ザクス復活
「……」
何か聞こえたような気がしたが、最終決戦前の少しの和やかな雰囲気に呑まれ、聞き取ることはできなかった。もう時間はないとわかっていたのに、ザクスの魂が近くまで来ていることに僕らは気付くことができなかった。
ザクスの気配にいち早く気付いたのはファズだった。
「……ザ……クス……さま」
その小さな声に気付いた時には、もう手遅れだった。
ブュシュッ
不気味な肉を刺す音が聞こえ、全身に鳥肌が立った。音のした方向へ振り向くと、そこにはファズの闇の剣に胸を刺されたシュウ君の姿があった。
「シュウ君!」
急いで駆け寄るが、シュウの胸からは大量の血が流れ出てきていた。
「コタロー君、リバース!」
胸の傷を抑え出血を止めようとしているラクさんに言われてリバースを唱えようとするが、シュウは体がアンノウンだ。リバースをしてしまうと、シュウの意識が残っているとは限らない。
「エリナル様!聞こえますか?エリナル様、シュウはリバースをしてもシュウのままでいられますか?」
僕は必死にシュウの中のエリナルに声を掛ける。一刻も早くシュウの傷を戻したかった。
(わかりません。わかりませんが、シュウの体は私たちの種族に近いものです。私たちの種族は多少の傷はすぐに回復します。ひどい傷ですがこのままでも回復するかもしれません。魂は私がこの体に留まらせています。だから、あなた方はシュウの回復力を信じて、ザクスとの戦闘に集中してください。)
僕たちの意識がシュウに集中している中、その奥で小さく震える体があった。
「……あ……あ、シュウ?……シュ……ウ?」
その瞬間、ユキからぶわっと大きな魔力が放たれ、ファズの体が吹き飛んだ。
ユキは目の前でシュウの体を傷つけられ、怒りと恐怖に身を震わせ自身の魔力を制御できなくなっていた。次の瞬間、僕たちは動けなくなる。
ザクスの魂がユキの居場所を見つけ即座にやってきたのだ。
周囲が急速に闇へと沈んでいく。
視界を染める黒は、ただの暗さではなかった。
憎悪、怒り、悲しみ、恐怖――無数の負の感情が、奔流のように頭の中へと流れ込んでくる。誰の感情かもわからない。ただ確かに、自分という存在を押し潰そうとしていた。
胸の奥がきしむように痛み、呼吸がひゅうひゅうと音を立てる。
目の前は霞み、音も輪郭も遠ざかっていく。
体は痺れたように鉛のごとく重く、指一本さえ動かせない。
「逃げなきゃ――みんなを助けなきゃ」
そう思っても、声は喉で凍りついたまま。
頭の中だけが叫んでいる。
倒れそうなのに、倒れることさえ許されない。
気持ちが悪い。吐き気が込み上げてくる。
真っ暗な闇の中、足元に何かが触れた感触――ぴちゃ。
何だ……? 液体……?
逃げ出したいのに、体は凍りついたまま。
だが、次の瞬間、動かないはずの腕が、震えながらもゆっくりと動いた。
それが恐怖のせいか、本能のせいか、自分でもわからなかった。
ためらいがちに手を伸ばし、そっと足元に触れる。
ぬるりとした感触。
手を引き上げると、指先は濃く赤く染まっていた。
……血だ。
「血?誰の?」
あたりを見回すと、何かが転がっている。
ゆっくり近づいてみると、そこには「足」があった。
「あ、あぁ……。」
僕は足を手に取ると、その足の本体を探す。
あたりは暗く、良く見えないが、目を凝らすと、体の一部があちらこちらに転がっている。
「こ、これ……みんな……。」
僕は崩れ落ちた。どうして?いつの間に?僕は何をしていた?また助けられなかったのか?またみんな死んでしまった?
もしかして、僕もやられて、実はこの死体の中の一つなのではないか?この足は僕の足だったりするのか?
自分が今どんな体勢で、立っているのか倒れているのかもわからない。
僕は生きているのか?死んだのか?
戦う前にやられたのか?
死んだ?やられた?もうダメ?
「コタロー!しっかりしろ!」
頭の中にネセロスの声が響いた。
目の前の風景が、現実へと引き戻される。
完全に意識を乗っ取られていた。僕が一番見たくない未来を――強制的に視せられていたのだ。
おそらく、僕だけではない。この場にいる全員が、それぞれ最悪の結末を目撃していたに違いない。
僕たちが動けずにいた、ほんのわずかなその隙に。
ネセロスだけは、ザクスの魂に屈することなく動いていた。
けれど、この一帯すべてを覆うほどの圧倒的なザクスの魂の奔流を、たったひとりで止めることはできなかった。
その巨大な魂は、ユキの体へと侵入し、まるで最初からそこにあったかのように、すっぽりと彼女の中に収まった。
その瞬間、僕たちの意識はようやく解放され、体を動かせるようになった――が、すでにすべてが遅かった。
「はぁ、はぁ」
「みんな大丈夫か?」
「あぁ、生きていてよかった。リアルかと思った。」
ネセロスの質問に対して、みんな同じような反応をしていた。みんな同じような「死」を視ていたのだ。
「で、どんな状況?」
落ち着いた風に切り出したラクの言葉をきっかけに、僕たちは、ユキの方へと視線を向ける。
「……。」
ユキは無表情で立ち上がり、手や足を動かしている。そこにはもうユキの気配は無く、敵意しか感じられない。外面はユキだが中身は意識も魔力もザクスのものだ。
人間の体の一通りの動きを確認した後、スーッと空へ飛んで行く。
僕らの真上へと飛んで行くと、ザクスは膨大な魔力の塊を作り出した。僕とネセロスは咄嗟に光属性の壁を空へと張る。次の瞬間、地上へ向けて属性のない魔力だけの爆弾が投下された。
「……。ふっ、ふははははっ。良い。良いぞ。この体。」
かろうじて地上への直撃は防げたが、あれはただの魔力。これに属性が加わったらどんな威力になってしまうのか想像ができない。防ぐのも精一杯だったのに、こんな奴の相手をみんなに託して良いのだろうか。僕の心は迷っていた。このまま僕もザクスと戦ってみんなで協力して倒すべきなんじゃないか?でも、あれはユキで、僕はこれまでザクスを倒すために一人で戦ってきたユキを殺せるのか?僕だけじゃない。みんなで倒すことになれば、仲間のユキを見捨てて殺した罪をみんなが負うことになる。
そんな戸惑いの表情に気付いたのか、僕の前にフクさんとラクさんがやって来た。フクさんは氷と炎を出現させ、ラクさんはゴーレムを出す。
「コタロー君、作戦通り行くよ。」
「俺たちの事、心配しているんでしょ?こっちは何とか食い止めるから。」
二人の背中は力強かった。でも、それでもここで僕が戦線離脱したら二人が本当にやられてしまうかもしれない。僕のリバースが間に合わなかったら、今度は二人とも本当に死んでしまう。
「コタロー君!早くこっちへ!」
紗奈さんに呼ばれる。巨大樹の前で紗奈さんと銀次さんが待機している。
そうは言っても、僕たちがユキの意識の中に入ったとして、いつ戻って来られるかなんてわからないし、この作戦が上手くいくのかもわからない。
「コタロー、大丈夫だ。作戦通り行こう。我が愚弟の相手をするのは我々だけではない。」
ネセロスがそう言うと、辺りに複数のゲートが出現する。そこから出てきたのは、各支部の戦士たちだった。
「いやぁ、アンノウン大量発生できつかったわ。でも、もう落ち着いたから手伝いに来たよ。」
そう言うのは、近畿支部のメンバーだ。続いて、北海道支部、東北支部、中部支部、中国支部、九州・沖縄支部の人たちも次々とゲートから出てきた。
「これは……?」
「私が連れてきました。」
最後に出てきたのはユーリだった。
「ザクスが私たちのところへ来た直後、ネセロス王は私だけゲートで移動させました。シャルの能力の無効化で今は属性の供給が安定していますから、各支部が落ち着いたところで、戦える者全員をこの場へ連れてくるように、ネセロス王は私にそう言って東北支部へ送ったのです。だから私は各支部へ回り、戦える者を連れてきました!」
「回復係!こちらに来て治療を!」
何人かの戦士がシュウ君の元へ駆け寄ってくる。シュウ君の姿に恐れを感じることもなく、手際よく手当していく。彼らの属性はとても弱いが、人間と同じように手当てをしていく中で、少しずつ回復の魔法を乗せている。上手いものだ。
強力な魔法を使える者は前線へ。補助系の魔法や、守りの魔法の者は巨大樹の近くへ陣を作っていく。模擬戦は行ったが共闘をするのは初めてだ。それなのにみんなそれぞれ自分の役割をわかっている。
胸が熱くなって、さっきまでの心配が消えていく。これが「信頼」と言うものなのだろうか。
「俺たちが、コタロー君とファーちゃんを守る。だから、ユキちゃんのことお願い。」
「コタロー君たちだけじゃない。ここにいる仲間全員守るから。誰一人欠けないように私たちが守るから。だからコタロー君はユキさんのこと、お願いします。」
巨大樹の入口の前で、紗奈さんと銀次さんが僕たちを呼ぶ。
僕はファーと顔を合わせ小さく頷いた。
「行こう。ユキの精神の中へ。」
巨大樹の中は、小さな空洞になっていた。巨大樹のサイズから、もう少し大きな空間が広がっているかと思ったが、巨大樹の空間の中は分厚い鉄で覆われ、より強固なものに仕上がっていた。被害を少なくするためにも、僕たちはより短い時間で終わらせなければならない。
巨大樹の空間の中心に僕とファーは寝そべった。
僕は腕時計を操作する。
「ファー、行くよ。」
そう言うと、僕たちの意識とユキの精神をリンクさせた。




