寮暮らしは、皆でほのぼの
冬の終わりにグルバーグ領を出た俺とラウルは、春からアインテール高等学校の学生寮で暮らすことになった。
ラウルが初等科を卒業したら、エルクに会いに行く予定になっていたが、その予定も崩れた。帰りにグリュッセンにいるアイネに会わせてあげようと計画していたのに。
「ラウル、おはよう」
「うん、おはよう。ソウルが朝ごはんを作ってくれるの?」
隣り合うラウルの部屋を朝から訪ねれば、呼び方が、“お兄ちゃん”でなくなっていた。
「さらっと変えたな」
指摘すると、くすくすと笑い出す。
「うん! 入学してからとか面倒でしょ? その内慣れるよ」
事前にそうしたいと言われていたからいいけどな。
これも卒業かな。試しに頭を撫でてみると、嫌がらずに撫でられていた。こっちは、まだいいらしい。それならアイネの前でだけやらないように気をつけよう。
「カフェに行こうかって誘いに来たんだけど、作ろうか?」
初等科の朝定食でもいいな。高等科の制服は目立つが、私服ならば目立たない。
「最近、食べてないから食べたい。手伝うから作って」
「いいよ。ラウルの部屋って……何か材料はあるのか?」
食べ物がある気がしない。入口近くにある使用人部屋。モルシエナの部屋の方がありそうだ。そちらの部屋を見ると、気づいたモルシエナが手を横に振った。
「ないです、ないです!」
「アハハ! ロクスもモルシエナも食材はさすがに持ってないよ。僕もお菓子ばかりだね」
「じゃあ、俺の部屋で食べようか。クレープでいい? スープは作るよ。後は、ビーンズサラダくらいだな」
おかずにスクランブルエッグとベーコンを焼くから、自分で巻くように言うと、素直に喜ぶので、料理長が持たせてくれたマーマレードジャムも出すことにした。
朝と夕は、なるべく皆で一緒に食事をとる約束をしていた。料理人を連れて来られないから学内や学外の店に行くか、部屋で作るかになる。
備え付けの設備では、お茶くらいしか淹れられないため、すぐに中古のオーブンを買った。少しずつ調理器具を揃えているところだ。
紅茶を淹れるミーナとアリスを待ってからクレープを巻いていく。ミーナ達も嫌がらずにナイフとフォークを使って食べてくれた。ちなみに俺とラウルとモルシエナは手に持って食べる。
「ラウル、商業ギルドに行ってくるよ」
はみ出たジャムがついた親指を舐めとると、ロクスに濡れた手拭きを持って来られてしまった。行儀が悪かったか。礼を言って拭う。
「ベリオール絡み?」
「うん。応募希望者の書類選考。ギルドの職員に随分とふるいにかけてもらった。近々まで他店で働いていた人は、一律で落としてもらったよ」
「偵察かどうかなんて分からないもんね。僕も行こうか?」
「いいよ。まだ書類選考だから」
ラウルは、でっぷりと太った金にがめつい商業ギルドのギルドマスターを苦手にしていた。
ロクスにもミーナにもアリスにも負担だから早く決めたいだけだし、今回は俺だけでいい。
「お二人の始められたカフェベリオールのケーキは、午前中に完売していますよ」
「もっとパティシエを増やさないのですか。考えられても宜しいかと」
「「クオリティが落ちそうで……」」
ロクスの考えも分かるんだけど、増やす予定はないな。人が増えると、手を抜く人が出そうだから作る個数はそれほど多くなかった。完売しているのならそれでいい。
「開店前に並んでいますよ」
売れると言ってくれるミーナの言葉は嬉しいが、失敗すると大変だからな。すぐにダニエルに連絡を入れないといけなくなる。
「昨日は、休みの日でしたから男性もいらっしゃっていましたよ」
「おお。独りで?」
「お一人でしたね」
「勇気があるね」
「かわいすぎる店内で、男は入り辛いです。場違い感が凄いです」
モルシエナの言に同意だ。
あれは同姓を売り飛ばした内装と価格だ。デートで使って欲しい。
プレゼントにも喜ばれるだろうと持ち帰りにも力を入れた。ケーキのテイクアウトは珍しいからな。
まだ一週間だけれど、当たったと思っていいのだろうか。生活の資金と雇用さえ守られたら高望はしないけれど、上手くいくに越したことはない。
「そろそろ行ってくるよ」
居心地が良くていつまでもいてしまいそうだ。さっさと行ってこようと紅茶を飲み干した。
「モルも一緒に行って来て。僕は部屋にいるから大丈夫だよ」
「了解です」
「隣領の支部にしか行かないよ。王都じゃないから一人で大丈夫だ」
平気だからラウルと一緒にいるように頼んで、部屋を出た。ベリオールがあるのも隣街のため、朝番のロクスとは途中まで一緒だ。
「ソルレイ様、お急ぎにならなくても構いませんよ」
「ありがとう。人が決まらないと落ち着かないんだよ」
夏からではなく、寮に移った時点で研究室も使えるらしいのだが、こちらが優先だ。
寮の廊下を歩きながら良い人と出会えるといいなと思った。
商業ギルドの本部は王都にあり、大きな建物だった。学校の隣りの領にある店は支店だ。それでも立派な建物で、入ると天井が高く、敷かれた赤の絨毯が一流ホテルのようで入る者を萎縮させる。
2階は、個室の商談スペースがいくつのあると聞いた。会員なら好きに使えると説明を受けたが、ここでの商談は、緊張しそうだ。
受付は、貴族専用と一般用に分かれている。貴族が直接来ることは滅多にないので、いつ来ても空いていた。
受付で一人がけのソファーに座り、言い慣れない名前を名乗って、会計業務希望者のリストを出してもらう。
「ソルレイ・フェルレイです。ベリオールの就職希望者の一覧を見せて下さい」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
カウンターに出された応募書類は、手書きで用紙も希望者によって様々だ。平民に働いてもらうため、藁半紙1枚でも書き損じの裏紙でもいいことにしてある。平民にとって上質紙は高い。インクも高いので、炭を練ったものでいいのだ。
売り込み文句は、最後に書くという謎のルールがあり、どれもちゃんと書いてあった。一読して、不合格の人を脇に避けていく。
「こちらの方々に、次の選考に進んで頂きたいです」
最後の書類はどちらにしようか迷うものだった。次の選考に進む方へ応募書類を重ねる。と、同時に声がかかった。
「どういった基準で選ばれているのかお伺いしても宜しいでしょうか」
少し低い独特な声の持ち主だ。
「グランギルドマスター!? なぜこちらにおられるのですか」
焦る職員の持っていた書類を背後から取り上げて、同じことをもう一度聞いた。
「よく分かりませんな。この中だと彼の一択でしょう」
カウンターにその人物の書類だけを出す。
「年数重視ですか?」
「経験は何よりの宝です」
それはそうだ。
でも、自分にはそうでも、他人に求めるかは場合によって違う。
「この求人に関しては、そうではありません。一人だけ経験豊富だと奢りや偉ぶった態度になりがちです。パティシエも紅茶を淹れてくれる専門の人もお運びをしてくれる人も対等です。辞めた理由がキャリアを上げるためとなっているのも気になります。自己を高めたい素晴らしい理由に思えますが、誰もが使う言い回しでもあります」
求めているのが、熟達のパティシエならそれもありだが、会計業務だからな。簡単な計算ができれば経験が浅くても未経験でもいい。
会ってみないと人となりなんて分からないからな。
「そうでしたか。変わっておられるというのは本当のようですな」
「貴族相手にそれが言える貴方も相当、変わっていると思います」
「ハハハハハ! そうですな! では失礼」
何が面白いのか笑って去って行った。これも本来なら非礼だ。緊張したままの職員に、合格者への連絡を頼み、来週末に面接をすることを伝えた。場所はここの2階だ。来週で決めたいな。そう考えながら席を立った。




