指針
夜はエルクの部屋に泊まることになった。
ラウルが家族のことを知り夜泣きをすると思ったのだが、そんなことはなく。ショックすぎたのかと抱きしめて眠る夜に意外なことを言われた。
「ラウルの家族は初めからお兄ちゃんだけだよ」
「?」
首を傾げる俺に笑う。
「お兄ちゃんが大好きってこと」
「俺もラウルが大好きだよ」
背中を撫でると安心したのかぐっすり寝入る。
俺も今日は疲れていたので一緒に眠り、明日からお爺さんの看護を頑張ろうと思った。
看病はエルクで慣れたのでお手のものだ。
お爺さんは初めこそ気弱になっていたが、俺たちと出会い活力を得たらしく、『まだ死ねぬ』と気力で不調をねじ伏せ14日後、快方に向かった。
体調を持ち直したことを喜んだのは、俺たちだけではない。下級騎士のダニエルとお爺さんの弟子のカルムスもだった。
「孫は特別なのだろうな」
「そうだな。楽しそうにされているからな」
今まで会えていなかった反動もあるのだろうが、師があんなに笑っていて驚いたと笑いながら話しているのを聞いて安心した。
俺もラウルもお爺さんのベッドに座って絵本を読んでもらったり、一緒に寝ると部屋にベッドを運び入れてもらったり、好き勝手にやっていた。
夜中に苦しそうにしたら背をさすり、汗をかいたら拭い、白湯を飲ませるといったまめまめしいこともやっているのだが、夜はいないのでやりたい放題だと思われていると思っていた。
その本だが、なんだか読む本の難易度を少しずつ上げられている。そのことを尋ねると困った顔で微笑むだけなのだ。嫌われていないことも分かったので、どういうことか聞いてみよう。
会話の切りのいいところで声をかけた。カルムスは『ああ……』と言いつつダニエルを見るので、俺も釣られてダニエルを見た。
困った顔で少し言いにくそうにしながらも教えてくれた。
「そうですね。できれば2冊分の厚みのある本を読めるように。それを目標にしましょうか」
やりとりを見ていたダニエル曰く、貴族としてはもう少しできないとまずいらしい。
尤もできないまま大人になっても出来る者を雇えばいいらしいのだが、学校に行くと間違いなくばれるとのこと。なのでダニエルには、貴族の一般常識を教えてもらうことにした。
領主代理などを高い金で雇えるのは裕福な貴族家のみで、子爵家のダニエルは幼い頃から兄達に教え込まれたそうだ。実家は子爵家の中でも裕福なはずなのに、兄妹が10人もいたせいで男爵家より貧乏だったらしい。楽器などのお下がりは、壊さないようにして下へまわすと言っていた。
ダニエルに教えてもらう勉強が始まった。
俺とラウルは、一般的な平民よりはできる方だ。
教会へ行けば読み書きは無料で教えてくれるし、筆記具が貰えるのでそれが目当てだった。黒石板とチョークは絵を描いて遊べるのだ。
毎月一の日には、ビスケットが2枚もらえるので幼いラウルも必ず連れて行った。算数は俺が教えるので姉のミルもラウルも簡単な計算はできた。最初に指を使って覚えるのは世界共通のようで微笑ましかったのを覚えている。
この世界は減算が主流で、計算のしにくい、5円、50円、500円といった通貨はないので、お釣りの間違いは起こらないが和算のほうが計算は楽だ。一通りを見ると、勉強は貴族の作法や常識に重きを置くことが決まった。
「少しずつ覚えていきましょう」
「「うん。頑張る!」」
勉強が終わったので、紅茶を淹れてもらいクッキーを食べる。ドラゴンが飛んでいるとは思えない優雅さだ。
「ダニエルさんとカルムスさんはここで何をしているの?」
「御存知の通り、王はディハール国に亡命を希望して出立なさいましたが、成功するとは限りません。それに全軍で行くわけにも参りません。私は、ラインツ様に目をかけて頂いたので、ここで最期までお供をしようかと」
あっさり言われたが、王は亡命をしようとしていたのか。援軍要請に出向いたわけじゃなかったんだな。
溜め息を零さないようにカルムスに目を向ける。
「俺も同じだ。だが、ラインツ様が持ち直せば、アインテール国に戻るのも手だと言おうと思っていたんだ。どう思う?」
「「うーん」」
アインテール国はお爺さんの生まれた国で、のんびりとした穏やかな国だと聞いている。
ここラルド国からは北上し国を3つ行った後、東に進路を取り到着する。数で言えば4つ目の国になるが、距離は遠い。
「ちょっと遠いから道中が心配かな。王様の亡命が上手くいかなかった時も危険だと思う。隣国のハッセル国までは行ったほうがいいと思うし、行くこと自体は賛成だよ」
アインテール国まで行くのならば、王の亡命先のディハール国は必ず通ることになる。
「僕は、お爺ちゃんが出戻っていじめられないか心配」
ラウルがおばさん同士の井戸端会議で覚えた言葉を使う。
「「「プッ、アハハハハ」」」
子供の時にやってしまう失敗だ。
場が一気に弛緩した。