急がれる予防線
「着きました」
ハベルにそう言われたけれど、少し前から停まっていた。物言いたげな目を向けられたが、何も言われないので、ラウルへ伝言でもあるのだろうか。
席を外して欲しいという合図をされたのかもしれないと、開けられた車の扉から先に下りた。
珍しく、玄関前でミーナが待っていた。帰りは待たなくていいと言ってから用事がある時だけで出迎えるようになった。
その表情は、微笑みを作った顔で、何も表していない。ハベルとは真逆だった。
これは何かあったな。
「お帰りなさいませ」
「ただいま。 嫌な貴族の来客でもあった?」
ダニーが胃を痛め、カルムスが客人に腹を立て、怒っているのかもしれない。
ミーナは、静かに首を振ると小声になった。
「執事長とメイド長からお話ししたいそうです。お聞きになって下さい」
伝えられたことに、小さく頷いた。
ロクスに開けてもらった玄関扉から屋敷に入ると、空気がピリッとしていた。綺麗に使用人たちが整列している。クラスメイトの男子を招いて以来だ。
一斉に辞めたいとかかな。
そうではないといいのだけれど。給料を引き上げて、引き留められるならそうしよう。
いつの間にか後ろにいたラウルも何かあったのだと分かり、並んでいる使用人達を見まわす。
俺は執事長とメイド長を見る。
二人が俺達の帰りを待つことは滅多にない。お爺様の執務室の隣に控えていることが多かったからだ。
ミーナの言っていた話は、この場で聞いた方が良いのだろう。
「何か報告することはあるか?」
当主として声をかけると、綺麗にお辞儀をした。
「お帰りさないませ。ソルレイ様、ラウルツ様」
「無事のお帰りをお待ちしておりました」
縁起でもないことを言うと、ご報告したいことがございますと告げた。
やはり、この場で報告を行うようだ。
「ソルレイ様、ラウルツ様。カルムス様への王都の召喚状を持った使者が来ました。読み上げ後、すぐにスニプル車に乗るようにという王命でございました。交渉ごとになるだろうと、ダニエル様も付き添われました。屋敷内のことは、お任せください」
メイド長であるアイネがそう言うので、では、任せるよと頷く。
「執務は、グルバーグ家にふさわしい代行の方を見繕っている最中でございます。宜しいでしょうか」
「……なるほど。そうか」
王が王子を諌めたという良い話ならいいのだけどな。
もしくは、鑑定の日取り……なら書面で済ませるか。
カルムスに話を聞く必要性があるという判断なら、俺とラウルの素行調査かな。新しい当主とやっていけるのか。とかかな。
「グルバーグ家の現状を正確に把握している者はいるか」
屋敷を出る前に二人から何か聞いただろうか。
「カルムス様とダニエル様からは、大体のことは聞き及んでおります。此度の王都へ向かわれることは、寝耳に水でした。使者が急に参りましたので、屋敷に入れることもなく、玄関先での話となり、そのまま向かわれました」
応接間に通せばいいのに。
きっとカルムスが嫌がりでもしたな。
「10時30分のことでございます。メイドや執事については、知っているのは、ここにいる者達だけです。入って数年の者には、伝えておりません」
アイネの正確な時間の報告を聞くに俺達との接触を断つためにやった嫌がらせだと分かった。
この分ではいい報告は、聞けそうにないか。
「ありがとう。まずは、執務の代行については、必要ない。俺ができる範囲でやるつもりだ。二人の帰りを待てばいい」
あと3週間もすれば、夏休みだ。まあ、その夏休みにダンジョンの実習もあるけれど。なんとかなるだろう。
「僕も手伝う。文化祭が終わったら夏休みだからね」
「そうだな。ラウルにも手伝ってもらうよ」
この場での指示は、最低限にしておくか。
「1ヵ月あればカルムス兄上もダニエル兄上もお戻りになるだろう。それまでは通常通りだ。ただ、辺境領の領主達には、会合の日時は休みの日にしてくれるように手紙を送っておいて欲しい。それから夕飯前に、グルバーグ家で働く全員に話がある。階段前に集めておいてくれ。ただし、王族が関わっているため、口外することの一切を禁じる。口外すれば命取りになる」
「かしこまりました」
執事長は深々と頭を下げた。
他に報告はないと言うので、ミーナに紅茶を頼み、部屋に戻った。
閉まった扉を背に大きく息を吐く。
「はぁー。やられたな」
先手を打たれたか。
昨日の今日だぞ。動きが早すぎる。
今度は、王命ということは、そういうことだろう。
王が、王子を止めるのか、止めないのかの結論を待てばいいという甘い考えは捨てよう。王と王子は同じ考えを持って行動しているのだ。
王族に対して戦うという選択肢は、最初から捨てている。
目的がグルバーグ領と領民なら先頭に立って戦ったかもしれないが、目的が俺を廃することだけなら国から出ていけば、領民達は健やかに暮らせる。
対立は平民への負担と辺境領への混乱をもたらす。
辺境領を束ねているグルバーグ家が国家の主権を握っている王と対峙すれば、辺境領が丸ごと戦火になるだろう。
人の死ぬところなど見たくない。
初等科の時は、ゲートの扉が設置されていた。あれは、生け捕りのためだろう。門にいた騎士も捕えるようにと言われていたが、殺すとは言われていないようだった。
俺が死ぬことまでを望んでいるかどうかが、何故か微妙なんだよな。
教室の中には無数の魔法陣があった。でも、あの時、関わった者は捕えられている。
王や王子が主導したのなら捕える必要はないわけだろう?
王族派閥が、思った以上に無茶をしたという線もないこともない。
次の王になる王子に手柄を見せるために勇んだ線もある。
それとも殺したかったが、ノエル達がいて予定外のことが起こったために、予定が狂い、巻き込まれた貴族の子息令嬢達への配慮でもしたか。
今、分かっていることは、レイナの子供が見つかったので、グルバーグ家の当主に据えたいと考えている第一王子が次の王になるということだな。
子供が本当にそうなのかは分からないが、当主にするという強い意志は感じる。
王もそれを支持している、までは不明か。
「王族相手にできることと言えば……」
後ろで扉を開けようとしている音に気づいて、凭れていた扉から離れた。ミーナかと中から開けると、ラウルがいた。
「アハハ。ノック忘れちゃった」
「ハハ、いいよ。外では駄目だけどな」
もう制服から着替えているラウルに扉を大きく開けて部屋に招く。
「お茶を一緒にと思って、アリスにミーナに頼んできてって言ったんだよ。お兄ちゃんの部屋で待とうと思ってたからね。でも、聞こえちゃった。“できることと言えば”の続きは、なあに?」
笑顔に釣られるように、口に出してみる。
「んー、うん、そうだなあ。カルムお兄ちゃんやダニーから引き離したかったんだろうからな。これ以上、後手に回る前に、屋敷と別荘を入れ替えようか。できれば二人が戻って来る前に。できるだけバレないようにだ」
「楽しそう。やろう、やろう!」
悲壮感がないな。
俺も平民魂を見せないと。
「お爺様のあの魔道具は、二人でもかなり魔力を食うよ。ラウルの文化祭が終わってからで、俺の今度の休み……の前日の夜から動いた方が良いか。別荘は、一番近いところになるな」
「じゃあ、グリュッセンだね」
「前にお爺様と行った山の別荘か」
「うん。僕がいいかなって思っていたのは、ウェイストン国だったからかなり遠いよ」
ウェイストン国は、北国の玄関口になる国だが、アインテール国からだと南にあったラルド国並みに遠い。
雪山と音楽しかない国だと言ったのは、クラスメイトの誰だったか。
そこにある別荘は、廊下の絵にもなっていて、白くて綺麗なことから、入れ替えてもバレないだろうとラウルは思ったらしい。
「グリュッセンは、お爺ちゃんと行ったことがあるから嫌だったんだけど、仕方ないね」
残念そうに視線を下げたラウルの頭を引き寄せて抱きしめた。
「この屋敷は守ろうな。内装は、皆に母屋並みに調えてもらわないといけない。忙しくなるから今年の文化祭は、アイネと二人で回っておいで」
「うん、ありがとう。誘ってみるね」
笑ったラウルの頭を褒めるように撫でていると、ミーナが紅茶をワゴンで運んできた。
「あら、ソルレイ様。お着替えが、まだおすみでないようですわ」
「ごめん、ごめん。着替えるよ」
玄関前の心構えをする時間をくれた礼を言いつつ、今、着替えるからお小言はいいよと笑った。
「では、わたくしがお選び致しますわ」
「いや、大丈夫だよ」
先に出してしまおうと、チェストを開く。
すると、やりとりを見ていたラウルが、チェストではなく奥のクローゼット部屋に歩いて行くと、両手に服を抱えて持ってきた。
「使用人が、いっぱいいる前だからこの襟付きシャツに、タイトなベストがいいよ。お兄ちゃんに似合う色は、クラシカルな茶色だからズボンも同じ色の物ね。僕はこれがいいと思うよ」
ソファーに置かれたので、見ていると、またクローゼットに入ったラウルが尋ねた。
「この靴って履いたことある?」
聞かれたものは、一度も履いたことがなかったので、ないよと言うと、今日下そうね、と言われた。それに履き替えるようだ。
「ラウルツ様! わたくしのお仕事ですわ!」
「お兄ちゃんは、こっちにある良い服を全然着ないもんね。ミーナも幾つか移せばいいのに」
「繊細な生地で仕立てておりますので、チェストに移すと皺がいきますのよ」
「だってー? お兄ちゃん、着られなくなる前に着てあげてね」
「ああ、うん。そうなのか。そっちは、よそ行きの服かと思ってた」
「!」
目を丸くしてミーナに見られた。そんなに驚くようなことだろうか。
「ほらね? お兄ちゃんは、こういうの気にしないからね。 『自分でやるからいいよ』って言われて『はい』って言うからこうなるんだよ。服に疎いのは、ミーナの責任だよ。僕は、アリスに物凄く言われてるんだからね」
何故なのか、怒られる流れになって、これからは、向こうの部屋にある服も着ると約束をさせられ、ラウルの出したものに着替えるのだった。
紅茶を飲んでいる時に、ロクスにも言われないの? と聞かれたので、言われたことはないなと言うと、意味の分からないことを言われた。
「お兄ちゃんの周りは、感化されていって、許容範囲が広がっちゃうんだ。気をつけるように言っておくね」
「どういうことかよく分からないけど、ロクスもミーナも俺の執事とメイドだから怒るなら俺から言うから、何に対しての落ち度なのか教えて欲しい」
「それじゃあ意味がないの。僕が言うから。怒るわけじゃないからいいでしょ」
うーん。
この件は保留にすると答えると、すぐさまラウルに却下される。どうしたものかと紅茶を口に含むと、タイミングよくロクスが使用人を集めたことを知らせるためにやって来た。
まだ夕飯前ではないが、今の時刻の方が、都合はいいのだろう。
腰を浮かせると、ラウルがロクスに俺の服装についての苦言を言い、苦々しい顔を隠さないミーナとロクスが頭を下げたことで、胸が大いに痛んだ。
「ラウル、もうやめてくれ。これから話す重圧以上に俺の心を削っているから……」
「そう? 分かった。向こうの部屋の服も着てね」
「うん、分かった。ちゃんとミーナにもロクスにも助言をもらうから」
そんなに変な格好だったのだろうか。チェストの服も十分いいものだったのに。
「お兄ちゃんが、チェストの上段の服ばかり着るから、それが気に入っているんだって思って、揃え始めるんだよ。似たようなデザインの色違いばかり増えてるでしょ」
「ああ、なるほど。そういうことか。分かった」
言われるまで分からなかったな。無意識に取りやすい上段から取っていたようだ。
そうこうしながら大階段まで行くと、グルバーグ家で働く皆の姿があった。
改めて見ると、多いなあ。これだけの人をカルムスとダニエルが不在の間、守らないといけない責任に、気合いを入れる。
踊り場までラウルと下りて止まると、自然と集まる多くの目に、これからの予定を告げた。
「第一王子より伝令があった。グルバーグ家に新しい当主が来るようだ。お爺様が亡くなった途端に何をと言いたいところだが、相手が王族ではできることは限られる。領民を守る手と皆を守る手を考えた。お爺様は、生前によく言っていた。使用人達のことは、家族だと思うようにと。私も弟もずっとそう思ってきた。皆には、グルバーグ家がグルバーグ家であるために協力してほしい。まずは、この屋敷とグリュッセンにある別荘を魔道具で入れ替える。皆には、母屋並みの内装に調えてもらう必要がある。分からない部屋がないように慣れてもらうから、そのつもりでいて欲しい。入れ替えは、次の休みに行う。自分の荷物はそれまでに迎賓館に移しておいてくれ。部屋割りなどは、メイド長のアイネに頼む」
カルムスとダニエルが王都に呼ばれたのだ。良くも悪くも何かしらの話はつくはずだ。そこで王の考えも分かる。
国を出ていけと言われる可能性もある。
出ていけと言われたら出ていくが、アインテール国が危なくなったら、皆を迎えに来よう。
「グリュッセンで母屋を守る使用人と入れ替えた別荘の屋敷で新しい当主を迎え入れる使用人とに分かれてもらうことになる。ただ、さっきも言ったけれど、皆は家族だ。グルバーグ家の威光が落ちて、この国が危なくなった時は、そうなる前に必ず迎えに来るからそのつもりで働いて欲しい。領民も守れる手を打つ。今回、カルムス兄様とダニエル兄様が、王都に呼ばれたが、大したことではない。あの手この手で、王都に引き留めるだろうが、こちらの不安を煽りたいだけだから気にしなくていい。仕事は今まで通りだ」
戦争になる可能性に言及したことは重かったようで、空気が張り詰めるような感覚を味わった。貴族家の三男三女以下の使用人達だ。
料理長達は、平民だが、平民だからこそ、思うこともあるだろう。
一先ずは、国を出てもいいという使用人だけを連れて行くことになりそうだな。
住み慣れた国で暮らしたいと思うのは、当たり前のことだ。
「質問のある者はいるか?」
誰からも何もないようだ。俺なら次の雇用先の紹介状を書いて欲しいと頼むだろうな。その覚悟はしておこう。
「では、いつも通りの仕事に戻って欲しい」
「「「「「「はい!」」」」」」
予想に反して、皆から大きな返事がきたことに呆気にとられた。
その内に、ばらばらと持ち場に戻っていく。
とにかくやることが増えた。カルムスもダニエルもいないのだから効率よくやろう。
フォルマとの領地売買も急いだ方がよさそうだ。




