アーチェリーの憂鬱
昨日も今日も、まだ来ない明日もきっと空腹だ。その繰り返しの毎日。寒い北国の風に身を縮めてじっと春を待つ冬は、一日の天候加減で命を摘み取られる季節だった。
大人が貧しいから子供も貧しい。捨てられる子供も多く、俺の番がやって来て捨てられた。それからは街の狭い通りで同じような子供達と身を寄せあって眠る日々だ。親の顔も覚えていない頃からの日常。
それが一変した。
街の通りで生き倒れていたら次に目覚めた時、本当は貴族の生まれだと言われた。
こんな幸運なことがあるのか。
一緒に来て欲しいと言われ、二つ返事で了承をした。
どうせ死ぬところだったのだから怖いものはないとついて行き、魔力があると教えられ本当に貴族なのだと喜んだ。
親は物心ついた時からいなかったため、他国に移動すると言われても何の未練もなくこの国を出た。
遠い東にあるアインテール国に行くと言われ、そこの大貴族の子供だと言われたが、親は既に他界しているそうで、一人いた爺さんも死んだらしい。
ここに来るまでの道中、そう言われていたので今の仮の当主から当主を引き継ぐということは当然だと思っていた。
しかし、孫は既に二人いて、どちらも年上だった。
その内の一人から『逃げるなよ』と言われ、返事はしたものの状況がよく分からない。
「あの、当主の人は孫で、俺より年上ならそのままでよかったんじゃ。どうして俺が呼ばれたのか……」
「ああ、彼らは偽者だ」
「偽者?」
深くソファーに座り、眉間の皺を揉みながら説明を受ける。
「レイナ様は、……君のお母さんは、我が国の平民と恋に落ちてね。アインテール国を出てしまったんだ。亡くなられた君のお爺様は、彼らが孫だと信じこんでしまってね。ラインツ様と引合わせる前に間に合わなかったことは残念だが、君が見つかって良かったよ」
そうだったのか。
貴族と平民の恋なら捨てられたのも頷ける。
「レイナ様は美しい方だった」
ボンズは会った時からずっとそう言っていた。この国の貴族であるモレビスも硬い表情で頷いた。
「……次の王になられる第一王子も、あなたが子供だと認めていらっしゃいます。何も気にすることはありません。アーチェリー様はまだ10歳です。大人になるまでは、わたくし達が仕事を引き受けることになります。これからは学校に通ってもらいます。期間は10歳から16歳までです。17歳になられましたら領を治めるために働いてもらいますが、補佐官が何名か付きますから心配はいりません。少しずつ覚えていってください。今はとにかく勉学を第一に致しましょう」
「さよう。遅れた分を急いでやらなければならない。明日から家庭教師が来る」
「わ、分かった」
話を聞いて、王子が言うのであれば間違いないことなのだろうと思った。
急に追い出されたので腹立ちまぎれに言ったのかよ。
嫌な気分になるが、食べたことのない料理を山ほど食べ、風呂に入り眠りについた。
メイドも綺麗だし、いい暮らしができそうだとほくそ笑んだ。
次の日から家庭教師が来たものの字も書けない、計算もできないと知ると辞めていった。
急いで字を書けるようにならないと、と人を呼ぶが、下級貴族の家庭教師たちはなぜか数日で辞めていき、今は平民が教えに来ている。
「ふぅ。まさか名前以外の字が、書けないとは思わなかった」
「……そうですか。学校が始まるまで二週間を切っています。字は書けないとノートも取れませんよ」
「ああ、分かっている」
そうか、字は大切なんだな。
俺は部屋で練習をするようになり、メイドも練習に付き合ってくれ、執事も問題を出してくれる。好意的だったこともあり、なんとか字の形を覚えることができた。
字が書けるようになると、絵本の読み書きが始まり、内容を理解できるように単語を覚えた。
食事はがつがつとかきこむように食べていたが、貴族の食べ方ではないと直され苦痛だった。それでもメイド達から、将来のために頑張ってくださいませと応援をされ乗り切った。
ぼろが出ないように周りをよく見てから行動するように言われて、初めて学校に行った。キラキラと眩しいかわいい子がいっぱいいて、俺に挨拶をする。
「ごきげんよう。アーチェリー様」
「ああ!おはよう!」
担任は身体の大きなやつでブーランジェシコというらしい。
「では、みなさま。明日から頑張るのですよ」
「「「はい」」」
皆が返事をすると担任は出て行った。
授業は始まったが、何を言っているのか分からず、ノートだけを書き、家でもう一度家庭教師を呼び教えてもらう。
楽器は選択制で、太鼓を選んだ。
叩くだけだ。なんとかなるだろう。
テストがあるなど知らずに前期を過ごし、テストは軒並み不合格だった。
不合格でも卒業はできると聞き、安心して学校に通っていたが、後期の試験が終わると順位の張り出しがあった。
150番中150番、アーチェリー・グルバーグと書いてあり、クラスで女子達に笑われた。
家でも順位を聞かれ150番だと言うと、取れそうな科目から取りましょうと言われ、学校から帰ると、寝る前まで家庭教師がついた。
笑われたことに苛々が募っていく。物を壊して鬱憤を晴らしたり、綺麗なメイドの胸を鷲掴みに揉んだりした。
「いや、やめてください!」
「俺はここの当主だぞ! これくらいいいだろ!」
メイド服の上から大きく盛り上がるように膨らんだ胸を後ろから思い切り揉むと柔らかくて気持ちが良い。
「離して!」
「クソ! 逃げられた!」
まだ子供で力が弱いため、撥ね退けられ腹が立った。
次の日には辞表を置いて、多くの綺麗な若いメイド達が辞めていった。
狙っていた可愛い子にも辞められ、先に揉んでおけば良かったと残念に思う。
可愛い顔をしたメイドをもっと雇うように頼んでおいた。
2年生に上がると、順位も上がり150番から130番になった。
上がった順位に満足して、さぼってカフェでジェラードを食べていると、教員達も入って来た。まずいと身を縮めるが、気付かれなかった。
俺の座る席の後ろのボックス席という間地切りをされた席料のいる席に座った。
「季節のジェラード4つでお願いね」
「かしこまりました」
店員が注文を取って下がり、ジェラードが運ばれると『美味しいわね』と華やいだ女性の声が聞こえた。
他に客がいないからか声が大きいな。
「ミスクライン、ミスターソルレイとミスターラウルツはいつ発たれるのですか?」
「ラウル君。僕には全然教えてくれないんです。クライン先生はソルレイ様から聞いているのではないですか?」
「ええ、伺っておりますわ」
「やはりですか。二年はいてくれるので、その間にある程度の対策は取らないと、と思いながら日々の忙しさに負けて、領地の方はあまり進んでいません」
「まあ! わたくしなどいつ逃げてもいいようにこの二年は必死でしたわ」
ソルレイとラウルツってあの偽者どもか!?
何をそんな親しげに教師同士で話してるんだよ。
「私も急がせた方が良さそうですね」
「まだ猶予はありましてよ。それからマットン先生。ソルレイ様をいたく喜ばせているようですわね。この前、初めて教えてもらいましたのよ」
「なんのことでしょう」
「魔道具ですわ。研究室に出入りしているとか」
魔道具? その言葉に異様に反応する奴が声を荒らげた。
「そんな!? 僕は駄目だって言われたのに!」
「ノックス先生は好かれていません。自分で言うのもなんですが、私は好かれております」
「ええー!? ど、どうしてですか!?」
納得がいかないとうるさい奴を他が宥めていた。
「ふふふ。そうでしょうね。初等科の時から、同い年だったら友人になって魔道具を作り明かしたのにって言っていましたもの。先生と生徒の関係ではなく友人が良かったようですわ。お爺様が生きている内に家に招いて、一緒に作りたかったと聞きましてよ」
「……そうですか」
「ミスターマットンのこのような顔は珍しいですね」
「私も友人が良かったのですよ。今の言葉は宝物に致します」
「せっかく生徒を卒業して、友好を結べると思いましたのに残念ですわ。わたくしこんなに悔しい思いは初めてですの。あの二人は間違いなく、偉大なるラインツ様の孫で、優しい殿方達でしたのよ。先生方も心残りの無いように、食事に誘っておいた方が宜しいですわ。何度も誘っていますけれど、その度、快く来てくれますわ」
!?
「寮宛に手紙を出したら応じてくれるでしょうか。ラウル君と食事に行きたいです」
「私も研究室に行った折に食事に誘うとしましょう」
明日行くことになっているという。
「ミスターマットン。私も同席させていただきたい」
「それ、ラウル君も来るのですか!? だったら僕もお願いします!」
「ふふふ」
ひとしきり会話をすると、溶けているわ!とジェラードを急いで食べ始めていた。席を立つのかと思いきやまた会話に戻っていく。
「ブーランジェシコ先生が担任を引き受けて下さった例の子は、どうですの?」
「初年度が150番で、今年が130番でしたよ」
今度は俺のことかよ。誰が言ったのかこっそり見ると、ダンス教師だった。
「今年も酷い順位だなあ。去年は全科目不合格で学校に不満でもあるのかと思っていましたが、実力みたいですね」
「なんて見苦しい順位なのか。せめて優秀であって欲しかった。神に祈りたい気分ですね」
「本当ですわね。やる気がないのならソルレイ様にお任せすればよろしいのに」
な!? なんだよ!
上がったんだからいいだろう!?
「ソルレイ様は、剣以外は常に満点でしたし、芸術面での加点科目 4 つで最高の 30 点が 4つともにつくのは開校以来初めてでしたよね。ラウル君は完璧で入学から卒業まで満点の主席、加点も多かったです。いくら第一王子が偽者だと言っても無理ですよ」
あいつらそんなに成績が良かったのか。
どうりでクラスメイト達に笑われるはずだ。
「ノックス先生の言う通りです。グルバーグ家は魔道士の家系なので血が重要になってきます。微力よりもさらに低い微弱の魔力量などあり得ませんよ。ソルレイ様は、平民の父親似で黒髪なのだと言っていましたが、魔力量は膨大です。ラインツ様が亡くなられた翌日の授業では、心が乱れて、水魔法でクラスメイト達を溺れさせてしまう所だったと聞いています」
「その話はミスジョエルから聞きましたよ。私と彼女は隣の領同士でしてね。ラインツ様が亡くなられた翌日だと知らずに厳しく叱ったそうですが、深く頭を下げていたそうですよ。同じ時期にミスターラウルツもクラス対抗で魔法を暴発させています。あの二人は本物です」
「皆本物だということは、分かっていますわ。社交界でもどうするのか?王が動くのか?と、この二年ずっと注視しておりましたもの」
なんだよ? どういうことだ?
あの二人は偽者じゃないのか?
俺は動くことができずにいた。
「王はなぜ第一王子を諌めないのでしょうね?」
「私も疑問だったのです。グルバーグ家がアインテール国からいなくなれば、いずれ国は攻められますよ。そんなことは火を見るより明らかなのに変ではありませんか」
「噂で。王は、御病気なのではという話はありますが、公務にお出になっている以上信憑性に欠けますわね」
「“引き取る”と、すぐに名乗りを上げる他国の侯爵家とのつながりがあると思っていなかったのでは?」
「のちに、当主を戻すつもりだったということですか? まあ、それならまだ、納得もできますが、国を支えてきたグルバーグ家に礼を失しすぎでは……」
同情するような声色が続き、もう席を立ちたい。
「優しいソルレイ様とラウルツ様なら、とタカをくくっていたのかしら。ソルレイ様も主張する時はかなり強く主張されるわ。今回の件は王が思う以上に怒らせているのよ。アインテール国の貴族籍から抜けて、助けないとはっきり示したもの。10歳から彼を見ている私でも驚くような決断だわ」
「ラウル君もです。意見を曲げたりはしません。決断は早かったですが、二人とも悲しんでいるように見えました。ラウル君が言うには、ラインツ様が亡くなったことを悼んで偲んで欲しかったのに、亡くなった途端にグルバーグ家に首輪をかけようとしたことや領地や家に土足で入ろうとすることにソルレイ様は怒り心頭だったそうです」
「しかし、アインテール国の貴族でなくなるとラインツ様の遺したものは守れないのでは? 領地や領民もそうですが、貴重な魔法陣や魔道具もあったでしょうに。それからせっかっく育んだ貴族間の繋がりも」
「ふふ。それらは全て大丈夫ですわね」
「ほう?」
「何を知っているのですか?」
「私も知りたいです」
「秘密ですわ。ヒントを差し上げるのなら、彼らはやはりラインツ様の孫なのですわ」
「アインテール国の貴族でなくなっても領民や領地が守れて、ラインツ様の遺産も守り、アインテール国の貴族とも友好を育むのですか。そのような方法があるのでしょうか」
「これは、楽しみですね!僕はラウル君と繋がりが切れるのが嫌なので迎合しますよ」
「それはそうですな」
「では、私も繋がりを切られないように努めましょう。逃げるなら他国になります」
「あら? わたくしと同じお考えですのね。ソルレイ様もラウルツ様も女性には優しいですから助けてくれると踏んでおりますのよ。向かう時は、何か手土産も用意しなければと思っていますわ」
「「「なるほど。いい考えです」」」
土産は菓子の材料にする、そうすればまた私に返ってきますもの、と女性が言い、男性陣がその面白くもない冗談に笑った。
「「「「プッ、アハハハハ」」」」
教師達が席を立って出て行く気配がし、テーブルの下に潜り込んで視界に入らないようにした。
今、分かったことを整理すると、どうやら第一王子がソルレイを当主から引き摺り下ろして、俺が当主になったようだ。
貴族間のごたごたなど知らないが、跡目争いに勝つために兄弟間で殺し合うという話は市中の噂話で聞いたことがあった。
殺される可能性もあったのか。
「なら、さっさと家を出て行ったことに感謝だな」
話を聞く限り、他国の侯爵家に引き取られたようだから今後は関わり合いもないだろう。
辺境伯家より侯爵家の方が地位は上だと言うし、不満に思うこともないなら殺しには来ないからな。
そういえば、最初にいつ国を出て行くのか聞いていたな。
二年はいると言っていたところをみると、後二年か……。
待てよ。
確か、弟は今年度に高等科を卒業すると、ボンズとモレビスが話しているのを聞いた。
だったらもうすぐいなくなるはずだ。
ようやく関わりが切れそうだと喜びに笑みが浮かんだ。




