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ラインツ・グルバーグ

「ただいまー」

「お兄ちゃん! お帰りー! 絵本は!?」

「アハハ。ちゃんと借りてきたよ」

「やったー!」

 飛びつくラウルを抱きしめ、鞄を持って制服のままお爺様の部屋に行くことにした。

「お爺様。これが魔道士の授業のノートだよ。座学は来週に一斉試験なんだ」

「ほう、これか」

 お爺様が本とノートを確認している間に俺達は、ソファーでのんびり絵本を読む。

 だけど、何ページも進まない内にお爺様のパタンと本を閉じる音がした。

「特段難しい内容はないようだの」

 お爺様の言葉に絵本から顔を上げる。

「そうなの? この魔法陣の作り方がよく分からなくて、図書館で本を借りてきたんだ」

 ソファー前のローテブルに置いたノートを開いてみせた。今日借りてきた本も見せる。“最初に読むべき魔法陣基礎”という題名だ。

「む? 私がいるので聞けばよいぞ?」

「うーん。いいの?」

「お爺ちゃん忙しそうだもんね」

「うん」

 お爺様が、がっくりと項垂れる。


 でも、聞いていいなら聞きたい。

 魔法陣とかどうなってるんだ? 状態なんだよな。

 どうしてこれで、魔法が発動されるんだ?

 媒介ってなに?

 魔方陣が力を溜める装置用魔法陣ってなに? それ、魔道具とどう違うの?


 入学前に教えてもらった時は分かったのに、授業を聞いていると疑問だらけになった。

「お爺様、ごめん。魔道士学の試験は、不合格になるかもしれないんだ。だって魔法陣とか意味が分からないんだ。先生が、ここを書き換えると水の魔法になりますって言うんだ。なんで? ここまで同じ魔方陣で、ここだけ弄るとなんで水の魔法が出るの? ここの3か所っていらないの? さっぱり分からないんだ。魔道士の歴史と魔道具の種類は大丈夫なんだけど、魔法陣は…分からなさすぎてため息が出る」

 魔道士学は、魔法士・魔道士の歴史と魔導具、魔法陣の3つの試験がある。できる2つに注力すべきか悩んでいた。

「む!? いかんぞ。このままでは魔方陣が使えぬ。よし、この2日間で魔方陣を教えるぞ! 描けるようになるのだ」

「ラウルもやる―!」

「うん。ラウルには悪いけど、俺は落ちこぼれる可能性があるから、一緒にお爺ちゃんの話を聞いて欲しい」

「うん!いいよ!任せてー!ラウルがお兄ちゃんに教えてあげる!」

「ありがとう。お爺様宜しくお願いします。自分で言うのもなんだけど、魔方陣が何なのか全然分からないんだ。正直、魔道具の杖も同じ効果があるんじゃないのか? って思っていて……」

 情けなくて頭を下げる俺にお爺様は、優しく頭を撫でた。

「よしよし。任せておきなさい!魔方陣は実戦あるのみじゃ!さあ出発だ!」

「わぁ!お出かけだね!」

「今からだね? 分かった!すぐに着替えてくるよ」

 急いで部屋に戻り、服を着替えて部屋を出ると、ミーナに「お弁当と水筒が入っています」とリュックを渡されたので背負う。

 どうやら遠出のようだ。

 ラウルがお弁当を食べたくて頼んだだけかもしれないが……。


「カルムス!出かけてくるので後は頼んだぞ」

「ラ、ラインツ様!? どこへ行かれるのです?」

「二人に魔方陣を教えてくる。2日したら戻るぞ。ソルレイは学校に行かねばならぬからな」

「魔道士として行かれるのなら私も同行いたします」

「ならぬ! カルムスはここで、シャンプーとリンスの商標登録をしておくように。国内と世界共通特許の出願も忘れるでないぞ」

 そうか、国内だけじゃ駄目なんだ。

 類似品やパクリはこの世界でも深刻なんだな。

「い!? 仕事が増えていませんか!? この前は財務派閥の会合に出ろっておっしゃいましたよ!?」

「うむ。ソルレイは魔道士としての一歩を踏み出そうとしているのじゃ。兄弟子として応援せぬか」

「それは……そうなのですが、なんだか、納得がいかぬ部分が……」

「カルムス。我が儘を言うのはそこまでだ。後から頼まれた私の方が、仕事が早いとはどういうことなのだ。ラインツ様。カルムスはやる時はやる男です。行って下さい」

「では、頼んだぞ! なに2日じゃ。案ずるな!」

「し、師匠」

 大階段で言い合いをしながら押しきる形で出かけることになった。

 確かにハチミツ石鹸やシャンプー&リンスの開発の方が早かったにも関わらず、ダニエルが内務向きであったため、ベリオットと養蜂施設の建設が着々と進んでいる。

 初期費用は、売るのがハチミツやベリオットと貴族に人気のある物の為、1年で回収できると試算されお爺様からGOサインが出た。

 一方のカルムスは、今頃になって莫大な利益になると気づいた財務派閥の者たちにもう少し利益を還元するように実家を通して言われているらしく板挟みになっているのだ。

 だが、俺達は財務派閥の一部の家に最初の時点で接触し、特許の出願や、販売ルート、他国との交易の関税の件で話をつけてある。

 今更、一枚噛むことはできない。というより初期に協力していた他の財務派閥家が許さない。

 お爺様は、俺とラウルの同席を認めた者達や信用できる者以外はそれとなくフェードアウトしていたので、カルムスが文句を言われる役を引き受ければそれ以上は問題にならない。

 ラウルと二人で『カルムお兄ちゃんよろしくねー』と手を振って家を出た。



 俺達は、魔方陣の勉強のための弾丸ツアーだ。

 どこに行くのだろうと思っていると、スニプル車で屋敷の背後にある道に向かって行く。途中で傾斜がつき登っていることに気づいた。


 山?


「お爺ちゃん、こっちになにがあるの?」

「魔方陣で魔法を放っても問題ないように施設を作ってあるのじゃよ。そこに行こう」

「「凄いね!」」

「ハハハ! 見ればもっと驚くぞ!」

 家族しか入れないのだと言われ、入れるのか不安になるが、優しい目が大丈夫だと言っていた。

 しばらく整備された山を登っていくと、中腹に白い建物が見えてきた。

 あれかな?

 その手前にも立派な山小屋があったが通り過ぎた。

「お爺ちゃんあれー?」

「そうじゃよ」

「白い建物があるね」

 御者をしてくれたお爺様付きの執事は、白い施設前にある別荘? のように見える場所で休んでいてもらい、目の前に現れた石造りの神殿の中に足を踏み入れる。岩盤をくり抜いて作られた白い大きな柱には名工の彫ったであろう彫刻が随所に施されていた。


 女神様とか出て来そうな場所だな。


 厳かな建物の雰囲気の中に光が差し込み湖の中に石が浮島のように点在していて、覗きこんだ湖の水の中に緑藻と白や黄の小花が咲き乱れている。


 透明度が高いのに綺麗な花たちが底を隠していた。


 思わずラウルと口を開けて、魅入ってしまうほどの美しさだった。


 建物の中に湖? 天井があんなに高く、ところどころ開いた場所から光が差し込む様は世界の始まりのような……。1つの切り立った岩に降り注ぎ、陰影が近づくことを拒んでいるようにも感じる。足を止めずにはいられない場所だ。

「綺麗であろう? ここまでは家族でなくとも入ることができるのだ。使用人の中には早朝にここで拝んでから働く者もおる」

「……うん。声が出ないくらいだった」

「……僕も。凄く綺麗で。絵本の中にいるみたいだね」

 お爺様は嬉しそうに頷いた。

「では、中へ入ろうかの」

「「うん」」

 ここはまだ入って数歩の入り口だ。外で見た建物の周囲と中の構造が一致していないのだが、ここを通らないと中には行けないようなので、お爺様の後をついて行く。

 恐らく回廊なのだろうが、足元が宝石のように歩く度に光り、その下には水がある。

 水の上を歩いているような錯覚になるのだが、高い天井もまた水が張られているのか、悠々と七色の魚が泳いでいる。

 神秘的な光景に圧倒され、前を歩くお爺様の背を見ながらラウルと手を繋いで歩いた。


 真っ直ぐ歩いて行くと、ついに行き止まりに着いたが、お爺様が手を翳すと5つの魔法陣が浮かび上がり、音を立てずに目の前の壁が消えていく。

「ここじゃ。さあ中へお入り」

「「うん」」

 広間のような空間は天井も壁も白一色だ。何もない白い部屋かと思ったが、揺ら揺らと七色の魚が空中を泳いでいる。


 口を開けたまま二人で見上げる。


「お魚さんだね」

「うん。さっきいっぱいいたのと同じだ」

「おっきいね」

「うん」

「ハハハ。見えているなら問題ない。ちゃんと魔道士としてやっていけるぞ」

 ハッとして二人でお爺様を見る。

「そうなの?」

「本当? 魔法陣、全然分からないよ?」

「大丈夫だぞ。心配しないでいい。二人は何色に見えておるかの?」

「僕は赤色だよ」

「え? そうなのか? 俺は七色だ」

 顔を見合わせ一緒に驚く。

「この魚は適性によって色が変わる。ラウルの赤は地熱の赤。エネルギーの強さ。強い魔力で一撃必殺じゃな」

「攻撃力が強いってこと?」

「ふむ。そうじゃな。一概に攻撃とは言わん。守る力もまた強い力が必要だ」

 なるほど。

「お兄ちゃんは? 虹色に見えてるの?」

「そうそう、虹色で色がグラデーションして、泳ぐたびに光の屈折なのか七色に見えるんだ。光って見えてる」

「虹色は、まだ決まっていないことを意味する。選べる虹色は貴重じゃな」

「え?」

 それならラウルと同じ赤でいいよ、と魚に念じたが虹色のままだ。

「駄目だ。ラウルと同じでと祈ったけど駄目だった」

「えぇ!?」

「ハハハ。そのように祈っても神でもないのでな。虹色はこれからどうなりたいのか選べる故な、しっかり考えて魔道を極めていくと色が変わるはずだ」

 選べるとは今ここで決められるという意味かと……努力もせずに気持ちが先走り恥ずかしい。

 完全にあの魚が神様役になっていた。

 ゲームじゃあるまいし、と前世の記憶が走馬灯のように蘇り、ぶわっと顔が熱くなり顔を両手で隠す。

「そうなの? お兄ちゃん!ラウルと一緒に頑張ろうね!」

 ラウルに言われ、恥ずかしさもあり力が入った返事をした。

「うん!頑張ってみるよ!」

「よしよし!その意気じゃぞ!では、ソルレイの疑問だった魔法陣についてだ。一番大事なのは魔法陣だからのう。魔道具や歴史は忘れてよいぞ。あんなもの、壊れればただのガラクタじゃ。歴史も何の役にも立たぬ故覚える必要もないぞ」

「「えぇー!?」」

 驚いて声を上げる俺達を余所に「さ、やろうかの」と、軽く言い、部屋いっぱいに無数に出された魔方陣を見て、俺もラウルも何度目かの目を丸くさせる時間となった。


 この日、お爺様の孫になって初めて、大魔道士と呼ばれるラインツ・グルバーグの凄さを知った。

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