令嬢リムジン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
あ、つぶらやくん、君も残っていたのか。お迎え待ち?
いや〜、まいったねえ。天気予報でも午後はばっちり晴れるでしょう、みたいなこと話していたのに、このざあざあ振りとか。
しかも寒いし。スカート履く人なんか、だいぶしんどいんじゃないかな。
うわはー、ここからでもお迎えの車がたくさん見えるねえ。これほど校門近くに集まることなんか、行事以外じゃめったに……!?
あ、つぶらやくん。いまさっきリムジンが通ったの、見えた? 見えたよね?
こいつはひょっとしたら、ひょっとするかもだよ。すぐ二階へあがろう。あのリムジン、停まったりしていないか、確かめないと。
……どう、リムジン見える? 他の車の影とかになっていやしないかい? もう少し上がるか、廊下を奥へ行くか。
――どうして、そんなにリムジンが気になるのか?
ほら、ボクって数カ月前に引っ越してきたばかりじゃん? 前の学校にあった怪談にね、リムジンに関係する話があったんだよ。管轄外って気もするけれど、用心はするに越したことはないと思って。
ああ、つぶらやくんも知っていた方がいいか。こんな話なんだけどね。
むかし。ボクたちの学校ができて、しばらく建ったころ。
誰が流し出したのか、この年度の入学者にとある大企業の令嬢がいる、という噂が広まった。
お姫様というと、どこかファンタジーな響きがあって、影も踏めないような遠くにあるイメージ。でも令嬢というと、お屋敷から忍びやかに降り立った一輪の花で、手を伸ばせば届きそうなイメージで……。
――ん、言葉を味わうのもいいけれど、先を話せって?
ああ、ごめんごめん。つまりは令嬢の方が、まだ近しい存在に思えるんじゃないか、てことさ。
そう聞いた一部の生徒連中は、なんとかそのご令嬢を特定しようと動いたらしい。
どれだけの下心があったかは、想像してみるよりない。ボクとしたら、そうした地位とか肩書で寄ってくるような連中なんて、お断りしたいもんだ。
学校の外では、多かれ少なかれそのような立場で見られる機会にあふれているだろう。ならば学校の中では、学校ならではの立ち位置とか評価とかで見て欲しいと思う。
生徒連中の探りは遅々として進まず、やがて入学式より二か月が過ぎた、梅雨どきのこと。
ホームルームの少し前から、外の雨は雷を伴う、強いものへ変わっていた。
当時はまだ、携帯電話が普及していなかった時期。生徒たちは親に迎えに来てもらうべく、先生に校内の電話の使用許可を求めたり、学校近くの電話ボックスを使うための小銭やテレフォンカードなどを確かめたりしていた。
その折、すでに冠水し始めたアスファルトの上を、派手に水はねを飛ばしながら、校門前へつけた車が一台あった。
三方ある校門のうち、東側へつけたその車は、黒を基調としたリムジンだったらしい。
ダッグスフントを思わせる、胴長な車体。そこには路面バスに見られるように、細かく仕切られたいくつもの窓がはめ込まれている。その数は10枚にも及んだ。
その到着に気づいた生徒が窓際へ寄ったのを契機に、一度は大半の生徒が、見慣れない車を見ようと押し寄せたらしい。先生からホームルームを始める旨を告げられて、いったんは散ったけれど、例の捜索組は思わぬ収穫にほくそ笑んでいた。
――あれこそ、令嬢をお迎えに来た車に違いない。つまり、あの車に乗る奴がいれば、そいつが……!
教室を早くに出ようとする奴も、要チェックだ。
先生の話をほとんど右から左へ流しながら、生徒たちは教室外の階段へ意識を注いでいた。他のクラスで早くあいさつが終わり、アクションを取る子がいないかを見張るために。
そんな彼らの意図を読んでいるかのように、目立った動きをする子はいなかった。やがて大勢の生徒たちで階段付近も、昇降口もごった返してしまう。
他のみんなは、これから親に電話で連絡をつけるところ。どんなに早くても、到着まで数分は要するはず。
そしてあのリムジンも、ずっとあそこへとどまってはいられないだろう。
揺れを減らすのに向いているというあのボディも、天下の公道に長く居座ろうものなら、お邪魔虫にしかならない。ましてや、校門の近くへつけたがるだろう、他の保護者たちの車にしてみれば。
すでに校庭には、お迎えを期待できないであろう面々が、傘を広げて散っていくも、あのリムジンに乗り込もうとする人は、なかなか現れなかった。
やがて、東側の校門を出る人がひと段落したころ。
エンジンをふかす音が校内へ響き渡る。出どころからしてあのリムジンだろうけれど、改造したバイクか何かを思わせる爆音に、思わずみんなは耳を塞ぐ。
アスファルトを削るかのように甲高い音を立てながら、リムジンが動いた。
バックで、ね。
東校門から下がると、すぐに体育館の影が待ち受ける。
口元で滑らされるハーモニカのホールたちのように、リムジンの無数の窓は次々と、建物へ隠されていく。
「なんだったんだ?」と、見えていたみんなが顔を見合わせる中、またしても耳障りな調べが鼓膜に弾ける。
先ほど以上の勢いで前進するリムジンは、また一気にその窓を見せだすけれど、最初に姿を現したときとは違う。
窓のひとつひとつが、強烈なフラッシュを焚いたんだ。
マシンガンさながらの勢いで、立て続けに光を受けてはたまらない。外を見ていた生徒たちのほとんどは、たちまち目をくらまされた。
ようやく視界が戻った時には、リムジンの代わりに、保護者達の乗用車がちらほらと校門前へ寄せている。順番に乗り込んでいく生徒たちを尻目に、周囲を見やる面々だったけれど、その日はもうリムジンの姿は見つけられなかったとか。
一度は逃がしたものの、まだチャンスはあるはず。
そう考える有志は、自分たちの家の周りを中心に、学区内を今一度、洗ってみる方向へ。
あれほど目立つ車だ。並の車庫ではおさまらないだろうし、駐車場に停めているなら、もろ目立ちのはず。そこからご令嬢の家の特定はできずとも、範囲を絞ることくらいはできるはず。
いまだ校内での、ご令嬢本人の特定は進んでいない。例の噂はデマだと思う人の数も増えていたようだけど、リムジンの存在こそ裏付け、と信じる生徒の存在は根強かった。
もはやご令嬢とお近づきになるとかじゃない。それそのものを見つける、宝探しのような感覚に陥っている節があったとか。
やがて梅雨も明け、夏休みも視野に入り出した7月の中旬。
あの日に似た、昼過ぎからの天気の急変があった。何度か走る稲光に、記憶のいい生徒たちは、ひそかな期待をくすぶらせる。
掃除の時間が終わると、また廊下の窓際へ寄っていく生徒たち。その目はまた、東門へ注がれ出していた。
「来た」
そう誰かがつぶやいたのは、さほど間を置かずだった。
先ほどまで興味なさげだった生徒たちも、少しずつ後ろから張り付いて、人垣を作っていく。
長い黒の車体。並ぶ10枚の窓。
間違いなく、あの時に見たリムジンだ。「今度こそ見極めてやる」と窓に張り付き出す生徒たち。中には「もう同じ手は食わん」とばかりに、サングラスを用意している周到な子たちもいた。
そうして大半の目が東門へ注がれる中、ひとりの生徒が別の声をあげる。
「おい、西にもいる」
なにが、と問う言葉は、西を見ればいらなくなる。
同じように黒いリムジンが、西の校門前に停まっていたのさ。やはり10枚の窓を引っさげてね。
タイヤと車体ののぞかせ具合から、東側に停まったものとほぼ対称になる位置に停まっている。
二台目のリムジンの出現。
にわかにざわつく面々だけど、そこへあのアスファルトを削る音が、耳を打つ。
校舎正面、南門。その左右を支える門柱の影から、ぬっと現れ出たのは三台目の黒リムジンだったんだ。
想定外の光景に、みんなの考えは一気にかき乱される。
フェイクか? 見間違いか? それとも令嬢って、ひとりじゃなかったのか?
そのわずかな混乱の間にも、リムジンは動いた。
はかったように、同じタイミングで。
三台が奏でるタイヤの音。もう耳障りなんてものじゃない。雷のとどろきのごときだ。
廊下どころか、教室にいた生徒たち。そろそろホームルームを始めようと、声をかけ始めた先生たちも、窓の方を見る。
次の瞬間。校舎の窓たちへ、強い光が飛び込んできた。
先ほどまでの稲光たちより強く、そして長い。教室から見る窓際に立った生徒たちは、服の色さえ分からないほど、真っ黒な背中を見せていたんだ。
長々とした明滅。それがもはや外からのものか、自分のまばたきによるものか分からないほど、無数の目がいじめられていく。
そうして、その光が唐突に消えたとき。瞳の残像が視界をくらませ、廊下からみんなの姿さえもなくなっているのに気づいたのは、少し経ってからだった。
でも、「いなくなった」わけじゃない。彼らは余さず、席へ戻っていたんだから。教室よりずっと廊下を見続けていた誰も、その動きが分からないままにね。
彼らはすっかり固まっていたけれど、みんなが声をかければ、はっとして返事をしてくれた。
一見して、彼らにはおかしいところはなかったものの、あのリムジンと令嬢に関する熱意や関心は、すっかり消え失せていたんだよ。
で、どうつぶらやくん。リムジンやってきた?
あはは、そんなにビビらないでよ。ちゃんと校門前に停まったって、返してくれれば。
そう、あれがボクのお迎え。手でも振ってみせようか?
――ほーら、10個の窓全部。埋め尽くすくらい、手を振り返してくれるでしょ?
あれ、ぜーんぶ「ボク」じゃなくて「令嬢」としか見てくれない人のものさ。
いいように「令嬢」に近づき、使おうとする。だからボクも、都合がいいように扱ってあげるんだ。学校を出たらね。
ありがと、つぶらやくん。君も「ボク」を見てくれる人らしい。
知られちゃったけど、できれば引き続き「ボク」だけを見ていてほしいかな。
「令嬢」に傾くようなことがあったら、君だってああしないといけないからね。