家紋の力
ラウルの首席を狙う為の勉強を見ていた冬休みのことだった。ある寒い日の夕暮に話をしようとカルムスの研究室に呼ばれた。
カルムスの研究室に入ったのは初めてだ。物珍しい物がたくさん並んでいるためついつい見回してしまう。
革張りのソファーに座るよう勧められてかけると、コーヒーを出された。
コーヒーってあったのか。
貴族は紅茶が多いので初めて見た。湯気のたつカップを前に、子供の舌だとミルクと砂糖が欲しいと思いながら形だけ口をつけた。
話を促す意思表示の所作だ。
「まどろっこしいのは好きじゃないからな」
前置きすると、向かいでコーヒーを飲んでいたカルムスがカップとソーサーを置いた。
「ソルレイは争いを避けたがるが、貴族にとっては威光や威厳は大事だ。そこには相手の貴族を出しぬいた優越感も多少あるだろうが、そんなことに呑まれるやつじゃないこともまた分かっている。だがな、グルバーグ辺境伯家は他国に名が轟く貴族家だという自覚をもう少し持ってくれ。おまえが優秀なのは分かっているが、優しすぎる」
グルバーグ家より下の貴族達の使い方をもっと覚えろという。
何と言っていいか分からない。
俺の感覚は常に平民の考えが軸にある。生まれながらの貴族ではない。家の権力の強さに戸惑うことも多いくらいだ。
「えっと……あのね、体育祭で組んでいたのは、3人とも公爵家や侯爵家だったから少し話を聞いたんだ」
「どんな話だ?」
片眉を上げつつも聞いてくれる。
「うん、今の魔道士学校の高等科の1年生にいる王族達は争いを避けて魔道士学校に来た王族だって。カインズ国の貴族学校にいる王族は数が多くて、卒業後には争いになるかもしれないって。だから侯爵家も安泰ではなくて振る舞いに気をつけつつ、平和を愛する王子に寄り添う? 支持かな? とかって聞いた。見初められると大変だからこっちの学校に来たって。ノエルもディハール国の王は争い嫌いで第一王子が高等科の1年にいるからこっちになったって言ってた。危なくなるの?」
グルバーグ家も争いの中に駆り出されるのかな。それで自覚を持つように言われているのかもしれない。不安そうに聞くと、頭を撫でられた。
「大丈夫だ。後継者争いが他国で始まっても、国家間同士の情勢はそれほど早く動かない」
「そうなの?」
「ああ。もし、馬鹿王子が王の椅子に座ってもアインテール国を狙うことはまずないな。ラインツ様の名は伊達ではない」
ほっとして息を吐く。
「そうなんだ。良かった。カルムお兄ちゃんが呼ぶから、よっぽどなことかと思った」
「いや、おまえよりラウルツの方が野心的だなと思ってな。少し心配している。クラスにおまえの派閥はないのだろう? グルバーグ家で跡目争いの心配はあるか?」
その言葉に笑う。
ラウルが首席をとると言ったことで、争いが、生まれるかを気にしているようだが、無用な心配だ。ラウルは首席をとり、学年全員をグルバーグ家の派閥にしよう。それを足掛かりに兄を追い落とそうなどと考えていない。
「ないよ。やりたいのなら喜んで譲るし、補佐につくけどね。ラウルツ自身は、全く興味はないよ」
「そうなのか?」
「うん。たぶん、誰にも負けたくないんだ」
「?」
不思議そうな顔をするので、適当に誤魔化しておく。
「俺が、加点をとってもノエルは、ダンスで加点30点がつくんだ。来年は剣の授業が入るから勝つのは無理だからね。今年はお爺様に1番だったよって言いたかったのに。加点が2点差で2番だったんだ。そのことを言ったからね」
ライバル心があるのだと伝えると、不思議そうだった。
「それで主席を目指しているのか?」
「ラウルツとノエルは気が合うんだよ。似た者同士っていうのかな。俺よりずっと負けず嫌いなんだ。雑用を押しつけられるって言ったんだけどね。頑張るって言うからじゃあ一緒に一番を目指そうかって言ったんだ。半分は俺の為だよ。自分が首席なら負けじゃないって思ってるんだ」
グルバーグ家を守ろうという意識が俺よりもあるのは確かだ。
でも、ラウルが思うより学校は平和だ。陰口も言われていない。……たぶんだけど。
社交界に出ていないのではっきりとは言えないが、そういう風聞は聞こえてこない。
入学すれば、誤解も解ける。
“髪の色で嫌な目にあっているのではないか”“自分が兄を守るためには、まずは首席だ”というのは、考えすぎだったと気づくはずだ。
平民からすると、貴族は怖いから気持ちはよく分かる。
家のことは気にせず、のびのび育ってくれればいいとお爺様と言ったけれど、あれで頑固なところがある。
家にクラスメイトが来た時も誰が味方かすぐに確認していたことを思い出す。
“今いいよって言ってくれたの誰?”
ラウルは自分で確かめないと信じないのだ。
「ふむ、そうか。ラウルツがソルレイを支えるのならばそれでいい」
「どうせ白服なら1番じゃないとね」
「違いない」
俺もそうだったとカルムスが言うので目を丸くした。
「嫌がりそうなのに」
「嫌だったぞ。親の意向だ」
2、3問を無回答にするという慣例を無視して、満点で首席をかっ攫い実家から通学をしたという。その年は、他国から来た者の中に王族もいたが、気にせず入学からずっと満点を取り続けたというので驚いた。
ここまで一貫して配慮しないと逆に格好いい。
「ソルレイとは違って魔道具を貰おうなどとは全く思わなかったがな。おまえは、イベントになるとやりたがるよな」
「そうかな?」
「文化祭も力を入れすぎだ」
「そうかも。なんだか稼ぎすぎて恨まれたみたい」
アモンの生徒達に澄ましていると言われたことを話すと、負け犬の遠吠えだから放っておけと言われた。
遠吠えも疲れたら吠えるのをやめるので、相手にするだけ無駄らしい。
ついでに4年生の時の体育祭の時は、根回しをすると話しておく。
敵はノエルで、捕まえたら学長力作の魔道具が向こうに渡ると言うと、俺とダニエルも根回しをしておいてやると言われた。
「2年後だからって今からやらない手はないぞ。地の利を生かす」
「今の内から国内の貴族に根回し?」
「そういうことだ。敵はアヴェリアフ家だけではないからな。アインテールの貴族たちに協力するよう言っておけばいい。忙しくなりそうだからダニエルにも話しておくか」
アインテール国の貴族家で、学校に通っている生徒の家に話し合いという名の圧力をかける気だ。カルムスはとことん貴族だな。
言うなら自分でクラスメイトに頼むので必要ない。
「そんなこと言って。ソルレイとラウルツの為だからってダニーに泣きつくんでしょ。財務派閥ってそんなに厄介なの?」
俺達の根回しをダシにダニエルに任されている仕事の協力を仰ぐ気だ。
「ああ。養鶏でも儲けているのがバレてな。領内の大店にしか出していなかったんだがな」
ダニエルは気づきながらも指摘せずにこっそりカルムスの失敗を補っているので、そのことを教えてあげる。
「卵の殻って薬になるらしいよ。薬師や錬金術師が欲しがるんだ」
「なに!? しまった!」
「他領の清掃業者が安いからって使ったでしょ。ダニーが領内の業者に切り替えて、殻も回収したけど、間に合わなかったのが少し他領に流れてしまったんだ。安易に他の領の業者を入れちゃ駄目。情報を奪われるよ。ダニーには、ちゃんとありがとうって言わなきゃね」
「……そうか、分かった」
参ったと言わんばかりの表情に笑う。
「それにしても、グルバーグ領の情報合戦が過熱しそうだね。ハチミツよりもハチミツを使った加工品の方が高値で売れるからなあ。卵も安定供給だと利用方法はあるし、来年か再来年辺りにはベリオットもか。恨みは買いたくないけど、出資も何もしていないのに利益をかすめ取ろうなんて不逞な貴族には関わりたくないし……」
「尤もだ」
コーヒーを味わっているカルムスは、ちっとも困っているように見えない。この余裕が羨ましい。下々が動けと言わんばかりの態度だけど、優しいところも知っている。仕方がない。手を打つか。
「カルムお兄ちゃんの実家の領地って甘藷がとれるよね?」
「ああ。かなりとれるぞ」
「甘藷を油で揚げて、ハチミツをかけると美味しいよ。売れそうじゃない?」
「儲け話をぶら下げて黙らせるのか。他の煩いところも特産品を調べた方が良さそうだな」
話が早い。
「うん。出店の誘致でもして、勝手に儲けてもらえば税収も増えるからグルバーグ家に恨み言は言わないよ」
違う仕事を与えて忙しくさせておけば、こちらに構う暇もないだろう。
「ソルレイ。財務派閥の会合に一緒に行かないか?」
「お爺様と行った時は、優しい人ばかりだったよ。会のメンバーを厳正してくれていたのが分かった。今回は絶対嫌。なんか怖いもん。大人と駆け引きとか無理だよ」
「そう言わずに行こう。俺より向いているぞ」
グルバーグ家にいてもいい代わりに仕事を任されているが、忙殺され研究時間がとれないと嘆く。
それって子供の俺に言うことじゃないからな。
「ダニーは一生懸命なんだからカルムお兄ちゃんも休みは自分でもぎ取って。調べるのだって実家に、甘藷を倍の値段で売ってやるって言って恩を売ればいいじゃない。他派閥の調整だって儲けさせてやるんだからって押しつけてきてよ。ラウルツの勉強も、俺の剣もちゃんとみて!」
主席だったんでしょ? と、ソファーから立ちあがると言い捨てて部屋を出た。
もう夕飯の時間なのだ。遅れてしまう。食事をとるダイニングまで急いだ。
今度から遠い研究棟にまで呼ばないで欲しい。
魔法陣研究の邪魔になるかなと部屋を訪ねないように気を遣っていたのに。
カルムスは頭がいいのに駄目な大人なのだ。
勉強だけできたって生活力がないと大事なものを守れないんだからな。
1話目からの誤字脱字の点検作業に入ります。
誤字の量にもよりますが、土日は気力があれば書こうと思います。宜しくお願いします!




