教会への思い 後編
この世界にクリスマスはないしサンタもいないけれど、幸せな運は少しずつ人に分けてあげられると思うのだ。
「教会にいる年齢に制限がないのはご存知? 大人が読む本も贈って差し上げて」
「そうなのですか?」
ラルド国では15歳までだと決まっていたが、アインテール国ではそのまま教会を支えるために職員になる人もいるそうだ。子供への支援は手厚いが大人への支援は薄いどころかほとんどないと聞き、相談しながら流行りの小説の上下巻や実用書、旅行記や事典なんかも揃えることにした。
「ソルレイ様。学校前の大通りを1つ下って右通りに行ったところの本屋さんは品揃えが豊富よ。この一筆箋を見せて頂戴。きっとよくしてくれるわ」
上質な紙に1枚ずつ刺繍がされている高価なものにさらさらと書いて渡してくれた。
「ありがとうございます」
頭を下げてもう一つ。
美味しい菓子店の情報を求めると目を丸くされたが、亀の甲より年の功。きっといい店を知っているに違いない。自分も知りたいからだけど、教会へもちゃんと持って行くと言うと、可笑しそうに口元を手で覆いながら教えてくれた。
「遅くなってごめん!」
「いいよー。僕ね、ココア大好き。2杯も飲んじゃった」
カフェの一角が和やかなココアタイムとなっていた。他に誰もいなくてよかった。入った瞬間、店内がココアの独特な香りに包まれていた。
「ホットココアを1つ」
「はい」
注文を取りに来てくれた男性が笑いを耐えていたのは、ココアばかりを頼んでいるからだろうな。
前世の味の記憶というのは、他の記憶が朧気なのに対してどういうわけか鮮明だ。少しドキドキして待つと、何故かカップでホットミルクも置かれる。ココアもあるので飲み物が2つ提供された形だ。
「?」
よく分からずココアを飲む。
味はビターだけど、なんだろう。ココアではないな。
ここにホットミルクを入れるのか?
更にココアから離れるがこれはこれで美味しい。
ミルクはあった方がいいな。
「お兄ちゃん、逆だよ。こっちのホットミルクにちょっとずつ入れていくんだってー。好みのところでやめるって言ってたよ」
「おお! 斬新な飲み方だなあ」
そう言われればこっちの方がカップが小さいか。色と香りだけはココアなんだけどな。
「苦くはありませんでしたか?」
「うん、平気だよ」
「私も初めて飲んだのですが、こちらは使い切らなくて良いそうです」
ほぼホットミルクココア風味くらいで飲むようだ。
「飲み方は間違ったけどこれはこれで美味しいからいいや」
冷める前にどちらのカップも飲み干し体に熱を取り込んだ。ロクスに紹介された本屋と菓子店の話をすると、両方とも学生時代に行ったことがあるというので案内は大丈夫そうだ。
「ロクスあのね。そのお菓子屋さん美味しい? 僕、アリスとアイネに買ってあげたいの」
アリスはラウル付きのメイドでアイネはメイド長だ。二人が姉妹だと知ったのはダンス練習の時だった。
「ラウル、そこは執事のハベルにも渡してあげような」
「ハベルは甘いものが苦手だよ? アリスは甘いものが好きなんだけどね、僕が渡したいのはアイネなの」
「ごめん、苦手ならいらないな。アイネには、どうして渡したいって思ったんだ?」
なんとなしに聞いたら頬を膨らませる。
「一緒に花を摘んでいる時に見つけた花を渡したら『それは意中の相手に渡す花です』って言うんだもん」
アリスに輪をかけて真面目なメイド長の顔を思い浮かべる。
俺が学校に通っている間、春からずっと花摘みを楽しんでいたらしい。部屋に一輪飾られていたのがそれだと知り、内心慌てた。今更ながらに礼を言う。
ラウルの顔を見るに可愛らしい初恋ということでいいのだろうか。ロクスを見ると微笑ましそうに頷き、ベンツはどういうことか分からずに困っていた。モルシエナなら知っているのかもしれない。
「ラウルツ様、その焼き菓子店は厚みのあるガレットが有名です。バターがふんだんに使われていて味が良いのです。アイネは甘いものが好きなので必ず喜びます」
「本当?」
買って帰ると笑顔だった。
屋敷の皆へ、か。どうしようかな。
「ソルレイ様。本日は教会への菓子をお求めになれば宜しいかと。学校が終わってから立ち寄ることもできますのでお申しつけ下さい」
「うん、そうだね。そうするよ」
今日の目的は、教会への贈り物だ。
本屋も菓子店も学校から真っすぐ伸びている大通り付近にあり、それほど離れていなかった。本屋でエルマに書いてもらった一筆箋の紹介状を見せると、店主が売り切れていた上下巻の小説を奥から出してきてくれたので礼を言った。貴族が頭を下げるのはよくないらしいがお礼はその限りではない。店主に『またのご来店を』と声を掛けられたので頷いて応えた。来年もできるといいな。新事業が軌道に乗るかどうかは来年が勝負だ。他領から横槍が入る前に形になるように頑張ろう。
青い屋根の菓子店の方は、車がぎりぎり通れる路地にあった。お菓子は包がなく量り売りのスタイルで値段もそこまでするようなものじゃない。一般的な平民は手を出しづらいが、大店の主人や下級貴族には手頃な価格帯だった。1枚からでも買えるので良心的だ。どれも美味しそうだな。沢山のガラス瓶に焼き菓子が入っているので目移りしてしまう。
「教会への差し入れで。大人と子供たちが一緒に食べられるように多めに入れて欲しくて……」
「こちらのお任せでよろしいですか?」
「はい、なるべく多くの種類を沢山。3つくらい食べられるように。ガレットが特に美味しいって聞いたから、できれば全部ー亅
「お兄ちゃん!? 僕が先に買ってもいい?」
「あ、うん」
腕を掴まれて間抜けな声が出た。
選んでいる内に目の前のお菓子しか見えなくなっていた。分厚いガレットが呼んでいる気がした。
「先に弟の注文を。女性に渡すのでリボンか色つきの紐があれば十字にかけてやってください」
「くすくす、かしこまりました。ご注文をどうぞ」
「ふぅー危なかったー!あのね、ガレットとおすすめを1つと1番売れるのを1つ入れて。ひもの色はピンク!」
「はい! 女性でしたらこちらですね」
女性に一番売れるのはガレットではなくホロホロと口の中で解ける菓子だそうだ。
「それだと2つのほうがいいかなー? 隣の味違いのも入れて。うん、それをもう1セット。今度は黄色のひもにしてー」
ラウルが注文している間に見つけたパイの焼き菓子は入れてもらおう。
「やっぱり男と女って好みが違うんですね絶対にこっちのガレットを食いたいです」
「俺もそうだよ。齧りつきたい」
多少固くてもそれが良かったりする。
ラウルが僕も出すからこのホロホロを買おうよと言うので、壊れないように別に入れてもらった。
教会に何人いるのか分からないため沢山購入してからようやく店を後にした。
知らない誰かを思って大金を支払うのは格好いいことじゃなくて勇気がいることだと知った。
教会の扉の前で用件を言い緊張している。
それは向こうも同じで。
疲労の色が見える女性にも貴族からの寄付だと慌てて出てくる司祭にも申し訳ない気持ちになった。萎縮させてしまったのだろうか。中にと言われたが断った。
「では、ここでお預かり致します。ありがとうございます」
「貴族様から直接寄付があった場合は、記帳する決まりです。名前をお伺いできますか」
「はい、ソルレイ・グルバーグです」
「ラウルツ・グルバーグです!」
寒い中、司祭が手袋もつけていないまま記帳をする。その手は固そうだ。
この世界の国は子供を守らない。
それでも教会だけは子供を守る。
教会関係者が纏う服の色は黒。貴族が喪服の色だと厭う色。それ以上染めることのできない黒は権力への忌諱を表している。
黒の司祭服と骨張った手を見ると思い出す。懐かしいというほど記憶は色褪せてはいない。
『ハッハッハ。ソウルはしっかりしているな。1の日には必ず弟を連れてくるんだから』ずるい、ビスケットを余分に貰おうとしていると言われた時に司祭様がそう言い、弟や妹を連れてこない子達に『どうして連れて来ないんだ?』と続けた。
みんなビックリしていた。
司祭様の言葉に力を得た姉が、『うちの弟たちが悪いっていうの』と言い返すのだ。
ラウルがまだ小さい時のことで何が何だか分かっていなかったけれど、ビスケットを美味しそうに食べていた。
ラルド国の教会にはもう何も返せないな。
止まった手の動きを見て、焦点が紙に絞られた。寄付された物も書きつけるのか。
「「ありがとうございました。お気をつけて」」
「いえ、こちらこそ。ありがとうございました」
「ラルド国の教会で字を教えてもらったんだよ。また来るね!」
俺の言葉よりラウルの言葉に反応した二人はにっこりと笑った。
「ええ、またいらして下さい」
ラウルが一緒に来てくれて良かった。お互いに詰めていた息や緊張がゆるゆると霧散していくのを感じた。
言葉にしないと相手には伝わらないのだ。
「私も教わったので何かしたかったんです。お菓子は教会で働く人の分もあると思うので皆で食べて下さい」
「いただきますわ」
「是非そうしましょう」
最後は笑って話せた。
「ラウルありがとう」
並んで車までゆっくり戻る。ベンツがすぐそこで待っていた。
「お兄ちゃん、外ではラウルツだよ。偶に家でも間違えて呼んでるよ?」
今日は2回目らしい。
「わぁ……ごめん」
「アハハ。お爺ちゃんも気にしてないから僕はもうこのままでいいと思うよ?お兄ちゃんに呼ばれるならラウルツよりラウルがいいもん」
「うーん。家族だけの時はよくてもやっぱり外ではよくないと思うんだよな」
「貴族らしくするから緊張しちゃうんだよ」
お兄ちゃんが緊張する時は、貴族っぽく振る舞えているかを気にしている時だと言われ心臓を押さえる。
その通りすぎる。
平民にとって教会は緊張する場所ではなく、落ち着く場である。
凡ミスと自分の心臓の弱さを弟に指摘されて溜息が出た。
白く可視化されてしまい、誤魔化すように手でかき消して走る。
「ラウル、車まで競争だ!」
「わあ!ずるいよ!待ってー!」
帰ったらラウルにおいて行かれて、カルムスに嫌味を言われ、ダニエルに苦言を呈された気の毒なモルシエナがいた。




