青い髪の子
冬休みになった。
春に新当主が来るので、早目に荷物を迎賓館に移動させることにした。
迎賓館は、カルムスの実家であるグレイシー伯爵家に土地ごと贈与してあり、贈与税も 支払い済みだ。
同じように譲渡先を探していた研究棟は、カルムスが欲しがったことから丸ごと売却済みだ。既にカルムスの所有に書き換えられている。
ここの二つの建物には手が出せないようにした。
使用人も何人かは迎賓館で働いてもらうことになっており、残る使用人達には、それぞれに頼んでいる役目がある。国内や領内の情報を収集して手紙で報せてもらうことが主だが、新しく来た当主についても様子を見てくれるように頼んでいる。
役目を担っていない使用人達は、冬休みに移動するカルムス、ダニエルと共に国外へ出る組と長距離用の乗合馬車で移動する組に分けて出発をさせる手はずで、グルバーグ家には、最低限の人数しか残さない。
母屋に残っている者も情勢が危なくなった時点で、暇を告げ一人ずつ去って行くのだ。迎えに行くことにしている。平和ならアインテール国勤務のままだ。
ロクスやミーナは、高等科の寮について来て貰う予定だ。ベンツについては悩み中だ。本人からは側にいたいと言われている。
だけれど、寮はどんなに成績が良くても二人までだと決まっている。普通は一人だけだ。ラウルは、アリスとモルシエナにすると言っていた。執事は移動組だ。
護衛だから優先すべきだろうか。
スニプル車も2台は学校の寮内にある停車場に入れもらうが、エンブレムは、丁寧に外し、フェルレイ侯爵家のものを作って取り付けてある。預かっていた短剣に刻まれていた家紋で作ってもらった。
領民に、春には新しい当主が来るからともう一度だけ説明をして回った。
これでもう春になるまでにできることは終わったといえる。
せっかくだ。
最後の思い出にパーティーを開いて、思いきり騒いで楽しむことにした。
少し早いけれど、ラウルのためのパーティーだ。社交界デビューの門出を祝う。
俺の時と同様に、極々、近しい身内扱いの貴族家を呼ぶ慎ましいものだったが、祝いの言葉がかかる度に笑顔を振りまく姿に幸せな気持ちになった。
シュミッツ先生が演奏をしながら歌を披露すると、そこにゴーヤン先生とお爺ちゃん先生も混じり、増えた楽器の音に心が躍る。
俺も混じろうかとシャンパングラスを持ったまま曲に合わせて、体を揺らしていると、ポンと肩を叩かれた。
「前も思ったが、屋敷が変わっているな。どういうことだ?」
聞いたのはノエルだったが、一度でも来たことのある来賓は、きっと同じことを思うだろうな。
「実は、グリュッセンに移動させたんだ。お爺様と俺達の思い出の屋敷だから」
そう言うと、飲もうとしていた細身のワイングラスを持つ手が止まった。
「グルバーグ家はやることが違う。ラインツ様もお喜びになるだろう」
「アハハ、ありがとう」
愉しげに笑い合い、共にグラスを掲げ中身を飲み干した。
せっかく歌を歌ってくれているのだから懐かしいわらべ歌も聴きたい。生前、お爺様の前でやった曲をもう一度お願いしよう。
部屋に笛を取りに戻ると、ラウルも部屋から出てきた。手には楽器だ。
考えることは同じらしい。
楽器を持って階段を下りると、目についたらしく、珍しいことにダニエルやカルムスも6弦楽器を弾くという。メイド達に楽器を持ってくるように頼んでいた。
「カルムお兄ちゃん、大丈夫なの?」
「弾けるの?」
二人で無理をしてないかを聞くと、目を細めた。あ。怒ったな。
「馬鹿にするな」
フンと鼻を鳴らすカルムスをよそに、ダニエルは笑っていた。
「私の方がまずいかもしれませんね。とはいえ、世界的に有名な曲ならば弾けますよ」
「ダニーは、大丈夫な気がするんだよね」
「うん。少しも心配じゃないね」
「ったく、貴族なら弾けて当然だろう」
呆れた口調のカルムスに、ミーナが全く弾けないことは黙っておこうと思った。
「じゃあ、皆で一緒にやろう」
「エルクも来れたらよかったんだけど。初等科卒業のお祝いの手紙はもらえたから我慢だね」
カルムスがわしわしと主役の頭をかき混ぜ、ダニエルが『こら!カルムス!』と注意をしながら髪を整えているのに混ざり、一緒に整えた。
「いくぞ」
「音楽の先生がお二人に音楽家一人ですか」
「そう言われると、ここに割って入るんだから緊張する」
「アハハ、平気だよ。混じって行こう!」
弾きながら入っていくと、先生達は受け止めてくれる。優しい音色だ。揃うと音が合わさっていく。混じり合っていく。
楽しい時間を過ごし、予定よりも長い時間、屋敷のホールには音楽が響き続けていた。
そして、冬の終わりに新当主が来た。
辺境の領に入ったのを確認した他の領主達から早馬で知らせがあったのだ。
来るのは春のはずだったが、ここから学校に通うことになるため早目に来たようだ。
会いたいような、会いたくないような複雑な気持ちの中に冷静な、どこか他人事に感じる自分もいた。
個人の感情を抜きにすれば、当主として新当主に引き継ぎをしないといけない。貴族としての礼節を持って出迎える必要がある。
カルムスやダニエルは賓客として迎賓館にいることになっているが、顔を見てやろうと今は、屋敷の応接室にいる。
ラウルも終わるまで側にいると言ってくれた。皆の優しさに甘えさせてもらうことにした。
まずは、使用人達が出迎えるので、俺達は素知らぬふりをしながら応接室で紅茶を飲んでいた。
来訪を知らせる扉が叩かれ、静かに息を吐いて整えた。
「はい」
「ソルレイ様。アーチェリー様と後見人のボンズ様。補佐官のモレビス様がお見えになられました」
「そうか。引継ぎがあるからここへ呼んでくれ」
「かしこまりました」
少しして、貴族の身なりに整えている青い髪にそれよりは少し薄い青い目をした少年と、二人の男性が入って来た。
一人は恰幅がよく、背も肩幅も何もかもが大きな人で、一人は身体が細いことから恐らく、文官の人だと思う。こちらが補佐官か。
「ごきげんよう。どうぞ、かけてください」
「何を偉そうに言っているのか。ここはアーチェリー様の家だろうに」
「引き継ぎをせずに、出て行ってもよいのであればそうしますが。随分と偉そうな物言いは、そちらでは?」
早速か。寄りそうになる眉も予行演習のおかげで耐えられる範囲だった。
「ふむ。その通りだ。ソルレイ様とラウルツ様は、他国の侯爵家に引き取られたと知っているのか? 随分な口のききようだ。一言目がそれとは、貴族として恥ずかしいぞ」
カルムスの言葉を聞き、3人とも驚きに目を丸くする。
「何を驚いているのです。ラインツ様の孫が不当な扱いを受けているのですから。噂を聞き及んだ他国の侯爵家から声がかかるのは当たり前ですよ。お知り合いも世界中にいるのですからね」
「ちゃんと座ってもらえますか。引継ぎをしていきます」
不快を示すため息をわざとついて、3人を見やると、咳払いをしながら非礼を詫びた。
「先ほどは失礼を致しました」
「知らぬこととはいえ、申し訳ありませんでした」
すぐに席に着く。
謝りたくなくても謝らないといけないのが貴族の上下関係だ。エルクが了承をしてくれてよかったとしか言いようがない。
「ええ。侯爵家でなくても席を勧めるのは、普通のことですからね。偉そうと言われると引継ぎも出来ませんので、控えてください。お二人が、新しい当主ではないのでしょう?」
「……分かりました」
「そうですね」
必要書類をざっと青い髪の子に説明をしていく。名前は名乗られていないが、さっさと終わらせよう。
置物のように大人しく、説明にただ頷くのが精一杯の子に拍子抜けをしつつ、最後に厳しい辺境領地の税制について作った書類を渡しながら説明を終えた。
「――以上ですね。執務室にある書類で後はご確認を。何か、質問はありますか?」
「……特にない」
男の子は、ようやく終わったかというほっとした顔をしていた。
「一番大事なことがあるんじゃないの?」
「お爺様の眠る場所は、お聞きにならないのですか?」
俺とラウルが睨むように言ったからか、怯んで目を泳がせた。
助け船を出そうとした二人も睨んで黙らせる。
「1つ言っておく。おまえは、お爺様の孫ではない。お爺様の孫は、俺とラウルツだ。亡くなってから出てくるのではなく、亡くなる前に来ればよかっただろう。そうすれば、お爺様は、孫は俺達だと言ったはずだ。血縁鑑定も受けず、微弱な魔力でよくもお爺様の孫だと名乗りを上げたな。グルバーグ家は、アインテール国の守護を担ってきた家だ。血縁鑑定を受けたいと言った俺達を受けさせずに追い出したんだ。責任の重さに怖くなって逃げる真似だけはするなよ」
分かったら返事をするようにと告げて睨んだ。
「は、はい」
「では、これで引継ぎは終えるが、当主としての初仕事だ。これに署名をして欲しい」
すっと呈示をする。
いかなる理由があろうとも、ソルレイとラウルツ、カルムス、ダニエルをアインテール国に呼び戻さず、領民を守っていくという誓約書だ。
簡単な文のため子供でも分かる。
それなのに、二人の大人の顔を見て、頷くのを見て署名をした。
“アーチェリー”と。
「グルバーグ家の当主なのだから、嘘でもグルバーグと署名をして貰わないと困ります。ああ、そこまで教えられていないのか」
仕込みが不完全のようだと二人の大人を白い目で見ると、後見人は怒りに満ちた目で、見返す。
「間違いなく、レイナ様のお子です」
一人はそう言い、もう一人は嫌そうに名前を教えていた。
「グルバーグと書いてください」
青い髪の子は、無言で紙に書いたが、綴りが違う。間違っていることを指摘して書き直してもらう。
「もう1枚ありますが、予備はこれしかありません。綴りをそこで練習してもらえますか」
紙の裏に練習してもらい、正しく書けるようになってから書いてもらった。
「では、これで終了です。ああ、そうだ。別館と迎賓館は、お爺様の弟子の魔道士達のものです。あの辺の土地は、魔道士達に売ってあるので、迂闊に入ると、魔法陣に引っかかります。入らないのが、身のためですよ」
いい加減なことを告げて終わった。
迎賓館に移動をすると、ソファーに深く座った。美味しい紅茶を淹れてもらい、ほっと息を吐く。
「何だあの茶番は。どう見てもどこかで拾ってきた唯の子供だぞ」
「私もそう思います。何もできそうにありませんね。利発でもなさそうです」
カルムスとダニエルは、腹立たしいようだ。
「どうなんだろう。微弱でも魔力はあるから本当に血縁者なのかもしれない。なんだか自信があるように見えなかった?」
「僕も。本人より周りの大人……右の人が、ボンズだっけ? あの人は、挑発に乗らずに間違いないって言ってたよ。何か知っているんじゃないのかな」
モレビスは溜息を吐いていたから、カルムス同様にこれは茶番だと思っているのかもしれない。
もっと家族についての話が出るかと思ったけれど、レイナ様の最期も分からないし、本物かの判断もできなかった。本当に血縁者の可能性もある。ただ可能性があるという枠は、広くて大きすぎる。鑑定をしない以上、本当のことは分からないのだ。
「レイナ様があちこちで子供を作るのか。信じられんぞ」
「お金に困ってですか。私も貴族の女性が、そういう身の落ち方をするとはとても思えません」
「寂しかったとかは? 人肌が欲しい時もあるでしょ?」
ラウルが言った言葉に俺とダニエルは言葉を失う。ソファーの背に深く倒れ込む。ちょっとショックだった。
「一晩だけか。まだそれの方が……」
カルムスだけが普通に答えていた。
「ラウル、もうやめて」
「私も少し衝撃を受けました」
「ん? そっか。ごめんね。よくなかったよね」
「あーそうだな。この話はやめよう」
嫌そうな顔をしている俺達を見て、カルムスもやめようと言ってくれた。
ラウルがそういうことを口にすると、俺もダニエルもまだ子供だと思っていたのにと、ショックを受けるのだ。
とにかく、面倒に思われた引継ぎも始まってしまえばあっという間で、俺達は次の計画を進めることにした。




