それぞれの景色
時系列的には18話ぐらいの話になります。
【視点:シルビア王国の住民】
「よぉ、今年もだな。」
気さくに声をかけてくるのは、俺の幼馴染の石棺工だ。無駄に大きな声は、石造りの部屋によく響く。少しは声のトーンを落とせないものかと苦笑してしまうが、これも7年目の付き合いだ。
俺が今いるのは、東門から100mほど入ったところにある『防空壕』と呼ばれる地下施設だ。自称勇者様が言うには「空襲があった際に市民を安全に避難させるための施設」らしいが、本音としては、ただの隔離先だ。
奴のおかげで、貧富の差が拡大している。俺達のような貧民一歩手前の住民が増えており、そのような連中はどうしても衛生面が疎かになる。何かしらの催しの際は、そういう奴らをこの施設に隔離しているのだ。
それは今年も例外ではなく、王宮屋上で開催されるワケのわからん食事会のため、こうして俺たちは集められているわけだ。普段は忙しくてろくに話せない奴らも、この日ばかりはできることもないため雑談に花が咲く。大多数は自称勇者の悪口だがな。
しかし今回の催しは、やけに翼竜が暴れまわっているな。先ほどから地響きがすごく、衝撃音が響いている。
「えっ?この音……」
「お、おい、この音……まさか、7区の聖堂の鐘じゃないか?」
幼馴染とも、その話題を話していた時だった。ありえない音が、俺たちの耳には確かに聞こえた。
これは自称勇者によって封鎖された、この国が昔から誇る聖堂に備え付けられている聖堂の鐘の音だ。俺達も、音を聞くのは7年ぶりだが、忘れるわけがない。ガキの頃から、この音を聞いて育ったのだ。
この音で目が覚め、この音で食事をし、この音と共に眠りについてきた。家庭を持った頃から少しずつ環境は変化してきたが、それでも俺達にとっては大切な音色となる。
「ああ、間違いない。まだ鳴っている、聖堂の鐘だ。」
「……おい、ちょっと出てみないか?」
「やめとけ、見つかったら蹴り飛ばされるぞ。」
「だって、この音は聖堂の鐘じゃないか。いつもと違うぞ。出てみるぞ、殺されはしないさ。」
制止した俺だが結局は好奇心に負けてしまった上に幼馴染に説得され、独り身の男連中が防空壕の出口へと歩みを進めた。一部の気の強い女も、数名が混じっている。流石に若い女や老人と子供は危険なので、集団には加えることはできなかった。行くと聞かない気の強いガキンチョもいたが、すまんな。
しかし確かに、いつもとは違う。防空壕の出口は固く閉ざされていて空気の流れすらないのに、かなり大きな騒音が響いている。こんな音は、今まで聞いたことがない。防空壕の出口が狭いため、響いているのが原因だろうか。それでも聖堂の鐘の音はシッカリと聞き取れるのだから、人の耳とは不思議なものだ。
誰一人声を発しないまま、幼馴染が防空壕の扉に手をかける。恐る恐る、少しずつ開いていった。
少し開いた瞬間、油臭い。しかし嗅いだことのない油の匂いだ、何だこれは。
隙間から東門を見れば、完全に崩れている。呆気にとられ、幼馴染は防空壕の扉を全開にした。その瞬間、中から人が溢れ出て防空壕の前になだれ込む。
扉を開けたと同時に、耳をつんざく轟音が容赦なく殴りにかかってくる。深夜までたらふくエールを飲んで寝ていても、この音を聞けば蹴り飛ばされたように目覚めることができるだろう。
「見張りが消えた上に聖堂の鐘が鳴っているから出てきたが、なんだこりゃ……どうなってんだ……?」
「焦げ臭いな、戦争じゃないのか!?」
「おい、あの崩れた門を見ろ、騎士の野郎共の死体もそこかしこにあるぞ!尋常じゃない被害だ、勇者の反乱軍が負けてるってのか!?」
いつものように閉じ込められた時には考えもつかなかった現状に、飛び出してきた全員の言葉が無くなってしまう。それは俺も同じで、眼前の光景に唖然としていた。
「ヒギャアアアアス!」
っ。この声、翼竜か。近いぞ!
「うおああっ!?」
「な、何だ!?どうした!?」
な、何が起こった。唖然としているさなかに翼竜の叫び声がしたと思ったら、空気の衝撃と共に砂埃が視界を塞ぎやがった。何かが地面を擦ったような音もしていたが、一体何が……
「う、嘘だろ!?」
……俺は、夢でも見ているのだろうか。砂埃が収まり視線を戻すと、そこには血まみれの翼竜が横たわり絶命していた。
いや、正確に言えば息があり手足が若干動いている。しかしこの出血量では、あと数時間ともたないだろう。よほどの衝撃で地面にぶつかったのか前足はおかしな方向に折れ曲がっており、血に塗れた砂が俺達の足元に飛び散っている。
「右の空、何か来たぞ!」
3秒ほどで、その程度の状況が理解できた直後。一緒に出てきた誰かが、そう叫んだ瞬間だった。
瞬時にその方向を見ると、何かが通過した直後に轟音と突風が吹きぬけた。思わず腰を付いてしまった程に凄まじい風で血に濡れた砂は吹き飛ばされ、未だに耳をつんざく轟音が頭の中を殴っている。
立ち上がって確認すると、翼竜から流れ出る血の量が増えていた。そして今度こそ、翼竜は絶命していた。微かに動いていた手足も、今では全く動いていない。
「い、今の見たか!?何かが翼竜の鱗を貫通してやがった!すげぇ威力だぞ!」
「翼竜がやられたってのか!?後ろから来たのは一体何だ、火を噴きながら空に昇って行ったぞ!」
後ろにいたため突風の影響が少なく、全てを見ていたのだろう。誰かが叫んだその言葉で、全員の視線が空に移る。そこには、前代未聞の光景が広がっていた。
「見ろ、他にもいるぞ!あの鳥だ!あの鳥たちが助けに来てくれたんだ!」
「なんという飛行速度だ、翼竜相手に一歩も引いてないどころか次々と倒してるじゃねぇか!凄ぇ、とんでもねぇことだ!!」
「あ、ありえないわ!前代未聞よ、これは神代の大魔法なの!?」
空を見上げると、翼竜とは別に大きな鳥が縦横無尽に駆け抜けている。そして信じられないことに、次々と地面に叩き落していた。その鳥から放たれている凄まじい速さの投擲物を回避できず、翼竜は次々と数を減らしている。
……その鳥が魅せる動きに、まるで魅了されてしまった。まるで、大空でダンスを踊っているようだ。
俺達は飛び跳ねてもすぐさま地面に戻されるというのに、あの大きな鳥は瞬く間に天空へと駆け上がっていく。それこそ、翼竜やドラゴンすら比較にならない飛行速度で、だ。集団とはかなり距離があり下から見ているのだが目で追うことすら精一杯で、轟音と相まって、とても凝視できたものではない。
大空を自由に飛び、勇者軍が誇るの制圧の象徴すら跳ね除けている。俺達にとっては、まるで自由の象徴だ。この7年間、求めていたのはこれだったんだ。思っていることは皆同じなのか、自然とあの鳥を応援する声が広がっていく。
―――いっそのこと、夢でもいい。だけどもう少しだけ、1秒でも長く。皆が7年間待ち望んだ、この光景を見させてくれ。
そんなことを考えているうちに瞬く間に空は制圧されたのか、鳥達の動きも単調になっていった。時折悪魔の声のようなヴォオオオという音が聞こえるが、鳥達が被害を受けていないかが心配だ。
そう思った時、複数の鉄の箱が大通り側から現れる。そこから出てきたのは、人のシルエットをした何かだった。
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【視点:ハク】
「……えっ?も、もう大半の制圧が終わったのですか!?」
炊飯車両と呼ばれる鉄の箱が展開した簡易宿所で、私はニンジンと呼ばれる赤い野菜を切っている。料理の経験などないが、幸いにも刃物の扱いは慣れている。炊飯部隊の部隊長に即戦力のカッ……ええと……か、カッティング……つまりは断裁能力だと評判を頂きました、嬉しい限りです。
その作業もニンジンからイモに移り、断裁作業も終盤になった頃、耳を疑うような報告が齎された。それも当然。何故ならば、マスターによる作戦開始の合図があったのは、たったの1時間程前の話だ。
―――正直、理解ができない。自負する言い方になってしまうが、私達ドラゴンですら撤退を余儀なくされたのが、シルビア王国を支配していた勇者軍だ。圧倒的と言っても過言ではない力を備えた勇者率いる、それこそ超精鋭の軍隊だ。史上最大といわれる2つの帝国が相手をしても、勝てる見込みは極僅かだろう。
それほどの軍団を相手に、たったこれだけの時間。言葉を借りるならば、僅か1時間で……?
正直なところ、誤報の類ではないかと疑ってしまった。
しかし、驚くべきは隊員の反応なのかもしれない。「首都防衛だったから1時間持ちこたえたか」「意外と粘ったなー」など、更に耳を疑うような発言が次々と聞こえてくる。どうやら相手側が首都防衛であったことと南門の進軍が遅れたためにこのような結果になったらしいのだが、それでも私からすれば理解不能な度合いの速攻だ。
「こ、こちらが進軍でなければ、更に早いのでしょうか……?」
そんな会話を聞いて滲み出るのは、恐怖と興味だ。恐る恐るではあるけれど、炊飯部隊長に問いを投げる。
「そうですねー。都市への進軍となると民間人に対して非常に気を使いますので、こちらの攻撃もかなり繊細になりますね。なので、そのあたりを気にせずに吹き飛ばせるような状況だと、更に早くなりますよ。」
……そ、そうですか。
やんわりと、格の差を見せ付けられたようですね……。正直なところ、どのような戦いになるのかが想像が付かない。
そして追い討ちをかけるように、勇者にかけられていた呪いが消滅したのを実感できた。多少の違和感は残るが、体の感覚は薄っすらと記憶にある5年前と変わりない。
しまった、悠長にしている場合ではない。呪いが解けた以上、マスターをお守りしなければならない。早急に場所を聞いて、向かわなければ。
「任務中に申し訳ありません。マスター……ホーク総帥のところへ向かわなければならないのですが、何処にいらっしゃるのでしょうか。」
「おや、そうですか。総帥は今、7区の聖堂にいらっしゃると聞いています。これが地図です、使ってください。」
そう言って渡されたのは、非常に鮮明なシルビア王国の見取り図だ。
非常に鮮明と言うのは、言葉が間違っているかもしれない。まるで上空から肉眼で見ているかのような精度さであり、非常に鮮やかな色彩で細部までが表現されていた。この手の図面が作れるならば、作戦行動を行う上で非常に有利となるだろう。潜伏警戒地点や逆にこちらが潜伏する地点などの重要地点に関して、現地を見なくても計画を立てることができる。
さも当然のように扱っていたが、これだけでも十分に驚きだ。この図面を見ているうちに、5年前の進軍で失敗した内容を思い出してしまうかもしれない。
……あの時の事になると負の思考に陥ってしまうのは、私の明らかな短所。けれども今は、マスターにお会いすることが優先だ。
ともかく、進まなければ始まらない。軽く深呼吸をして、聖堂へ向け足を進めた。




