調理室の攻防 前編
子供向けのゼリーが早く見たくて、文化祭の事前準備で早く行くと言っていたラウルと共に登校した。
しかし、調理室に着くのは、寮生組がどうしたって早い。高等科にある調理室の前扉が開いているのを見て、責任感の強いノエルだなと覗く。
すると、思っていたようなほのぼのムードは微塵もなく、ノエルやハルド、クラウンと女子のソラやリベルが、調理室の冷蔵庫の前に立っている。
敵対するようにフロウクラスのクレバ・ハインツとガーネルクラスのエリット・カルクケルが対峙しているが……。揉めている様子でもない。睨み合っているのはエリットとクレバだ。
変だな。
共闘しているわけではないようだ。
言い争いに巻き込まれたのか?
入りたくないな、どうしようかな。
「ソルレイ様。お早いですわね、おはようございます」
「おはようございます、ソルレイ様」
入口から数歩下がると、後ろからビアンカとアンジェリカに声をかけられた。
「おはよう。二人こそ早いんだね」
「お恥ずかしいですわ、お菓子が気になってしまいましたの」
「わたくしもですの」
恥じらうように笑う。髪を弄るのは照れ隠しか。
「だったら、私と同じだね。気になったから少し早い目に家を出たんだ」
いつもと違う一人称に二人が何かに気づいたようだ。
“私”は、先生がいる時にしか使わないからな。
ちらりと調理室を見る。
「そういえば、教室にレモンを置いて来てしまったな」
「わたくし達が取りに行きますわ」
「ええ、お任せください」
「ありがとう。男子もすぐに来るだろうから、そのまま少し待っていてくれればいい」
厄介事が解決したら呼びに行くと暗に伝えると、心得たと頷く。
「「分かりましたわ、では後程」」
「ああ」
首を回して深呼吸をしてから、中に入った。
全員から視線がくるが、それぞれ含む色は違うように感じる。
なんだ?
「これは皆様、まずは挨拶ですね。おはようございます、ノエル様。皆もおはよう。エリット様もおはようございます。フロウクラスの皆さまもおはよう。ソラ嬢、リベル嬢、今、アンジェリカ嬢とビアンカ嬢に教室に行ってもらったんだ。ハチミツに浸けるレモンのことでね。悪いけれど、手伝いに行ってもらえるかな?」
「「もちろんですわ」」
女子達がいなくなったので、微笑んで話しかける。
「ノエル様もお早いですね。早速、今日の作業にかかりましょうか。時間は有限です。ハルドとクラウンも頼めるかな?」
努めて明るい声を出す。
関わらない方がいいと判断をして、挨拶だけで済ませた。
「そうするとしよう」
「ええ」
「もちろんですとも」
ノエルが状況を言わないのならやっぱり聞かないほうが良さそうだ。
「ソルレイ様。少しご相談があるのですが、宜しいでしょうか?」
なるべく見ないようにしたのだが、声をかけられてしまった。フロウクラスのクレバ・ハインツか。
「クレバ殿。せっかくですが、時間がかかるものを作っております。ご容赦ください」
微笑んで調理台に向かう。
「まだ私達だけですから、蝶の型抜きを致しましょう」
「そうだな」
「では、板を出して参ります」
「私も手伝おう」
エリットからもクレバからも凝視されているが、それ以上声をかけてこないあたり、こちらに対して何かあるわけではなさそうだ。
言い合うならどこかに行ってやってくれないかなと思いながら、蝶の型抜きをする。
集中して型を抜いていく。バッドに蝶を並べ、冷蔵庫に冷やす。
「さすがにソルレイは早いな」
「無心でやっております。手が勝手に動くという感じですね」
「私は邪念が入ったのでしょうか。せっかくの蝶が……」
僅かに欠けた蝶の羽を摘まんで見せた。
「アハハ。気にしないでいいからこっちにおいて」
ハルドが失敗第一号は私か、と言いながら真ん中のバッドに入れる。
それを見たクラウンが言う。
「ハーブだと気にならないのですが、ハチミツだと神経を使います」
「どっちも同じ蝶なのにそれはひどいよ」
ハーブの蝶っぽく高い声で詰るようように言うと、皆が笑う。思っていた以上の高音で自分でも笑った。
「「「「ハハハハハ」」」」
楽しそうに型を抜いているのが、気に障ったのかフロウクラスの生徒がこちらにやって来る。
クレバも止める気は無しか。
「なにか?」
「レリエルが譲ってくれれば解決するのですが?」
初対面で何を……。
「不躾に声をかけてきて何を言うかと思えば。趣旨も不鮮明で礼儀も無しか。何かを譲って欲しいようだが、とても譲って欲しい側の態度ではないな。作業の邪魔だから向うへ行ってくれるかな?」
一瞥して作業に戻ると、今度はクレバがやって来て非礼を謝って来る。
「うちのクラスの者が失礼を」
「分かっていただろう。謝る気があるならとめろ」
ノエルがそう言い、それだけ返し作業に戻ると、今度はエリットが来る。
完全に見ていたので、話しのきっかけが欲しいのかもしれないが、忙しいのだ。
「ソルレイ。少しいいか」
さすがに名指しをした侯爵家を無視することはできない。
ノエルが目を細めて見ていそうだが、型抜きの途中で目を離すのはよくない。
「エリット様。これが何の作業中かお分かりになられますか?」
「菓子を作っているのは分かる」
「少し終わるまで見ていてください。こうすると……ほら、蝶になるでしょう?」
ゼリーの外側を外すと抜かれた蝶のゼリーだ。
「ほう。見事だな」
「宜しければ1つ差し上げます、甘い物は平気ですか?」
「ああ」
手の平に乗せると汚いなどと言わずに、そのままパクンと食べた。
「うまい! なんだこれは!?」
「ありがとうございます。ですが、これはお菓子の一部なのです。一つ完成形をお見せしましょう」
俺は冷蔵庫から、型を取り大皿に出すことにした。
子供用のジュレだ。
「エリット様。1つお約束を。見たことは内緒でございます。そして、試食はできません」
「ああ、分かった」
フロウクラスが気にしてチラチラ見ている。
「いきますよ」
俺は気になっていた子供用を型から出した。
エリットが目を見開いて釘付けになる。
「なんと美しい」
「ここにいる蝶があの蝶でございます。これは子供達が食べるお菓子なのです。制作期間は半日以上。数を作ろうと思えば労力がいります。ずっと下準備をしてようやくこのように完成するのです。文化祭は学校に憧れる平民の子供達が沢山来ますからね」
まだあと半分は作らないと目標の個数に間に合わないのだと伝える。
時間は惜しいですが、エリット様がわざわざ声をかけにいらしたのだから何かあったのでしょうし、困りましたね、と笑いながら声をかけ直す。
「いかがなされましたか?」
「ふぅ。それを聞いては言い辛いのだがな、冷蔵庫を……1つでよい。借り受けられんか?」
「調理室は借りたけれど、冷蔵庫は申請漏れということでしょうか?」
「ああ、そのようだ。焼き菓子だった故、オーブンしかしていなかったようだが、紅茶の提供があってな。この暑さだ」
「アイスティーですね」
「ああ。レリエルのように冷菓ではないのでな」
「後で発覚することなので、先にお伝えしておきます。クッキーも出します」
「うちはパイだ」
「ふふ、被らないで良かったです。少々お待ちください」
俺はノエルのところに戻る。
「ノエル様。ガーネルクラスが冷蔵庫を1つ借りたいそうです。申請が漏れてしまっていたようでエリット様がお困りです。手続きをしても宜しいでしょうか」
「お前がいいのならいいぞ」
「ありがとうございます。教務課にエリット様と一緒に行ってきます」
「ああ、すぐに戻れ」
「エリット様、ノエル様も1つであればということですので、教務課に参りましょう」
「そうか。ノエルすまないな。レリエルには迷惑をかけた」
「ああ。ただし、菓子の総指揮はソルレイがとっている。すぐに返してもらうぞ」
「分かっている。クライン先生から聞いているのでな」
では、行きましょうと教務課で調理室の冷蔵庫を1つガーネルに引き渡す手続きを行う。
「担任印がいりますが、クライン先生はお休みですね」
「ありがとう、このままここで留め置いてもらってもいいかな? クライン先生には報告書を書いて教員棟のポストに入れておくよ。ここに来て担任印が欲しいと書いておく」
「分かりました。こちらでも明日の朝連絡を入れます」
「手数をとらせてすまないな」
エリットも謝り、教務課の人が宜しいのですよと笑った。
「明日から正式にガーネルの使用ということで使えますが、今日から使いたければどうぞ」
「いいのか?」
「型抜きを進めれば、空けることは可能です。当日までは1つが譲れるギリギリですので、ご理解ください」
俺はそこから、こうすれば冷やせますよ、と冷凍室で大きな氷を作って簡易のクーラーボックス案を出しておいた。
「そうか! 魚を冷やす時のアレだな! 助かったぞ!」
「当日は、アイスティーに氷を入れるのなら小さい氷は使わずにおくべきですからね」
「冷凍室の利用は考えていなかったからな」
「アイスティーの氷を作っておけば便利かもしれません」
「なるほど。薄くならぬし良い案だ」
「ですが、紅茶を使うので料金との兼ね合いがありますね。校内のカフェの値段と整合性が取れるどうかです」
ホットよりアイスティーの方が値段は高くて当たり前だが、校内や他店のカフェの方が安ければそちらに流れる。
「2年前は焦って失敗してな。今年は女子の意見なのだ」
後悔しているエリットの顔を見て、2年前クッキーを焦がしたことを女子達が謝ってくれた話をした。こちらも気づかなくて申し訳なく思ったことを。
謝れてよかったと彼女達が言ったのだと言うと、決意をした目をする。
「今回、成功させるに当たって、考えてみたんだがどうか。そう言うだけで宜しいのですよ。無理に、“せよ”というわけではないとそう言えばいいのです。薄くならないアイスティーはいけそうな気がしますが、料金が倍かかるのではと反発されるかもしれません。そうしたら、実際にやってみていくらかかるか計算しようと提案するのもいいのです。まだ2日ありますよ。皆でやるのはこれが最後ですから悔いのないようになさって下さい」
「ふむ。そうだな」
エリットと別れ、教室に行き、待っている皆に声をかける。
「みんな、ごめん。調理室に来て作業に入って欲しい。ガーネルは解決したから大丈夫。フロウは敵視されているけど、放っておこう」
「なにがございましたの?」
聞いたのはアンジェリカだ。入れなかったので気にかかったようだ。
「ガーネルは冷蔵庫の申請漏れだ。1つ譲って欲しいと頼まれて譲ったよ。フロウクラスの生徒は、作業中に調理台まで来て絡んでくる。口が悪いから邪魔だと言って無視をしている状態だ。女子は前の調理台で作業をしよう。男子は真ん中だ。邪魔をされたらすぐに声を上げて。酷いようなら迎賓館に移動をするからそのつもりで」
“なんて面倒なやつらだ”と頭を振りながら、移動を始める。
俺は教室の鍵を閉め、後を追いかけた。




