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夙志咲くらん

作者: ROKA

日中の照りつけた光源が爪痕を残したこの街に、もう一つの光源が照らし癒す蒙昧の時がやってくる。若干空いた窓へなま暖かい風がそよぎ、部屋の中に息潜めている静寂を強襲する。

寝巻きから乱れたしどけない腹部に感じる感触がどこか懐かしい。昔はこうやって、母によく手でさすってもらっていた。すると無意識のうちに目から涙が頬をつたり、首元を濡らす。

目を覚まし、首元に手を掛ける。指についた水滴が刹那にして乾き、手の皮膚に溶けて行く。それから体を起こし、目を擦りながら窓に手をかける時、迎えの家の庭に小さな光を目にした。よく見ると、一本の月下美人の花だった。懸命に、渾身の力で咲いてる。その花は遥か上空で咲いている丸い花より何故か魅力的に、そして大きく写っていたのだった。

目覚ましが吠える。そっと頭を撫でると泣き止む。上体を起こし森閑の世界へと誘われるまいと自分を制していると、若干開いた窓から朝日が毀れみ、こっちに来いとばかりに誘惑していた。微醺を帯びた人のようにふらふらと歩きカーテンを開ける。

一番先に視界に入ってきたのは、照りつける光源ではなく、昨日の夜の月下美人の花だった。しかし、その姿は酷く干からびて、お世辞でも美人とは言えなくなっていた。


9月のある日の昼下がり。

高層ビルの入り口付近に掲示している就職試験の案内を目にした沢山の若人が流れ込んでいる。

「藤原先輩…今年はいい人材揃いそうですかね?」「今年は優秀なの来るぞ。って一昨々年から言ってるけど、3年離職率45%。大企業ではなけど、県内では知らない人はいない企業だからな。そこがまた空恐ろしいよ。」ビルの屋上から沢山の人々が入ってくるのを、睨みつけながらそっとぼやいていた。左腕につけている時計を見ると、試験開始までは30分を切っていた。

藤原は曲がったネクタイを直すと、トイレに向かった。

沢山の就活生とすれ違う。この年まで人事採用を行なっていると、目の輝き、背筋からその人の考えてる事がよく分かる。

年収がましだから受験する奴や、

慣れや滑り止めという背理な考えで受験する

奴が壟断する中で、一握り存在するこの会社で一生懸命働きたい奴を冷静に仕分けしなければと鋭い眼光で廊下を歩いていった。

トレイに入ると、チャージにパーカーとかなりラフな格好な青年が用を足していた。

「君、勝手にビルに入ってきちゃ駄目だよ?

それともご両親の付き添い?待ち合い室は…」「この会社で働きたいと思い、受験しにきました。」「はい?君正気?」

「正気です。長倉大学法学部2年の渡邉桜斗です。」「君、就活って何か知ってる?

うちの会社は大卒しか、取ってないんだ。

まだ2年の君を例え優秀だったとしても、取ることはできないし、そもそもそのふざけた格好、あまり社会を舐めない方がいいんじゃない?」

「舐めてなんかいません。私は今、この会社で働きたいから、受験しにきました。

それと、県内では優良な企業と謳っている御社は、金に取り憑かれた馬鹿達は採用するのに、この会社で一生懸命働きたいと思ってる若者を服装だけで、不採用とするのですか?」

藤原は大きくため息をつく。

「急いでいるんだ。もういいかな。君と何を角逐するかも忘れてしまったよ。ま、受験するのは君の勝手にしてあげるよ。でも、金輪際、俺の前から姿を消してくれ。」

「失礼します。」そう言い残すと、青年はトレイから出て行った。

藤原は顔を洗い、「はぁ」と溜息をつき、トイレを後にした。

「藤原さん。遅かったですね?もう始まりますよ。」「ごめん。ちょっと変な奴に喧嘩売られちゃって。」「変な奴?」

「それがさ…」ここまで言って藤原は口を閉じた。少し悔しかった。

応募要項満たしてないし、身なりだって整ってない。だけど、あの時の真剣な眼差し、一瞬だけだが、吸い込まれそうになった。どんな就活生より異彩なオーラを放っていた。

その後、就活生の面接を行った。

リクルートスーツを着た緊張している人形達はみんながみんな同じ事しか言わない。

最後のグループが終わり、一通り確認していると、横から呆れた声がこだまする。

「今年も外れですかね…」募集定員30名

総受験者数300名。

採用部は、5人いるため、1人当たり請け負った60人の受験者から、内定候補を10人だし、4日後の会議で50人の候補者から30人に絞り内定者を出す。藤原は帰りの地下鉄に揺られながら悩んでいた。受験者全員が口裏合わせたように同じ事しか言わないのだ。

そうなると、最悪、出身大学や、顔採用などという胡乱な選択肢しか無くなり、結果離職という負の連鎖を重ねてしまう。


9月28日午後1時。

内定者選考会議が始まった。

藤原は適当な10人を候補者として推薦したのだった。

自分がやっている事は間違ってる思った。

自分が恥ずかしいとも思った。

しかし、畢竟するにこれが現実。

隣に座っている採用部の一人佐々木士郎も多分同じ事を思っている。

それから最終的に内定を允許した30人のうち

藤原が推薦した候補者は8人ほど名を連ねていた。

会議室を出ると、隣の喫煙所でタバコを吸ってる佐々木を目にした。佐々木も藤原に気づき、何か物言いたげな様子だった。

「士郎さん。お疲れ様です。一本貰っていいですか?」「なぁ藤原、俺のとこから12人も選ばれちまった。志望理由はみんな同じ。少なくとも俺が監督した60人は全員目が死んでいたよ。本当にやりたい事より、しょうがなくこの会社に入るって人しかいなかった。

俺はさぁ、これからの若者には自分が本当にやりたい事で行きて欲しいんだ。

それで生計を立てるのは難しいとは思うけど、それじゃなきゃ生きてることに楽しみと価値観を見出せないでしょ。」

「同感です。採用部ってある意味人の人生壊す部署になりますよね。」その後二人は無言になり、漂った煙だけが、交互に会話をしているようだった。

夕方になり、茜色に染められている世界を歩いてると学校帰りの高校生とすれ違う。

あの頃の自分は何を思って生きていたのだろう。夢などはあったのだろうか?

あの時、もう少し考えていれば…

道楽を高じ過ぎて、大学受験に失敗。

その時から、本当にやりたいと思った事、

時間を忘れて熱中した事、本心で笑った事はなくなった。

大人しく勉強し、一浪して大学に入学。

そこから妥協人生は始まった。

藤原はそこまで思い耽ると、天を仰ぎポケットからスマホを出し、耳に当てた。「

すいません。藤原です。明日、よんどころのない事情により会社をお休みます。」それだけ言い残すと、反射的にに電話を切り、もう一度、今度は空を仰いだ。天より空の方が赫赫としている。



目を覚ますと、朝の9時を少し回ったところだった。いつもだったら、会社の椅子に腰をかけている頃だが、この日は、家のリビングの椅子に深く腰をかけていた。

テレビをつけると、ワイドショーが放送されていた。いつもニュースはスマホからしか情報が取れないので、司会者やコメンテーターがニュースに対して意見を述べていて新鮮な感じがした。そして、藤原も一人テレビの前で開陳していた。

そんな事をする為に今日休んだ訳でない。

靴紐を結び玄関を勢いよく飛び出した。

車に乗りカーナビを起動させる。目的地に設定したのは長倉大学だった。

車で走る、目的地の長倉大学までは2時間かかる。途中にコンビニにより、ブラックコーヒーを100円玉を等価交換する。

車内に戻り一口飲むと、その味に驚愕する。

いつも出勤時に買うコーヒーとは全く別の味がする。断然こっちの方が美味だ。

その後車を走らせる事1時間半。隣の県にある自然豊かな森に囲まれた峙つ白い建物が見えた。なにやら沢山の人が集まっている。

藤原は車を止めると、周りを見回す。

どうやら、学園祭が行われているようだった。

各学部ごとに、まとまって出店している。

法学部の店の前まで来て足を止める。「あの、何か注文ですか?」「あ、いや、2年の渡邊桜斗さんに少し用があって。」

「桜斗先輩に用ですか?今先輩は就活中で今日も就職試験と言ってましたよ、一番入りたかった会社、この前門前払いだったようで。ここだけの話、影で歔欷してました。」

「先輩。って君1年生?」「ありがとうございます。まだ10代に見えるんだ。私2年生ですよ。彼は法学部3年ですよ。お兄さんですか?」「え…ってか彼に兄いるの?」「はい。そう言ってましたよ、お顔が似ているからてっきりお兄さんかと」「で、そんな事より急ぎで申し訳無いけど、彼今どこにいるか分かる?」「今日は町に行くから参加できないと言ってましたね、だけど、後夜祭には来れると言ってましたよ。」「ありがとう」

藤原は一度車に戻ると頭を整理し始めた。

彼は長倉大学3年法学部 渡邊桜斗

何故、あの時2年と言ったのか。

彼には兄がいるのか。

それから、自分が学生だった時の大学祭を思い出し、懐かしんでいた。あの時は、少しでもいい会社に入ろうと桜斗君と同じく、大学祭休んで会社説明会に参加してたな。そのせいで彼女と喧嘩して別れたんだっけか。

そうした思い出に老けていると、あたりが徐々に暗くなり始め、後夜祭が始まった。

藤原は車から出て、桜斗を探しに行った。

法学部の店の前まで来ると、さっきもいた女の子が店をたたんでいる再中だった。

「あ、さっきの人」「桜斗さんは帰って来た?」「はい、いますよ。呼んできますね。」「すまない。ありがとう」

するとあの時のパーカーから若干見えた顔が伺えた。「あ、この前のトイレで会った。どういう風の吹きまわしですかね?」

「あの時は悪かった。すまない。自分から顔を見せるなとか言っておいて、今俺から君の顔を見にきてる。少し話したいんだが、場所を変えないか?」「分かりました。でも、やっぱり俺を採用したいって言っても拒否しますよ。」その後二人は大学の屋上のベンチに腰をかけた。「桜斗さん、何故あの時2年って嘘ついたんですか?」桜斗は少し黙り込んだがゆっくり口を開いた。「同学年の奴や、4年の奴みたいに、腐った同期であそこに来た訳じゃない。でも、俺がスーツを着て、法学部3年なんて言ったら、そんな人五万といた訳だし、いくら志望動機を話したって、相手にしてもらえないと思った。」「桜斗さんは、何グループの予定だった?」「Eの4グループだったけど。」「そこの担当者は佐々木士郎という人だった。お前の志望動機と俺に食ってかかってきた時の威勢だったら、絶対内定を貰えていた。」「そんな慰めいらなんだけど。わざわざそれを言う為にここまで?」「いや、違う。俺実は今日無断欠勤中なんだ。君のあの時の本気を見てね、自分が凄く情けなくなった。でも、凄く嬉しかったんだ。好きな事を本気でやり遂げたいって言う若者、久しぶりに見たから。俺は渡邊桜斗。君と一緒に仕事をしたいと思った。」

「嬉しい。そこまで俺に熱くなってくれる人、身近にいなかったから。あの時は本当にごめんなさい。なんでも人と違えば見てもらえる、相手にしてもらえると思っていました。」その後無言を貫く二人だったが、藤原が切り出した。「一緒に仕事しないか?」「そう言って頂くのはありがたいのですが、先ほども申し上げた通り、あの会社には…」「いや、桜斗違う。二人で一から造ろう。」「え。造るって」

「失敗するか成功するか分からない。でも、これからの若者には自分のやりたい事で生きて欲しいだろ?でも、お前も若いし、やりたい事があるなら無理はしなくていい。あの会社に入りたかったら、入ればいい。お前の本気を見せればあそこには、絶対に入れる。」「明日退職届けを出してこようと思ってる」

「今日は桜斗と話せて良かった。決断できたら、連絡してくれ」

藤原は桜斗に携帯の番号を教え、颯爽と車に乗り込み、大学を後にした。自宅に戻り、退職届けを書く。手に持つペンが震えている。

それもそうだ、藤原は明日から仕事が無くなるのだ。怖くはないと思っていたが、いざ自分が明日から無職となると蒙昧な恐怖で寂滅しそうだ。冷静に考えてみると生まれてからこのかた、修羅場というものをくぐり抜けた事がない。

自分という存在はこれまでにいかに小さく丸まって生きてきたかを実感した一日だった。

藤原は人生においてこの長すぎる1日を忘れる事は無いと思った。

目を開けると、辺りはだんだんと明るくなり始め、動物達が生きるべく行動をし始める。

すると満開の朝日が昇ってくる。これは、俺はどう受け止めるべきなのだろうか?

溢れる情熱で成功を邪魔する荊棘を乗り越えていけという天祐なのか。

それともこの決断で人として、お前の人権自体無を無くしてやるから今のうちに慚愧しとけという地獄からの招待状なのか。

午前9時、車に乗り込むと「今までありがとう」と言い、ポンと軽く助手席を叩いた。

今日で会社を辞める。

これは藤原と桜斗としか知らない。

辞める場合最低でも一ヶ月前には宣言するべきだが、後ここを出るのを一ヶ月延引したら、何か大事な物を奪われる気がして寒気が止まらなかった。

覚悟して出勤すると、昨日無断欠勤した事を皆に心配された。

自分の机の前を素通りして、いきなり部長に退職届けを突き出す。部長は何も言わなかった。

別に戸惑ってもいなかった。

「今までお世話になりました」と一言言い、

部署を後にした。すると後ろから早足で誰かに付けられていた。振り向くと、佐々木士郎だった。「退職するのか。」「ある若者に会ってね。その人見てると、いかに自分が無知なのかを知って、完全に惚れてしまったよ。」「そうか。俺は妻もいるし子供をいる。このまま妥協しながら家族を守っていくよ。だから、将来、俺の子にも自分の好きな事で生きていけるんだっていうのを、教えてやって欲しい。それとなんかお前今日生き生きしてるな」それだけ言うと佐々木は口を開く事は無なかったが、笑顔でビルの出口まで送ってくれた。

「これからは別々の世界だけど、藤原 京 を一番に応援してるのは、俺だからな」

最後に握手を交わすとビルの中へ戻っていった。エレベーターが開く。「行ってこい」そう小さく呟くと真剣な面持ちで姿を消していった。

ビルを出ると神聖な空気が辺りを包む。

足取りがどこか軽く感じられ、呼吸する度に、口から吸い込む酸素にはフレーバーウォーターの様に味が付いている様に感じた。

気がつくとポケットから呼び出しを食らっている。

スマホを取り出すと、そこには渡邊 桜斗からの一通のメールだった。

「藤原さん。今から会えませんか?会えるのであれば、1時間後、〇〇湾までお越しください。」

そのメールを見るなり、藤原は駐車場へ一目散に走っていった。

車を降りると向かって吹き付ける海風が顔に塩を塗りつけ、毛穴を引き締める。緊張した面持ちで海に目をやると仁王立ちのまま遥か遠くを見つめる一人の男の姿があった。

「藤原さん、俺 さっき大学辞めてきました。気付いたんです。大学卒業して、就職する場所が決まって、10年間閑日月を送ると、今の藤原さんと同じくらいの歳になる。

その時、貴方が今抱えてる壁に絶対にぶち当たる。毫も知らなかったでは、済まされないと思います。ましてや、結婚したり、子供がいたら尚更。」「桜斗は本当にいいのか、あの会社に入りたかったんじゃないのか?」「入りたかったですよ、でも、藤原さんと出会って俺は変わった。もう自分の願望のために、奇矯な事をしたり、無聊な大人に噛み付く事もしない。今は貴方とあのトイレで出会ってよかったと思ってます。

これからは、自分の為より今から社会へ出る同年代や妥協人生を仕様がなく歩んでる人々を翼賛したい。他人の為に自分の人生を使いたい。そうやって自分の価値観を図っていきたい。」

そこまで言い終えると桜斗はニコッと満面の笑みを見せた。その時、雲の切れ間から太陽が顔を出す。忙しく寄せる水の一波が光波となり、二人の体を煌めかせた。

「行こうか。」藤原は桜斗の肩に手を置き、微笑んだ。「はい」。二人は生き生きとした足取りで車に乗り込むと、海を後にした。

「っても何から始めようか。」「俺さっきまで大学生だったんで、金なんか無いっすよ。」「大丈夫。貯金ならあるから。」

家に帰り、疲労のあまり、直ぐにベットに向かってしまった。しかし、こんなに心地が良い疲労を感じた事はなかった。「俺は今生きてるんだ」そう感じた刹那意識を失ってしまう。そして、藤原は朝まで起きる事がなかった。その日の夜に限り、庭に咲いている月火美人の花は2本になっており、上空に居座る光源よりもっと綺麗に咲いていたようだ。

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