体育祭 前編
まだ寝ていたかったけれど、これ以上はいけない。
メイド達が来てしまう。
昨夜、一緒に寝ると枕を持ってきたまだ寝ているラウルの柔らかい頬に口づける。
すやすや眠る金髪天使の寝顔を見て、頬を緩ませた。
「行って来るよ」
頭を撫でてから音を立てないようにそっと部屋を出て、起しに向かっていたメイドのミーナと執事のロクスに必要ないと手を振り別室で身支度をした。
「ソルレイ様。料理長からです。3段重ですがお間違いありませんか?」
「うん、4人いるんだ。しかも3人は公爵家に侯爵家。気のいい先輩たちなんだけど、無作法をしないかちょっとだけ気が重い。もらえる魔道具には興味があるから頑張って来るよ。捕まったらその時点で失格。家に帰っていいから、帰りは小舟で帰って来るね」
「かしこまりました」
「ロクスとミーナに3日間お休みをあげられるといいんだけれど、かなり手強そう」
「お気になさらず。お早いお戻りをお待ちしております」
「ふふ。ありがとう。すぐに帰って来たら笑ってね。ラウルが待っているだろうし、わざわざ無駄な時間を潰して帰ってきたりはしないから」
「「かしこまりました」」
微笑んでくれる優しい執事とメイドに笑いかけ、ラウルが寂しくないように書いた手紙を1日1通ずつ封筒の番号通りに渡して欲しいと頼んでおく。
「お爺様にもやれるだけやってきますと伝えておいて」
「かしこまりました。ソルレイ様、いってらっしゃいませ」
「行ってきます」
ロクスに学校まで送ってもらい、その足でノエルの部屋を訪ねた。開始前にダンス教室の鍵を開けてもらうのだ。
「料理長の3段重のお弁当だよ。初日が激戦なんだって。一斉スタートの一番前を取れないなら最後尾にしろってカルムお兄ちゃんから助言をもらえたよ」
「そうか。一番前を取るか」
「わぁ。後ろが全員敵だよ? 先輩たち走れるのかな」
スカートだから可哀想だと言うとため息を吐く。
「……女子は面倒だな」
「今のは先輩達には内緒にしておくよ」
「そうしてくれ」
制服で参加なども書かれていなかったが、念のため制服で来た。
私服も勿論持って来ている。
一般の生徒を装うためだ。
これは先輩たちにも油断させるために制服で来て、私服はロッカーに入れておくように頼んでいる。
最初が制服だと制服だと思ってしまうからな。
開始時刻は6時で校舎1階の玄関ホールに全員集まってスタートだ。
先輩たちと合流をし、一番前か最後尾か。どちらがいいかを尋ねると、最後尾が良いと言うので最後尾になった。
それじゃあ、わざと遅めに集合場所に行こうと話す。
生徒間で行われる交渉の話をプライドの高い侯爵家に事前にするのはまずいとダニエルに言われており、突発的に思いついたと装って交渉を始めるのが良いそうだ。
なかなかハードルが高く、できる気がしない。
指輪は、相談して持っていなさそうな俺かメイのどちらかにしようとなり、アリアとメイの成績がかかっていてプレッシャーなのでメイに頼んだ。
「食料もあるし初日はダンスホールで籠城だな」
「図書館で本でも借りて来ようか」
「それがいいかもしれませんわ」
「そうだな。暇つぶしに本でも読むか」
全員で図書館に行き、貸出し手続きを取りダンスホールに置いておく。
「全員で回し読みすれば、結構時間は潰れるぞ」
まずい、俺は草花辞典とかマルバフユイチゴの育て方など学業に関係の無い、事業関連の物を借りている。ベリオット以外のいちごに似たものを育てたかったのだ。
ノエルは遊びではなく勉強する気だ。
「トイレが狙われるって聞いたんですが、男子だけでしょうか?」
思わず話を変えた。
「そういえば、そんな話を聞いたな」
「あら? そうですの? わたくしは聞き覚えがありませんわ」
「だとしたら、トイレ付近の廊下は誰かが張っている可能性があるな」
「2年生の時にそれで捕まったことがあれば4年生の男子は警戒するかもしれません。同じことをする可能性もあります」
ダンス教室は室内に入って二部屋に分かれていてそれぞれにトイレがあるから心配ない。
「トイレを見張っている者に捕まるのは遠慮したいものだ」
「そうですわね。なんとなく汚らわしいですわ」
トイレをしているわけではないし、最中に捕まるわけではないのだが、捕まえる方も汚いと断罪され目を逸らす。
男がやる時は…。
まあ、いいか。
どこにいても見える校内にある大きな時計台を見ると1分前を示していた。腕時計を確認して、並んでいる皆の後ろに距離を取って並ぶ。
「はーい。1分切ったわよー!10秒前からカウントダウンよ!」
「正々堂々と戦うのだぞ!」
先生たちの見守る中、300人がホールにひしめく姿を最後尾から眺めていた。
10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、0!
みんなが一斉に走って行くのを見送り、俺達は校舎を出て中庭に戻る迂回ルートでダンス教室へと向かった。
途中、ロッカーに先輩たちが入れていた私服も取る。ダンス教室の扉を開け、鍵を閉めると「「ではまた」」「「また後で」」と中で別れる。
制服を脱いで私服になる。
借りたマット2枚を重ねと毛布を敷き、もう1枚を畳んで枕にして寝転がると薬草辞典を広げた。
「ノエル。眠くなったら寝たい。悪いけど夕飯には起こしてくれる?」
「そんなに眠るのか?」
「分からない。でもすごく眠たい」
「分かった。起こしてやるから眠れ」
「ありがとう」
しばらくすると眠くなり『寝る』と宣言して眠った。
6時に学校着は早すぎたのだ。
5時間ほど眠り昼前に目が覚めた。
もそもそと起き『おはよう』と声をかけてトイレに行き、歯を磨いた。
「お昼を食べようか」
「向うも呼ぶか?」
「うーん。うん、声だけかけてみよう。寝てるかもしれないけど」
「…………」
もう一つの部屋の扉を控え目に叩き、声をかけた。
「先輩方、お昼を食べますが、起きていらっしゃいますか?」
「む? まだ昼だ。起きているぞ?」
「寝ていませんわ。お昼ご飯は持ってきましたの。皆さんも持ち寄って一緒に頂きましょう」
「はい」
ダンスホールの真ん中に机を並べ、皆が持って来たご飯を並べる。持ち寄りパーティーのようで楽しい。
「新鮮だな」
「ふふ」
「遠慮しないで食べます」
他国の料理だ! 食べないと損だ。
「ああ。そうしよう」
「もちろんだ。好きに食べていい」
「そうですわ。多目に作って貰いましたもの」
俺もノエルもかなり食べるので、いつも通り取るとやっぱり男子は食べますのね、と感心したように言われた。
「もうすぐ卒業だが、ソルレイは困ったことを言いに来なかったな」
「ああ、そうですね。高等科で言うかもしれません」
「ふむ。ならば高等科に行ったら2年の延長制度に合格せねばなるまいな」
「試験があるのですか?」
「3人以上の教員の推薦と試験での優秀な成績での合格ね。両方が必要なの」
ほうほう。厳しそうだ。
「では、その時にでも……ああ、そうだ! せっかくなので踊ってもらえませんか」
俺がそう言うと目を丸くする。
唐突すぎたようだ。
ノエルが凄くダンスが上手で、加点が30点のため試験で勝てなかったのだと嘆きながら伝えた。
「加点があるだけ凄いことなのだが、30点とは凄まじいな」
「聞いたことがありませんわ」
「ソルレイが詩の授業で公表を嫌がらなければ加点は10点で同列のはずでした」
「また、それも凄い話だ」
「まあ、本当ね」
詩は分からないと言っていなかった? と聞かれ、今もなぜ加点がついたのか全く分からないため来年が怖いと答えると笑われた。
「来年の授業は剣が入り、私は握ったことさえありませんでした。この前ようやく練習を始めたところです。ダンスは剣舞になると聞いたのですが、記念に一緒に踊って下さい。やはり初等科での出来事を持ち越すのはよくありません」
「それで構わないのなら私に嫌はないぞ」
「ありがとうございます」
「わたくしも踊りますわ。上手になりたいのでしょう? 侯爵家は絶対に社交界で踊らないといけない運命ですの。壁の華は許されないのですわ。ですから幼い頃より血の滲む努力をしますのよ。それに勝とうと思ったら踊る相手は一人でも多い方がよろしいですわ」
「ありがとうございます。宜しくお願い致します」
メイは、ご飯を食べ過ぎてしまったので、太るから早速やりましょうと女の子らしい理由をつけて促した。
先生が置いている6弦楽器を借り、持ち回りで演奏をしてくれるので、何度も何度も踊った。
「ここで、もう少し腰を掴んで引いて下さる? 遠慮されると却ってやり辛いのですわ」
「はい」
「随分良くなった」
「姿勢はもう少しよく」
「はい」
ノエルにも、もう少し腕を水平にするようにと直される。
「よし、いいだろう」
「アリア様。メイ様。それからノエル様もありがとうございます」
「天才肌ではなく努力家なのだな」
「そんな風に思われていたのですか? 皆そうだと思いますが、俺も頑張っています」
「うふふ。教え甲斐がありましたわ」
「素直は得だ」
「あら? ノエル様は何を教わりたいのかしら?」
「遠慮しないでいいぞ。暇だからな」
二人にそう言われたノエルが迷いながら口を開いた。非常に珍しい行動だった。
「……では、ダンスの始まる前と終わった後に女性にはなんと言えばいいのかをお聞きしたい」
「ふふっ」
好きに言えばいいし、何も言わないでもいいと笑われた。
聞いたことを後悔したノエルの顔を見て、メイが問う。
「なぜその質問をしたのかお聞きしても?」
ノエルが、ダンスの試験について話をした。2年は、全員が先生と踊らないといけない羽目になったと聞き、二人は驚いていた。
「ガーネルの生徒がねえ。それで学年全部とは随分横暴ね」
「それは大変だったろう」
私達は担任と踊ったと話すと、ノエルが俺を見る。
「先に踊ったのが、次席のソルレイでした。担任になにやら言ったらしく、喜んでいて私にも同じことを求められましたが、分からなかったので無言で踊りました。終わった後は周りに拍手を貰いましたが、『私に言うことはないの?』と言われて踊ってもらった礼を言って終わりました」
意味が分からず困惑したと零す。初耳だったので驚いた。言い辛かったのだろうか。
「それはソルレイに聞くべきだな!」
「一体何をおっしゃいましたの?」
二人が楽しそうに聞くが、大したことではない。
「えっと、正確には覚えていませんが、先生は、普段は可愛いけど今日は綺麗だねって言いました」
「まあ! それは嬉しいですわ!」
「なるほど。ドレスを褒めるのがセオリーなのだがな」
あ。
「ドレスも凄く似合ってるって言いました。わざわざ踊るのに新調してくれたから」
「原因はソレですわね」
アリアも間違いないぞ、と呆れたように言う。
「そうか。忘れていた。ドレスを新調するのは自分の為だと思っていたから失念していた」
「それは違うよ。俺達が申し込んだから恥をかかせないようにって考えたんだ。先生は伯爵家だから。侯爵家のノエル様と辺境伯家の俺のために新調してくれたんだ」
あれは先生の気遣いだ。
「ソルレイ、言って欲しかった」
「ご、ごめん。ドレスも当日のお楽しみって言っていたから見られなかったし、口から出たんだ。先生を初めて見た時に可愛い人だなと思ったから……つい、その。今日は綺麗だなって」
「いやぁん、なんだか恥ずかしいですわ」
メイが頭を左右に振って両手で顔を塞ぐ。
「本当だな。女子同士はあるが、男子の恋路を聞くことはないからな」
アリアが口元を手で押さえ、頬を染める。
え? ええ!?
「ち、違いますっ。そうじゃなくて……」
「それでやたら助けてやっていたのか」
「違うってば。先生は先生だよ。恋愛とかじゃないんだ。ただ、クライン先生って可愛らしいから助けたくなるんだよ」
「……可愛いだろうか」
「えぇ? 外見も性格も可愛いだろう?」
ちらっとノエルがメイを見る。
「ノエルはメイ先輩が好きなの?」
「穏やかな人がいいからな」
「確かにウェーブした髪と相まって妖精のように可憐だね。声も透明感があって耳心地がいい。アリア先輩もわざと外した口調を使うけど、優しい声色だ。高潔で優しい清廉な白百合だな。凛としていて見ていて気持ちがいいよ」
白い制服を着ている二人を初めて見た時に、驚いたことを思い出す。
「ふむ。そうだな。担任はともかく、アリア先輩は可愛い人だ」
「クライン先生には、お菓子を奪われてるからでしょ?」
「それもある」
「アハハ。もう、絶対そうだと思ったよ」
結局、俺達は、二人が真っ赤になっていることに気づかないままだった。
弟だと思っていると言われたのが擦り込まれていたのだと思う。




