
本を抱えたままソファーに横になる。本当はお爺様に聞けば早いんだよ。分かっている。
狙われる理由に思い当たるかどうか尋ねればいい。
でも、あんな顔を見たら聞けないよ。俺たちの無事を心から喜ぶ顔の後で見せたレディスク家だと分かった時の悲しそうな顔。
ロクスの言うとおり、レイナ様と仲が良かったのだったら――。お爺様のことだ。娘と同じように接していただろうな。
お爺様の苦しそうな物悲しそうな表情を思い出し、やっぱり聞けないと壁の灯りから視線を床に落とした。
部屋の扉がカチャリと開く音がしたので身を起こす。ミーナじゃなくてロクスだった。その手にはお盆がある。
「眠られていたのでしたら、ベッドにお連れしましょうか」
「起きてる。それに運べるほど軽くないよ」
本当は眠りたいんだけど、気になることがあって眠れないだけだ。それにすべきことが分からない。
「終わったと見なしていいのか。他にもいると思うべきなのか。どこまで警戒すべきなのか。疑心暗鬼中なんだ」
「そうでございますね。休みの間に取り調べが進むと宜しいですね」
ローテーブルに、お盆を置くと俺の前に紅茶が供される。 白い陶磁器に青い花の絵付けのカップは、屋敷に来た当初の眠れない夜に使われていた物だ。
取っ手にまで施された金細工の入った美しいカップをじっと見てしまい、気に入ったと勘違いされたのだ。
「ロクス?」
「はい」
頼んだのはミルクと砂糖の入った紅茶で。ミルクティーだ。置かれたのはハーブティーだった。
顔を見ると至って真面目な顔だ。ミーナに持って行って欲しいと頼まれたのかと思ったが、この分だと違うな。
扉がノックされ、今度はミーナが入ってくる。ワゴンを押していてお菓子も乗っていた。
「ソルレイ様、お待たせいたしました」
顔を上げ、部屋にいるロクスと俺の目の前にある紅茶を見ると、微笑んだ。
「ロクス、お茶をお淹れするのは、私の仕事ですわ」
「誰が淹れても良い仕事です。私もソルレイ様に付いているので分は犯していませんよ」
「まあ! ですが、今日はご自分でお飲みになられて下さいませ。ソルレイ様はミルクティーをご所望されましたわ」
笑顔なので怒っているのかどうか分からないんだよ。勝ち誇ったかのように言っているのか、単に事実を述べているだけなのか。貴族って凄いよな。声に抑揚がないんだ。
「せっかく淹れてくれたんだ。どちらも飲むよ。眠たくなるまで話し相手になってくれる?」
ミーナにもう二つ紅茶を淹れるように。それからお菓子も多目でと笑って言うと頷いた。
「美味しい物を持って参りますわ」
ワゴンを押して出ていく姿をロクスと見送った。
「ミーナはきっと大きなクッキー缶を持って参りますよ」
「アハハ、うん。そうだな。いいよ。せっかくだから3人でお茶会をしようよ」
甘いものは高いこともあるけれど、グルバーグ家には今までクッキーなどは常備されていなかった。あれば、使わなかった場合に下げ渡しと言って使用人たちに配られるのだが、生憎と辺境に来客が来ることは滅多にない。
お爺様が相手を気遣って便利な街まで出向くことが多い。
俺やラウルがここに来た時はまだ9歳と7歳で子供だった。甘いものが好きな為、料理長が作ったクッキーが常備されるようになった。
今は、友人たちが母屋に泊まっているため、有名な店の焼き菓子が揃っている。
俺やラウルが食べたことのない高級ホテルの焼き菓子まであるのはノエル用だと密かに思っていたが、本人は作るのを楽しみにしていることから結局、友人とラウルを交えて自分たちで作るのだ。余ってきている。
戻ってきたミーナが大きなクッキー缶ではなく、高級焼き菓子の詰め合わせの方を持って来たのを見て笑った。
「ミーナ、俺とラウルツも料理長達とこっそり厨房で食べたよ。それ、美味しいよ」
「存じております。隠れずとも言ってくだされば部屋にお運び致しました。今度からは言ってくださいませ」
ワゴンを押して部屋に入ると、テーブルの上に茶器を並べていく。最後にポッドを置いた。
「隠れて食べるのが、美味しいスパイスというか。料理長達と内緒ねと言うのが楽しいんだよ。またやると思うけど許して」
行儀が悪いので先に言っておく。口止めはしていたけれど、厨房組が誰か洩らしたな。
「かしこまりました。特に美味しい物を教えて下されば秘密にしておきます」
菓子の入った缶の蓋が開けられた。
「ありがとう。えっと、そうだな。これとこれは食べた方がいいよ。バターがたっぷり目でコクがあるんだ。これはヒヨコマメの粉とバターを混ぜて揚げたような菓子だった。これはパイ生地にクルミとドライイチジクを何層も交互に重ねて焼き、最後に杏子のシロップがかかっているよ。これもお勧めだから食べてみて」
ホテルで出すだけあって、甘さはくどくない。割れやすいチュイールも軽やかだ。砂糖とメレンゲを薄く延ばして猫の舌のように作るからそう呼ばれる。
一番上の身分の者が最初に食べるのが決まりなので、さっさと口に入れた。甘い菓子が口の中で解けた。
「先にこれからどうぞ」
「「では、そちらを頂きます」」
「ふふ、うん」
二人に学生時代は楽しかったか尋ねると、大変だったと口を揃えて言った。
「どういうところが大変だった?」
「私の場合は、双子の兄と比べられるので先生からのプレッシャーでございますね」
毎回、『ふむ、おまえは苦手なのか』などと言ってくる先生がいたらしく、双子でも何もかも同じなわけがないでしょうにと零す。ミーナは音楽が苦手で毎回落としていたらしい。
「パーティーがありますでしょう。そうするとわざと私に演奏させようとする意地の悪い方がいらっしゃいました。下手の後でご自分が演奏をして注目と株を上げるのですわ」
意中の殿方がいらっしゃると、協力を求められてそれは大変なのですわと肩をすくめた。
意外過ぎる二人の学生時代の苦労を聞き、だんだん心が凪いでくる。
大丈夫。まだ、大丈夫だ。
音を上げるには早い。
生来の負けん気が顔を出し、陰鬱な心根を踏みつける。
学校が始まっても大丈夫。ここで負けるなんて悔しいじゃないか。
メンテナンスがあるようなので明日はお休みします。次の更新は明後日になります。宜しくお願いします!




