第十三話 十万年の妄執
8-13 十万年の妄執
「スズ姉、様……?」
ブランの呟く声が思ったよりも遠くに聞こえます。
しかしスズは、いえ、スズの姿をした何者かは、その能面のような表情のまま反応を示しません。
「あ、なた……なにも――」
くっ……!?
誰何の途中で、鳩尾から脇腹までに鋭い痛みが走りました。
傷口から、熱がどんどん流れ出して行くのを感じます。
支えを失い、膝に衝撃を受け、そしてすぐに、床以外見えなくなります。
どうにか首を動かして点々と続く血の跡を追うと、ソイツは何か黒くて丸い何かを握った手を王様に向けていました。
池を作る血が、支えとしている左腕を濡らします。
ソイツが何やら呪文を唱えると、黒い何かが光を発し、王様を中心に幾何学模様が展開されました。
そして王様が、黒い何かへと吸い込まれて行っているように見えます。
それらの動き全てがゆっくりに見えるのは、私が死に逝こうとしているからでしょうか。
これだけの傷です。『吸血族』のしぶとい体でなかったなら、とっくに死んでいます。
もう体の感覚は殆ど麻痺してしまって、回復の為の魔法を行使する事はまず不可能。〈超速再生〉のスキルも、何故か働きません。心臓だけでも、と足掻いてみましたが、駄目でした。
そういえば、あの剣には[再生阻害]の能力がありましたね……。
三柱と王様は何やら抵抗しているようですが、少し吸い込まれる速度を緩める程度のことしかできていません。
意識が、薄れてきました。どうにかしてブランだけでも逃がさないと……。
察知系スキルを使い、ブランの気配を探れば、事態が飲み込めずに呆然としているよう。幸い、弱った感じはしません。
よかった……。
王様は、もう既にその身の半分ほどを黒い球体へと封じられています。急がないと……。
「ブラ、ン……ブラン……っ!」
駄目です、聞こえていません……。
『銀の鍵』を使ってここから無理矢理跳ばすには、少し、遠すぎます。
「あぁっ!」
イブさんの叫ぶ声……まさか、もう?
視線を再び前へ戻すと、既に王様の姿はなく、黒い何かがスズの体へと吸い込まれて行くところでした。
もう距離が遠いなどとは言っていられません。不可能だろうと何だろうと、ブランを……。
「……姉様。スズ姉様が、切った……?」
意識が戻った? 今なら声が届くかもしれません!
「ブ、ラ……ンッ!」
お願い、気づいて……!
「スズ姉様、が……? 違う。スズ姉様は、そんな事、しない……」
「ブラ、ン……!」
お願い……!
「じゃあ、アレは……敵? 姉様を、傷つけた……敵っ! アアァァァァァアッ!!」
「だ、めっ…………!!」
あぁ、駄目、駄目です……。逃げて、お願い……逃げて!
私の叫びは、しかし叫声と共にソイツへ飛びかかって行ったブランには、届きません。
無理矢理力を引き出しているのでしょう。ブランにとって、過去最速、最高の一撃だった筈です。
でも、駄目です。
ソイツには、通じません。
黒い何かと完全に融合したソイツがブランを一瞥した直後、視界を光が覆いました。
ブランは……良かった。生きてます。
でも危ない。早く、治してあげないと。だから、動いてよ。私の体……。ねぇ、動いて!
私は、ブランのところに行かなきゃ行けないんです!
「礼を言おう」
……スズの声。
「貴様の妹のお陰で、我らの望みは果たされた」
何を言っているのですか、こいつは。
私はブランのところへ行かなければならないんです。そんな話を聞いている暇なんて、ありません。
「この為に、我らの時間感覚で言えば、十万の時をかけて、準備してきた……。だが、貴様の妹の体が無ければ、全てが無駄になるところであったのだ…………」
そんな事、聞いていません。ブランを治したら、スズの体を返してもらいます。つまりお前は私の敵なんです。敵に、礼を言われる筋合いなどありません……!
「そう睨むな。この体は、我が大切に使ってやる。人の身でありながら、神たる我を降ろすに足る器だ。誇りに思うが良い」
本当に、何を言っているのですか……!
スズの体を、永久に使う? お前が?
そんな事、私が許す筈ないでしょう!
っ! 転移……。逃げられた…………。
ぐっ……駄目…………まだ、ブランを、治して、ないの、に………………。
◆◇◆
瞼の隙間から光が入り込み、私の意識を急速に浮上させます。
まず認識したのは、お茶会の時から何故かメイドの格好をしていたイブさんの綺麗な顔。
少し視線を巡らせば、タイトゥース様の銀色のローブや宰相様の黒いローブが意識を引きつけます。
……私は、どうやら死に損ねたらしいですね。
「…………ブランは、無事かしら?」
「生きてはいます」
生きては……?
「ブランはどこ?」
上半身を起こしながらイブさんに聞くと、彼女は視線を一方へ向けました。上位二柱のいる方向です。
立ち上がり、急いで向かいます。
二柱の間をすり抜けると、そこにあったのは、まるで棺桶のような、黒い直方体です。
「生きては、いるのよね……?」
「ええ」
左後ろから返事が聞こえます。
「とは言え、風前の灯火のような状態です。今は時間の概念のない空間に隔離していますが、そうで無ければ彼女は遠に死んでいるでしょう」
「…………治療させて」
黒い棺に手をかけ、力を込めます。
「無駄です」
「治療させて」
「……その娘を侵しているのは、神呪の類です。貴女程度には、何もできませんよ」
今度は右後ろから声が聞こえます。
言葉程には蔑みを感じない声音です。
「じゃあ、あなた達が治してよ」
「無理ですね」
「なんでよっ! 対価なら、何でも持っていけばいいでしょう!」
右肩越しに振り返り、怒鳴ります。
「あのゴミがかけたのは、自らの命に紐付けた呪いです。それを解きたければ、殺すしかありません」
「……スズごと?」
「ええ」
……それはつまり、私に選べという事ですか? スズかブランかを?
「選ぶ……違いますね。どの道アナタの妹は殺さねばなりません」
この嫌味野郎は、今、なんと?
「本当に人とは思えない殺気ですね。しかし、これはやって貰わねばなりません」
やって? 私が、スズを殺すという事ですか? そんな事する筈が無いでしょう? 馬鹿なんですか?
「あのゴミは、我らが父の封印に、その相応でしかない命を鍵とする術式を組んでいました。その上父の前の肉体を依代にした封印です。無理矢理破壊する事は叶いません」
「だからってなんで私が、スズを手にかけないといけないの! 帝国の闘技場じゃないのよ!? アナタ達が勝手にやればいいじゃない!」
もちろん、その時は、相応の報いを受けてもらいますが。神だろうと、絶対的な力の差があろうと、許しはしません。
「はぁ……。今、あのゴミはアナタの妹の体を使っています。つまり、アーカウラの生命体の体です」
仕方ないとばかりに説明を始める嫌味宰相です。とは言え、そこまで言われたら、冷静さを欠いた今の私でもわかってしまいます。
「どうやら理解したようですね。安心なさい。契約を司る者として、十分な対価を約束します」
「…………スズの蘇生よ。それ以外望まないわ」
制約によって手が出せない神々に代わり、彼らの王を助けるのです。対価としては十分なはず。
「いいでしょう」
ほら。
スズを殺すなどと簡単に言った事は許しませんが、その怒りは、今は、ブランを傷つけ、スズの体を奪ったあのゴミカス女に向ける事とします。
ええ。あの女だけは絶対、許しません。
読了感謝です。





