結び直された縁
再会の日。
本当は、あの時と同じように平民の姿で会いたいが、そういうわけにもいかず、どうしようかと二人で相談をして、学生服を選んで持ってきている。
初等科の印であるネクタイ代わりの濃い緑色のリボンを校章の入った銀細工に通す。
俺はもう卒業したけれど、高等科の制服は手元にない。夏の入学の為、まだ採寸すらしていないのだ。
二人で初等科の制服を着て部屋を出ると、ロクスは納得したように頷いてくれた。
「庇護をしていたエルクシス様からすればこの上ない晴れ着ですね」
俺とラウルの髪の乱れを櫛で手早く整えた後で、手に持っていたローブを冷えますと言って着せかけてくれた。
「成長を見せるのか」
「なるほどな。そういうことか」
「良い案ではないですか」
皆は、それで納得してくれたようだ。
「ちょっと緊張してきたな」
「僕も。寝る前にお兄ちゃんといっぱい話してた時は、早く会いたくて仕方なかったのに。変なの」
深呼吸をしようか。二人で二回大きく息を吸った。リラックスを心掛けても微笑ましそうに見られても、心臓の音は早いままだった。
少し早いけど、もう行こうかと指定されたレストランへ向かうと、そのレストランの前で通りを歩く小さい子供を見る上質なコートを着た男性がいた。伸びた銀髪を軽く結っている。
見間違うことはない。
中で待てばいいのに。イケメンだからか、無駄に注目を集めている。
「「エルク!!」」
もうあんなに小さくはないのに、仕方のない人だなと笑って、二人で駆け出すと、エルクが気づいてこちらを見た。とても驚いた顔をした後に顔を綻ばせた。
笑顔に勇気をもらい、そのまま二人で抱きついて両頬にちゅっとした。
最大限の親愛の証だ。
エルクが俺達をまとめて抱えるようにきつく抱きしめ、同じように頬にする。
「すまなかった」
その言葉があの日のことを言っているのだとすぐに気づいた。
「いいんだよ、戻って来ようとしたって分かってる」
「うん、許してあげる。ちゃんと会えたもん」
帰ってこない不安と無事を祈った数日間の記憶が鮮やかに蘇った。家の匂いとエルクの血の匂い。食べたことのない食材を使ったご馳走。状況は厳しく、苦しいのにその中にあった温かさと幸せ。
俺もラウルもあの時を思い出して涙が零れた。
しばらく抱き合っていると、モルシエナとベンツがやってきた。というより、気を使ってゆっくり歩いて来てくれたようだ。いけないと二人で涙を拭った。
「お久しぶりです。エルクシス様。ラルド国軍にいましたモルシエナ2等軍曹であります。今はラインツ・グルバーグ様にお引き立て頂き、ラウルツ様の警護任務に従事しております」
「同じく、2等軍曹のベンツであります。今は退役し、ソルレイ様の護衛をしております。今日は扉の外に下ります故、どうぞ心安いお時間を過ごしてください」
二人共、グルバーグ勤務になってから敬語を学んでいた。いつかこういう時のために。
「ああ。槍で有名だったお前たちは覚えている。有能な者でも怪我人は王の命で置き去りであったな、よく生きていた」
肩を叩いて労われると、二人共誇らしそうに『はっ!』と胸を張ってラルド国軍の敬礼をした。
久しぶりに見る軍人の姿だった。
レストランの中に入り、個室に案内される。
エルクは、給仕に食事を運んだら下がれと言い、下がらせた。
「エルクっぽい」
「ハハ、本当だね」
「そうか」
言葉は少ないのに、表情に会えて嬉しいと分かり易く書いてあり、俺もラウルも緊張は吹き飛んだ。安心して子供に戻る。
俺達の平民の暮らしを知っている特別な人だ。
ずっと会いたかったのだ。
「エルク。ラウルはね、主席なの! 偉い?」
「偉い」
「お兄ちゃんはね、6人いる白服は先生の雑用係だって言ってね。嫌がったの。でもずっと満点だったんだよ」
「ほう」
ずっとじゃないよと訂正をした。
「14歳になったよ。4年生の時は、剣の試験が65点しかなかったんだ。でも他の教科で加点があったから1番になれたよ。3年生まではずっと満点。でも2番だったんだ。アヴェリアフ侯爵家のノエル様が剣と剣舞で30点も加点がつくんだもん」
一番の友人なのだと話した。
「僕たち、頑張ってたよ。エルクもここで頑張ってたの?」
「教えて!」
元気かずっと心配だった、そう言うと苦笑いを浮かべた。
「頑張っていると言えば頑張っていたな。それがラインツ殿との約束の一つだった。ソウルとラウルと会う条件だった」
久しぶりに呼ばれる名に懐かしさを覚える。
本当の名だと知って俺達をその名で呼んでくれる人は、エルク以外には誰もいない。
「僕たちも卒業するのが条件だったの。お手紙も駄目だったの」
「うん、俺が初等科を卒業したから、ラウルも一緒に連れて行きたいって頼んだんだ」
お爺様が、快く行ってきなさいと送り出してくれたことを話すと意外そうな顔をする。
「もう一つの条件は16歳になった時は会ってもいいというものだった。ソウルもラウルも幼い頃の面影が今もある」
きっと16歳でも分かっただろうと目を細めた。
「もう! 卒業したら会ってもいいんだから! 初等科は卒業だから会いに行く!って言って来てよ!10年後の僕はエルクと同じ背丈だよ!」
エルクが見ても分からないんだからね!とラウルが言うので俺もそうだよと頷く。
「クッ、クックッ」
「笑いごとじゃないんだからね!」
「うん、うん。ラウルは剣術の才能があるんだって。毎日練習をするから手の平がぷにぷにじゃなくってきてるんだ。今の内に触っておいて」
お爺様には、もうラウルは子供じゃなくなっちゃうから、連れて行きたいと頼んだのだと言うと笑う。
「ではそうするとしよう」
エルクが食事中なのも気にせず席を立ち、ラウルを抱き上げた。
「本当だな。もう重くて持てぬ」
「ええ!? アハハ」
持てないと言いながら抱き上げて回られる。ラウルが笑い出す。
下ろすと手の平も握られ、指でつつかれている。
そして、抱きしめられていた。
エルクは愛情に飢えていたようだ。
いや、違うな。きっと愛情が溢れたんだ。
笑って見守っていると手招きをされたので、俺も席を立って近寄る。笑いながら手の平を出すと見分するように触る。エルクの手は大きく、分厚くて固い騎士の手だ。
「ソルレイの手は随分と柔らかいな」
「剣は、先生の恥ずかしがることを知っちゃったから、向こうが忖度をして65点をつけてくれたんだ。俺は全然ダメだよ」
どこか残念そうなエルクに剣術の練習からも逃げていると素直に告げた。
「そうか」
「お兄ちゃんの手は、僕を撫でるためと料理とお菓子のためにあるの。お菓子コンクールで優勝したんだよ!」
「ほう」
腰を引き寄せられ、抱きしめられた。
「ラウルより簡単に引き寄せられる。これでは剣は無理だ」
「えぇ? それで分かるの? 痛いのも嫌だから剣はいいよ」
俺も抱き着き、ラウルも抱き着く。
「僕がその分頑張るよ」
「俺としては、ラウルの柔らかい手が好きだから、剣はやらないで欲しいよ」
「えー!? そんなこと思ってたの!?」
俺の本音にラウルが驚いていた。いつまでも可愛いままでいて欲しいと願っている。どこかでもう無理なことも分かっているのだが……。
「ソウル、私はラウルに教えてやりたいぞ」
子供の俺には重くて持てない長剣を持って行けと市場に行く時に渡されたことを思い出す。
「ふふ、分かった」
じゃあ、一緒に帰ろうよ、と誘う。
「お爺様が連れて帰っておいでって言ってたよ」
「……そうか」
考えこんでいる。
「駄目?」
問いかけた俺の顔は情けない顔をしていると思う。一緒に暮らせたらいいなと思っていた。
「卒業したら迎えに行こうと思っていた」
「そうなの?」
「じゃあ、それでも……いいのかな?」
座るのも忘れ、抱き着いたまま二人で顔を見合わせた時、エルクが口を開いた。
三人で、他国で暮らそうと思っていたのだが、戻れなかった、辞意が通らなかった、王に連れて行くと言われたと悔しそうに途切れ途切れに言葉を落とす。
幸せに暮らしているのなら遠くから見守ろうと言われ、俺もラウルも込み上げてくるものがあった。
「明日の心配もなく、不自由もなく、暮らせている。食べたいものが食べられるんだ。これは確かに幸せなことだよ。でも、エルクがいないと悲しい」
「僕も。エルクが遠くにいるのが悲しい」
心のざわめきに応じるように言葉も震えていた。
「卒業したら迎えに来てくれるつもりだったんでしょ?」
俺とラウルが待っていていいの? アインテール国に来てくれるのかと尋ねた。
「前のことがあるから信用でき――」
「「そんなこと言ってない!」」」
きつく言い返して、エルクの言葉を吹き飛ばす。信用できないなんて思ってもいないのだ。
「幸せになる時は、エルクも一緒がいいんだ!」
「そうだよ! 一人だけ遠くにいる必要なんてないんだからね! 見守るんじゃなくて傍にいてよ!」
一緒に幸せになろうよ! 二人で強く言って、抱きしめると、きつく抱きしめ返された。
平民に戻りたい。そう思ったことが何度かあった。
決して口にしてはいけない言葉で、思っても考えないように心の奥底にしまい込んで打ち消す。
贅沢だと分かっていても、貴族はどうしても性に合わない時がある。価値観が違うので、領内の子供達と遊ぶ方が楽しかったりする。
ノエルや、ハルド、クラウンやフォルマ達と遊ぶのはとても楽しいのだが、クラスで本当に気の合う友人だと呼べるのはこの4人だけだった。
同い年なら友人になれたのにと思うのはマットン先生だな。きっと一緒に魔道具を作りあって、楽しめたと思う。
心の底に秘めている想いは、昔のように小さな家で暮らすことだった。
エルクと3人ならば、きっと楽しかっただろうと思う。たとえ貧乏暮らしでもよかったのだ。
もう叶わないのなら、次の望みは叶えたい。一緒に暮らせるようにお爺様に頼むだけだ。
来る前は、いいと言ってくれていた。
アインテール国は、自然豊かな国で、グルバーグ領は一番自然が多い。一度来て欲しいと伝えると、ならば、休みを取って二人の住むところを見ておく、と言ってくれた。
カルムスやダニエルのことを話すと、二人のことは、知っているらしい。
「ダニーはラルド国の子爵だけど、カルムお兄ちゃんのことも知ってるの?」
「英雄カルムスは、子供の頃からラインツ殿に付従っていることで他国でも有名だ。剣と魔道の両方に才があると耳にしている」
ラルド国では部隊が違ったので、来ていたことは知っていたが、話はしていないという。
「エルクと一緒?」
「そうだ」
エルクも有名な人物らしいと俺達はアインテール国に行ってから知ったのだ。
「ラウルの剣は俺がみたい」
あ。その言葉に、前向きに考えてくれているのが分かり、ほっとした。ほっとした反面、これは揉めるなとも考える。
「カルムお兄ちゃんは、ラウルに教えることが好きだから怒るかもしれない」
「大丈夫だよ。きっとダニーが何とかしてくれるよ」
ラウル……ダニーが厄介ごとばかりで禿げちゃうよ。今のところ、さらっと終わらせているけれど、今回は厳しいような気がする。怒るカルムスを宥める役か。俺ならやりたくない。
「引き下がる気はない」
「……うん。伝えておくよ」
ラウルが、笑顔で最大まで2ヵ月ここにいることができると言うと、喜んで頷き、2ヵ月後、共にアインテール国へ行くと告げられた。
ノエルには、1ヵ月後の帰国は無理になったと言っておこう。
軍も冬の間は休みになるので、春の1ヵ月は休暇願を出すという。
3ヵ月も一緒にいられるので、俺達はとても喜んだ。
そうしてようやく中断していた食事の再開のために席に着いた。
「ラウル、一緒に剣を買いに行こう」
「ファーストソードって言うんでしょ! カルムお兄ちゃんが言ってたの!」
「そうだ」
二人で嬉々として買いに行くことを決めているが、カルムスは怒らないだろうか。少し心配になる。
これはホテルに戻ったらすぐにダニエルに手紙だな。早めに知らせておこうと決めた。
ノエルが泊りに来るように言っていたが、これもしばらくは無理だ。三人での幸せな時間を過ごすことにしよう。
最後にドルチェを頼んでもらい、食べるとラウルが不思議そうに言った。
「お兄ちゃんの方が美味しいね」
俺も、これなら俺の方が上だと心の中で思っていただけに頷く。
エルクは甘い物が苦手だというので、ブランデーケーキとかコーヒーで作る苦めのスポンジも作れるよ、と言ってアインテール国で作ることを約束した。ラルド国で食べた物をもう一度作って欲しいと言われ、二つ返事で了承をした。
ドルチェを食べ終わり、紅茶も供され随分と経った。
名残惜しいけれど、まだまだ一緒に過ごせる。
「「エルク! 美味しかった! 御馳走様!」」
立って側まで行って抱きつき、抱きしめてもらってから部屋の扉を開けた。
楽しそうな話し声は、扉の外にも聞こえていたらしく、扉を開けるとモルシエナとベンツには温かい笑顔で迎えられた。よかったですね、と伝える目に、大きく頷く。
俺とラウルは、心からの笑顔を見せ、遅くなったことを詫びるのだった。




