9話 わんこ一家
【視点:わんこ?(夫)】
……もう10日も前になるのか。俺達一家を、不運が襲った。言葉にすれば簡単な話だ。洞穴で暴風雨を凌いでいたら、突然と崩れたのだ。
崩れてきた岩から2頭の子供を庇い、俺と妻は重い傷を負った。狩りどころか、ただの移動にすら支障が出る度合いだ。傷の影響と体力・魔力の低下で、獲物も狩ることができない。それどころか体力や魔力の無いことをいいことに、普段獲物にしている奴等が襲ってくる程だ。
苛立ちが募るが、我慢しなければならない。いつか必ず、食料になる獲物がやってくる。いつだって、生き延びてさえいれば、何とか成るものだ。冬の到来も近く状況は厳しいが、俺達フェンリル王は、この程度の逆境には屈さない。
そう覚悟はしたものの、現実は非情だ。小物は狩れたが、息子達の腹の足しにもならない。
それでも、全く無いよりは上等だった。この生活を続ければ子供達の傷は治るし、そうなれば狩りの範囲も広がることになる。
そう考えながら、不運から10日程が経過した時。それが今だ。俺達の目の前に、仕留めやすい獲物が警戒もせずにやってきた。
この森では見たことはないが、何度も見たことのある種類、人間だ。時たま例外はあるが、そういう奴は群れている。警戒の加減を見るに、こいつは弱い奴だ。背も高くなく、おまけにヒョロい。ダガーと見たこともない小さな武器と思われる物体、そして黒色を基本とした着衣が目に付くが、所詮は見掛け倒しだ。
肉の量としては少ないが、獲物としては十分だ。すぐに頭を噛み砕いて――――
―――ちょっと待て。何だ、この感覚は。
50mほど前に立つ男は、間違いなくそこに「見える」。何度瞬きしても同じだ、変わりは無い。しかし、そこに「居るか」と言われたら、首を横に振るだろう。見えてはいるが、居るという気配が、全く持って感じ取れない。
一体どうなっている。過去に相手をした最上位と思われる邪人国の暗殺者……あの時は逃してしまったが、奴ですらこれ程では無かったぞ。妻もソレを感じ取ったのか前に出ることはなく、今現在も下がったままだ。攻めると言う姿勢を捨て、息子達を守る姿勢に入っている。
得体の知れない恐怖が俺を襲い、血の気が引いていく。足の筋肉が硬直し、動けない。
男の行動が、まったくもって読むことができない。今の姿勢が構えなのか、力を抜いているのかすら不明だ。一定の姿勢で直立不動であり、ピクリとも動いていない。その状況が数十秒続き、俺の毛穴に汗が滲むのが把握できた。
それでも、奴には一瞬の隙があった。仲間が近くに居るのだろうが、「マスター」と呼ばれた男が、顔を背けたのだ。敗れ去る結末を変えるならば、ここしかない。やられる前にやるしか、俺の家族が助かる道は無い。
そう思って、足に力を入れた時だった。
「―――嘘だろ……。」
自分の体から血の気が消え、思わずそう呟いてしまう。その理由は、男の隣に現れた女だった。人間の姿をして気配を弱めているが、あれは紛れも無くドラゴンの類。それも古代龍程度ではなく、明らかに神龍の気配がある。理由は不明だが、目にするまで全く気配に気づかなかった。
……そうだ、思い出した。マスターとは、男の名前ではない。主人など、仕えるべき者に対して、掛けられる言葉だ。つまりこの男は、あの神龍を従えているということになる。それも、完全なテイム下の状態で。
……俺も数百年生きてきたが、前代未聞の話だ。
まさか、有り得ない。あの神龍クラスを、だと?冗談じゃない。俺達フェンリル王が相手できるのは、古代龍まで。奴等とは渡り合えるし、よほどの事がない限りは負けはしない。
しかし、滅多に居ない神龍となると話は別だ。俺達フェンリル王4-5頭が束になってかかり、やっと相打ちに成るぐらいと聞いたことがある。しかも目の前の女は、下手をすると古代神龍クラスのオーラがある。もしそうだった場合、どれだけ群れようが、こちらの勝利は絶望だ。
この地、深淵の森に、何をしに来たのかはわからない。しかし絶対に、歯向かう事は許されない。絶好の食事が見つかったと思った途端、俺達は絶望に叩き落された。妻の足も震えている。こうなった以上、玉砕覚悟で挑むしか―――
「ん?喋れたのか。随分と賢い犬なんだな。」
―――黒服の御仁、ちょっと待ってくれ。
一度殺してしまおうと考えた罪だ。浴びせられた批判や侮辱・暴の言葉は、いくらでも受け取ろう。
しかし、犬扱いだけは止めてくれ!俺達は犬ではない、フェンリルの最上位種、『フェンリル王』だ!
「……マスター。仰っている内容が、少し異なっております。」
「あれっ、何か違った?」
流石だ、神龍さんも俺達がフェンリル王だと気づいたか。いいぞ、もっと言ってくれ!
「賢いからと言えど、喋ることができるとは限りません。」
「むっ、なるほど。わかった、気をつけるよ。」
ちょっ、キリっとしたお顔からの発言がそれですか!?
違う!違うんだ!合っているんだけれど、論点はソコじゃない!
「しかし派手に傷付いてるなー、見た目も酷い。ハクって、ヒールとかで治せたりする?」
「可能ですが、宜しいのですか?先程、マスターを餌にしようと考えていたようですが。」
あっ、これダメなやつだ。マスターと呼ばれた男の目が、据わった。相変わらず感情すら読み取れないが、絶対的にマズイ。何をされるか、わかったもんじゃない。
「まぁ……良い気分はしないけど、何か変なことか?野生として当然の感情だと思うけど。自分が逆の立場なら、同じことを思うぞ。それに今は大人しいし、逆に脅えちゃってるじゃん。」
……おっ?意外と話がわかりそうな人間だ、助かったかな。
「……なるほど、ご尤もです。しかし、なぜ傷の手当を?」
「いやーほら、アレ洗えば絶対毛並み綺麗じゃん?真っ白じゃん?仲間にして、基地での癒やし要因として飼えないかなーって……。」
ええっ……。
「……フェンリルの最上位種、地上生物で最強の一角であるフェンリル王を手駒にしようとお考えになるなど、流石はマスターです。」
「えっ?犬の魔物じゃなくて……フェンリル……王、なの?」
やっちまったー とでも言いたそうな表情をして、こちらを見てくる。演技ではないな、これは。
……どうやら本気で勘違いしていたようで、物凄く答えづらい。が、本当のことなので答えておく。目の前に居る二名に、嘘はつけない。その結果がどうなるか、わかったものではない。
「……う、うむ。我々は、フェンリル王だ。」
「ま、まぁとりあえず、治療してあげてよ。子供も傷だらけで、見てて可愛そうだし。」
「承知しました。」
ハクと呼ばれた神龍がこちらに近づき、ボソッと詠唱のような動作をする。すると魔力の渦が発生し、俺達の家族を包んだ。凄まじい魔力量だ、瞬く間に傷が治っていく。それどころか、磨り減った魔力すら満タンだ。
これで確信した。ハクと呼ばれるこの女性は、古代神龍だ。その中でも、相当な力を持っている。それを従えている男の事情は知らないが、同様に途轍もない御仁であることは違いない。
「うーん。さっきは自信満々だったけど、こんなもんで良いのかなぁ……。」
その御仁は、呟きながら、1つの黄金の波紋を展開させていた。あの波紋は一体なんだろうか?見たことも無い魔法だ。最初は興味本位で見ていたが、結果としては、此方の顔が引きつることになる。
―――あれは、異次元収納ボックスと呼ばれるスキルではないだろうか。
勇者クラスの実力者が使用できるという、無制限に匹敵するような空間を持つ収納箱だ。最上位のものは、時間停止の機能もある。一応、小規模の物ならば使用できる者も居る。しかし、黄金の波紋から出てきたものは、俺の体程ある巨大な肉だ。見た目からして、恐らく調理済みである。
あれ程のものを出し入れ可能となると、間違いない。この男は、勇者クラスの力を持っている。ジュルッ。尚更のこと、刃向かうには決死の覚悟が必要だ。ジュルリッ。そして迎える結末は、ジュルッこちらの敗北だろう。
「……黒服の御仁。その肉は、食しても良いのでしょうか。」
……ジュルジュルッ。ああ、ついに妻が敗北した。圧倒的に食欲を刺激する臭いを放つ巨大な肉に、涎が止まらない。
それは俺も、息子達も同じである。どのような調理を行ったのか不明だが、人里近くでも嗅いだ事のない臭いだ。肉が出されてから「お預け」をくらっているが、本能への刺激量は尋常ではない。正直、承諾なしで被り付きたい。
「うん、いいよ。秘蔵だったけど、そのために出したんだし。あ、自分等の分は少し貰うね。」
ダガーのような刃物で一部を切り取り、残りはどうぞと言わんばかりの仕草を見せる。本当に食せるのか、これを。
非常にありがたい。ヒールで傷は塞がったが、体力までは回復しない。体力を回復させるためには、肉が必要だ。香辛料とソースが効いているのだろうか香りがあり、肉の臭みは無い。毒見もかねて、一口かぶりつく。
……これが肉か?と、正直思った。
表面は焼きが入れてあり、少しながら歯ごたえがある。しかし中は赤みが残っており、物凄く柔らかい。加えるなら、赤い部分は生の肉ではない。明らかに一度、熱が通った食感だ。何か香辛料が使われているのか、薬草の味も若干だが感じられる。
肉の質も非常に高い。何の肉なのか見当も付かないが、これは口が止まらない。気がつけば家族も一心不乱に食べているが、それでいい。この肉の旨さは、わかる。非常に栄養価の高い代物だ。
「おー、がっついてるねぇ。フェンリル王の好みは知らないけど、口に合ったようで何よりだ。」
マスターと呼ばれる男は、満足そうにこちらを見てくる。しかし当然だ。こんな肉、いくらでも腹に入る。むしろ、今後の食事が生肉程度で満足できるか不安になるぐらいだ。特に息子達だ、この味を知って大丈夫だろうか。
「古代神龍の前で言うのもなんだけど、古代龍の肉は美味だねぇ。」
「ご心配なさらず、私達ドラゴンと飼われているドラゴンは別物とお考え下さい。ですがマスター、調理方法の影響が大きいと思います。どのような鍛錬を積めば、このようなものを作れるのでしょうか?」
「どのようなって言われてもなぁ。千里の道も一歩から……長い道のりも一歩目があり地道に歩数を重ねていくって意味なんだけど、この言葉でどうだろう?」
「なるほど、仰る通りです。とても良い言葉だと思います。」
なん……だと……?
今、古代龍の肉と言ったか?一体どうやって、そんなものを手に入れた?美味いわけだ。そんな肉ならば、そのまま生で食おうが至高の肉だ。俺も過去に一度だけだが、食べたことがある。
しかしこの料理は、至高の肉の旨みを高めている。俺としては、明らかに此方の方が旨いと感じる。
……そう思ったのは、肉の塊が、残り一口になった時だったが。
……満腹だが、心惜しい。これ程までに肉の次元を高めることができる生き物と、別れなければならないのか。
いや、待て。確か俺達を……流石に癒し要因扱いは辞めて貰いたいが、我々を配下にしようと来たのではないか?
そうだ、テイムされたのならば仕方ない。古代神龍だって配下にいるんだ、何等恥じることは無い。妻を見ると、明らかに同じ意見だ。息子達は満腹で眠いのか、瞼が重そうで欠伸をかみ殺している。頷いたな?よし、同意と見なす。
「その……御仁。配下の件なのだが、従おうと思う。」
「え?言い出しておいてなんだけど、本当?」
「うむ。しかし何分初めてでな、勝手が分からない。できれば説明願いたい。」
「うーん……こっち側からだと気がつかないこともあるだろうし、ハク、お願いできる?」
「承知しました。」
彼が言うことは正しい。いくら注意を払っていても、実際に下の立場から見ないと、分からないこともあるだろう。
口を開いたのは、古代神龍……ハクさんだ。いつからかは知らないが、その環境にいるため、規律の多くを把握しているはずだ。
「説明と言っても多くはありません。立ち位置ですが、配下とは名ばかりで仲間として扱われます。戦闘においては、他の仲間のことを最優先に行動しなければなりません。あとは、マスターへの忠誠は絶対であることと、敬語が必須である点です。勿論、勝手な行動は厳禁など、基本的なことは除きます。」
なるほど、基本行動に関しては是非も無い。特異点としては戦闘時の行動理念と敬語ぐらいか、それも問題ない。要求としては単純だな、異存なしだ。
「住処などは、どうなるのだ?」
「衣食住……衣は不要でしょうが、深淵の森南部にて、その全てが保障されます。勿論、働く者に限った話です。安全に関しては、マスターの家臣が維持しております。」
むむっ……説明が本当ならば、安住の地ではないか。しかし家臣が居るとは、この御仁は貴族か何かなのだろうか。
「いや、肩書きが軍隊の一番上ってだけだよ。地位なんて無いし、興味も無いかな。」
「軍隊?この辺りに人間の軍隊が居るとは聞いたことが無いが、どのような軍隊なのだ?」
「うーん、どのようなって……そっちからしたら、見たことも無い出で立ちの軍隊だね。シルビア国を解放した軍隊って言えば、分かるかな?」
―――知っているぞ。我々魔物の中でも、有名な話ではないか。俺達やドラゴンの連中ですら歯が立たなかったあの勇者の命を容易く奪い、古代龍の飛行隊や地を這う魔導兵器を蹂躙した軍隊ではないか!
そうか思いだした、この御仁はフーガ国のエンシェントドラゴンが接触したという『黒服の人間』か。ということは、このハクと呼ばれている古代神龍……まさか、フーガ国の元王女ではないか!?歴史上最強と言われた戦闘能力を持ちながら勇者により力を封印され、その影響で国を追い出されたと聞いていたが……確信できる。容姿を見ても、間違いない。
この御仁は先程、何と言った?軍隊の一番上ということは、彼の言葉1つで、今話題となっている軍隊が動くということか……。
それに加えて、力を取り戻したハク元王女。この陣営を相手にしては、例え世界が相手だろうと勝てぬだろう。
再び、自身の体全体が震えているのが分かる。俺達は今、途轍もない二人を前にしている。この御仁の傘下に加わるならば、何等恥じることはない。二人の功績を考えれば、むしろ名誉な程だ。
再び妻を見る。頷き返された、決定だ。
「―――承知しました。我等一同、主の下で忠誠を誓います。」
「ありがとう、嬉しいよ。あ、今更だけど自分はホークって言うんだけど、そっちの名前は?」
「いえ、我等に名はありません。」
「じゃぁ、名前付けちゃって良いのかな?」
―――む。そうか、そうなるのか。ちょっと、不安と期待が入り混じるな。こればかりは、主が持っている力量の問題だ。
「そうだなぁ……君がヴォルグ、奥さんがハクレン。ちょっと銀色っぽい息子さんがハティ、もう片方はスコルで、どうだろう。」
お、響きは良いぞ。しかし意味がまるで理解できん、何か意図があるのだろうか。
「どれも自分しか知らない言葉なんだけど……ヴォルグってのは、とある国で狼を指し示す言葉で、正直に言うと発音重視。ハクレンってのは、本当に真っ白で大きな花のことだね。ハティ、スコルは御伽話に出てくる狼の兄弟なんだ。それぞれ、月と太陽を追いかけているって言われてる。」
おお、意味も通ってるじゃないか。妻の反応も悪くない、息子達は半分夢の中だが問題ないだろう。
こうして俺達家族は、ホーク様の配下となった。これから先、どのような景色を見ることができるのか非常に楽しみ―――
いかん、満腹のせいか俺も眠気が……
実際にローストビーフを作ったことがあるのですが、オーブンを使うと結構簡単にできるのだと感心しました。
食べる直前にカットすると、一層おいしくなると思います!




