「彼」
僕には恩人がいる。ここでは「彼」としよう。彼は僕が死のうとしたときに現れた。あれはひどい雨の降る日。僕はいつも通り学校でいじめられ、育ての親から虐待を受けていた。
「僕って、どうしてこんな何だろう」
鏡に映る自分の姿が嫌いだった。
水に映る自分の姿が嫌いだった。
太陽の光で照らされてできた影すらも嫌いだった。
雨の降る夜は好きだった。
自分の醜さが見えなくなる気がするから。
洗い流される気がするから。
今日は雨だ。僕はウキウキしながら学校に行った。今日はうれしい日だ。なんたって今日は人生最後に日なのだから。
学校に友達はいないから悲しむ人はいないだろう。
学校帰りは近くの駅に寄った。踏切の前だ。楽しみだ。
「ね?父さん、母さん」
顔には満面の笑み。けれど不思議だ。涙も出てくる。死ぬときはあいつらに沢山迷惑をかけてやるんだ。
電車が来るのに合わせて飛び込む。
世界がスローになる。
ああ、死ぬのか。
刹那、右腕が引っ張られる。
「おい!」
なんだ?叱られたのか?
「お前!命を何だと思ってるんだ!」
「なんだよ、うるさいな!僕はもう死ぬんだ!死んで父さんと母さんのところに行くんだ!」
叫びながら彼の目を見据える。けれどそれは叶わなかった。
「駄目だ。そこには誰もいない」
彼は不思議な存在だった。しかし何故だろう、姿が思い出せない。
「う、うるさい!お前は何にも知らないだろ!」
「知らないさ。俺はお前のこと何にも知らない。だから教えてくれ」
不思議だった。彼の言葉は心地が良い。
「わかった」
これが彼と僕の出会い。
それから僕は彼に色んなことを教わった。
「なあツバキ。俺は死を知っている」
「どう云う事?だって現にあなたは生きている」
「生きながら死ぬのさ」
「それは、とても怖いね」
「ああ、とっても怖い」
死生観から始まり、この世界で賢く生きる為の術を。僕は彼を尊敬した。そして彼の役に立ちたいと思うようになった。聞くと彼は戦場カメラマンらしい。
「死ぬのは怖い?」
「ああ。でもな、一番怖いのは死じゃない」
「なに?」
「それは人によって違うものさ」
「貴方はなんなの?」
「自分だよ。俺はね、今まで沢山死を見て来た。おそらくその中でも助けられた命はあったはずだ。けれど俺は包帯の代わりにカメラをもってその人をフィルムに移した。俺が、殺したも同然なんだよ」
その時の彼の目はとても悲しそうだった。
彼は確かに殺したのかもしれない。けど、
「ねえ。僕、生きるよ。だから!」
「威勢のいいやつだ。人生はお前のものだ。生きてればいつかわかる」
彼は最後にやっと死ねると云う顔をした。