学校は初日が肝心
真新しい綿の生地のシャツを身に着け、絹の幅の広い深緑のリボンを学校のエンブレムが刻まれた白金の留め具に通すとネクタイのようになる。
まだ10歳なので初等科はこれでいいようだ。
ダークグリーンの品の良い制服を着て、スニプル馬車で向かえば90分の道のりが30分弱だ。
馬車やスニプル車専用のロータリーが正門を入ると左右にあるので、どちらかで降ろしてもらう仕組みだ。
「ソルレイ様、行ってらっしゃいませ」
「うん、行ってくるね」
専用執事になってくれたロクスから鞄を受け取り、3組の教室に行く。
本当は3組ではなく、ガーネルという花の名前がついた組みなのだが、少し恥ずかしいので慣れるまでこれでいいだろう。
3組の教室に入ると、ここにいないはずの白制服のノエルと、3組の白制服の男子と少し下がって女子が二人、一斉に俺を見た。
他の生徒は遠巻きに見ている。
入学早々揉めるだけの時間があるようには思えないが、とりあえず挨拶か?
「……皆さまごきげんよう、ソルレイ・グルバーグです」
「ごきげんよう、とは言える気分ではないが、本人からも話を聞きたい。エリット・カルクケルだ」
白服の男子生徒は確か…他国の侯爵家だ。
「ごきげんよう。ソルレイ様。リューナ・セルドルドでございます」
「ごきげんよう。エリーゼ・フォングと申します」
一人だけ挨拶をしないノエルにエリットが眉根を寄せたが、ノエルが口を開いた。
「ソルレイ。クラスだが、ガーネルではなくレリエルになった」
ノエルの顔を見て察しがついた。昨日言っていたのはこれか。自分と同じクラスに俺を移動させたのか。言われた教務課の職員はさぞかし困っただろう。
「変更を伝えるためにここで待っていてくれたのですか?ありがとうございます。では、参りましょうか」
「ああ」
「待て。変更が急すぎる」
「それは、私に言われても困ります。今、知ったところですから。それに、教室に行って鞄を置いたら式典のある中庭に移動したいので、失礼させてもらえませんか」
ギリギリに行きたくないのに困ったなぁと隠さずに独り言のように周囲に伝える。
「私も主席として、式典での役割があるので行かせてもらう」
踵を返して、教室を出て行くので、女の子たちを見る。
リューナはアインテール国の子だ。
なんとかなるだろうと、エリットに向きなおる。
「エリット様。同じクラスになるはずだったので、気にかけて頂いたのですよね? ありがとうございます。まだ、初日も迎えていない中での異動ですから、私は気にしておりません。始まってからだと不安もありますが、大丈夫ですよ」
微笑んで、エリット様はお優しい方なのですね、お気遣いありがとうございます、と押しきると、まだ子供なので、『む? そうか?』と照れたように流される。
「エリット様、急な変更ではありますが、ソルレイ様のおっしゃる通り、まだ初日を迎えておりませんので特に問題もないかと。わたくしもこのクラスでかまいませんわ。エリーゼとは友人ですもの」
リューナが俺と入れ替わったのか。
俺とリューナが別にいいんじゃないか、となると、もう一人の女の子も笑って賛成に回った。
「それもそうですわね。式典に遅れることの方が問題になります」
「む。そうだな」
よし。
「では、失礼します。皆さまも遅れることのなき様に。中庭に行くには正門まで戻る形になりますからお気をつけ下さい」
「ああ、そうなのか。分かった」
「「ありがとう存じます」」
エリット・カルクケルは昨日教務課で教えてもらったがワジェリフ国の侯爵家だったはずだ。
納得させれば、問題にはならないが、拗れるとややこしい。
上手くいって良かった。
廊下で待ってくれていたノエルにお礼を言う。
本当に守ろうとしてくれた、その気持ちが嬉しかった。
「余計だったか?」
「初等科は4年間ずっと同じクラスだよ。ガーネルじゃなくてレリエルでよかった。クラス対抗もあるからね」
「そうか。だったら俺も同じ方がいい」
ほっとしたように笑うので、笑い返し、急いで教室に鞄を置き、一緒に中庭へ向かった。
全員分の席が用意され、クラス別に座るのだが、入学した祝辞を述べる代表を務めるノエルが隣にと言ったので、レリエルの一番前の席に座った。友人だと知らしめるには有効的らしい。
先生の紹介が始まった。マナーや作法を教える、ブーランジェシコ先生は男性でガタイの良い先生だ。
意外すぎてすぐに覚えられた。
歴史は普通なのに、数学は1年間だけで、あとの3年間はなぜか、確率を専門に学び、詩、音楽、ダンスと4年間貴族としての教養も学ぶようだ。
魔道士学校なので座学だが、魔道士の歴史や勉学、魔道具の作り方などもある。
高等科で実践に入るらしく、才能の無い者は入学試験で落とされるので、高等科からは貴族学校に編入することになる。
成績は持越しで編入は特に恥ずかしいことではない。
アインテール国では、わざわざカインズ国に行かなくても4年間の可愛い盛りは手元に置いておこうと考える貴族家が多く、才能あるなしに関わらず魔道士学校に入れるのだ。
「では、新入生代表により挨拶を行う。アヴェリアフ侯爵家ノエル殿、前へ」
「はい」
ノエルが呼ばれ、登壇すると美少年すぎる美少年にざわめいた。
陽春の候、と挨拶から始まり、学生生活の期待と抱負と満点の答辞を述べて拍手を受け、戻って来る。
ノエルに“お疲れ様”と小声で伝えると、頷かれる。
式典は恙無く終わった。
教室に戻ると先生が既にいた。
「どこでもいいから席に着いて下さい。さっき説明があったと思いますが、この学校は専門の教員が教えます。だからこのクラスの担任がいるかは分からないけど、まあ一応私がいます。私が担当するクラスは、レリエル、ガーネル、アモンですね」
ふん、ふん。
1組、3組、5組の奇数か。
2組、4組、6組は違う先生が持つのだな。
「このことの意味が分かる子がいるのかしら? ……そうねえ。ガーネルからレリエルに今朝異動したソルレイ様。どうです?」
うーん。
茶色いおかっぱがよく似合う可愛い先生は、俺の移動が気にくわないらしい。
ここは、ラウル式で素直に聞くか。
「成績順にクラスを分けていたので怒っているのですか?」
「あら? 気づいていたの?」
少し驚いた顔をする。
25人しかいないクラスで目立ちたくなかったのに。
「私は10番目の成績で3組目のガーネルでした。1番から6番までをクラスの代表、6組からまた成績順に折り返していけばそうなります。でも、アインテール国の貴族は、他国の貴族達が寮で良い部屋になれるように気を遣って2、3問は無回答で出すのが礼儀。10番と12番の移動など誤差の範囲です。まずは、先生の名前を教えて下さい。それと“3クラスを担当するので、なるべく私に迷惑をかけないで”と、言えばある程度は解決されると思いますよ。ここは主席のノエル様のいるクラスで私は友人として微力ながら協力します。その代わり平穏な学生生活を下さい」
ダニエル式交渉術では先に欲しい見返りを述べ相手にも利があるように伝えるのだが……。
ハトが豆鉄砲ってこんな顔なのかな。
ついでなので、弟とお爺様が待っている家に早く帰りたいので放課後に用事を押しつけられるのは嫌です、と言っておく。
次の瞬間、腹を抱えて大笑いされた。
「アーハッハッハ。名門のグルバーグ家はいつも変わった子が来るって本当だったのね!」
笑い続ける先生にノエルがチクチクと突き刺す。
「笑っていないで、ボードに名前を書いてくれ。3クラスを担当するのなら説明を手早くしてすぐに向かうべきだ」
「そうですね。私の名前は、クライン・ハイブベルです。これでも伯爵家よ。ただ、王家だろうが、公爵家、侯爵家だろうが教員には逆らえないわ。各国の王にこの学園の教員は庇護をされているの。その代わり誰がどのような事情を抱えていても、私達教員と学園が生徒を守るのよ。だから敵対派閥が貴族学校へ行くならもう一方の派閥はここに来る、なんてことはザラね。それから、放課後に雑用を押しつけたりしないから安心してちょうだい」
俺が素直に頷くと、「じゃあ、これ、皆に配って説明しておいてちょうだい。概要はこれね」
そう言って部屋を出て行った。
初めは敬語だったのに、俺に関してはもういいや、となった気がする。
ノエルと目を合わせ、仕方なく教卓に置かれた概要とプリントに目を通す。
「ふむ、ふむ」
「明日からの授業の概要か」
「ん」
俺はプリントを1番前の人間に渡し後ろに回すように言う。
皆は素直にプリントを後ろに回した。
そして全員に配り終えたのを見てから、ノエルが一言。
「あの教員は信用できない。力を合わせるぞ」
生徒たちもそうだな、そうね、と初日から団結することが決まった。
「うん。4年間、同じクラスだからね。仲良くしよう。それじゃあ、先生に任されたので概要を伝えます……」
ざっと、1年間の通しの計画を説明し、25人のクラスなので自己紹介をしていく。
学生同士は敬語などいらないと思っているのは上級貴族だけなので、差し支えなければ階級も言ってもらう。
言いたくなければ、敬語はいらないとはっきり宣言するように言っておく。
後から、俺は、私は、どこそこ家の~〜などと、卑怯な後だしはなしだ、それをされて困るのは下級貴族家だと言うと、みんな一様に言っていくので素直だなと感心した。このクラスならやっていけそうだ。
ノエルは登壇時の自己紹介でバレ、俺もさっきバレたので普通にグルバーグ辺境伯家のソルレイだと名乗る。
25人の出身国や名前、階級が分かったので、名簿を作っておく。
侯爵家はノエル一人で、辺境伯家もいない、次は伯爵家なので、俺が階級に気を遣う相手はノエルだけでいいようだ。
「今からが本題だ。明日から普通に授業が始まる。時間割は9時から15時まで。休憩は昼が1時間、授業の合間は15分。ただ、音楽やダンスなどの移動教室もあるから気をつけないと遅刻になる。遅刻のペナルティーは3回で1回欠席した扱いになる。欠席が3回になると試験の点数から10点を引かれる。病気で欠席の場合は医者の診断書か薬店で買った薬の領収書がいる」
ノエルが説明すると顔色を悪くする下級貴族の子達がいる。
金がかかるから寝ているだけでいいのにという場合は無理に来ないといけなくなるな。
「学校にも医者はいるよ」
そう言うと、顔を上げる何人かと目が合った。
「他国から来ている者にとっては、学校の救護室の医者が頼りになると思う。学校にいて具合が悪くなれば、初日に看てもらえば、その病で欠席した診断書を書いてくれるはずだから無理をせずに救護室で相談する方がいいね」
大っぴらに、学校に来てから救護室に駆けこめとは言えないので、これが限界だが、恐らく気づいただろう。
ノエルが大事な部分の話をしたので、俺はどうでもよさげな移動教室の説明や、2カ所あるリストランテの場所、お弁当持参でも良く、カフェは3カ所で高等科も使うことがあるので礼儀やマナーに気をつけるようにという注意事項と、ジェラードが食べられるのは一番奥のカフェだけであるという密な情報を開示した。
女子が食いついていたのでよしとしよう。
説明を終えたので、ノエルを見る。
「今日はここまでだ。解散」
え? という顔をする級友を前に俺達は席に戻って鞄に名簿や筆記具を直した。




