4話 託す
「急がねば――――。」
時間は遊撃隊の出撃する1時間ほど前に巻き戻り、フーガ国、王城内部。老体に鞭を打ち、エンシェントはケストレルの元へと向かっていた。
貼られようとしている結界は、ドラゴンの身体に変化する能力を封じるものと、魔力そのものを大きく減衰させる大魔術。魔術に優れる彼は、その内容を始動前に感じ取っていたのである。
現状では僅かに探知できる程度のものであり、気のせいと言われればそう思うかもしれない程。しかしこの結界の類が完成すれば、北邪人国による一方的な蹂躙になることは予測できる。
厄介なのは、ソレが前例のない魔法と言うことだ。第三者に説明している時間もなければ、言ったところで相手にされないような内容であるために質が悪い。
現にエンシェントも、魔法に疎くクーデターの予測を知らない立場で同じことを言われれば「あほらしい」と吐き捨てるだろう。恐らくは、100%に近い竜の亜人が同じことを口にする。
しかし、クーデターの予測を言っているのが他ならぬホークという人間。全てを見通しているのではないかと疑う程の推察を見せる彼であるからこそ、一刻も早くケストレルの元へたどり着こうと、エンシェントはこうして慌てているわけである。
娘よりも国を選んだ、だとかのプライドがどうのこうのと、喚いている暇はない。彼が今最も大事にしているのは、兎にも角にもケストレル国王を生かすこと。万が一の最終手段として、1つの手は準備済みだ。
結果として国が制圧されてしまっても、生きていれば機会がある。雨に濡れた泥だらけの土に額を擦りつけてでも、最早、”彼等”に頼る他に道は無い。それほどまでに、状況は悪い方向へと大きく傾いてしまっている。
「俺達の部隊はどこの配備なんだ!?」
「南の城下町だろ、急げ急げ!」
切迫しているのは兵士も同様であり、鎧が発する音など気にする様子もなく平気で廊下を駆けてゆく。本来ならば不敬に当たるが、今回ばかりはそんなことを言っている余裕は無い。
そんな連中の会話が微かに耳に届いたエンシェントは、緊急時における軍の不甲斐なさを痛感した。連絡が届いてからソコソコの時間が経つと言うのに、未だに持ち場にすらつけていないとは情けない話である。落ち着きの無さは、連携の無さにもつながるのだ。
状況が状況だけに無理もないと言えば言い訳はできるだろうが、あの軍隊ならば、どうするのか。そんな思考が脳裏をよぎるが、流石に妄想に対してリソースを割いている余裕は無い。ケストレル国王が居る部屋の扉を潜り、緊急の用がある様子を見せて右手側に赴き立った。
王の周囲には数メートルの距離を置いて多数の近衛兵や家臣が居り、万が一の事態に備えている。その全てはもちろん竜の亜人であり、外のどの種族における警備よりも高い戦力が揃っていた。
――――しかし、その全てが信用できない。
クーデターを起こしそうな者はある程度見当がついているが、例外は必ず存在する。故にエンシェントにとっては、国王を守りに来た者全てが、ただの第三者による集団である。
圧倒的な力を持っているはずの仲間が信用できないなど、人間の何倍もの時を生きているエンシェントからしても初めての経験だ。いつかの酒の混じった談話において「信用できない仲間ほど怖いものは無い」と呟いたホークの言葉が、ここにきて身に刺さっている。
「国王、御耳に入れたいことが。」
ケストレル国王に隣接している家臣が居ないことを利用し、エンシェントは驚かないよう忠告したのちに問題の魔法を耳打ちする。続いて、プライドは捨てて直ちに国から離脱するよう忠告した。
エンシェントのことを全面的に信用しているケストレルは内心では驚きを隠せなかったが、表面に出さない辺りは流石と言える。逆に「その程度か」と受け取れる仕草を垣間見せ、今度は彼がエンシェントに耳打ちする仕草を見せた。
「ケストレル国王、緊急です!」
兵士の中でも部隊長クラスの者が、鎧の音を響かせてやってきたのはその直前である。不敬とは知りながらも今現在は緊急事態であり、緊急の宣言とあいまって、エンシェントは一歩下がった。
兵士は息が上がっており、本当に急いでいるように見受けられる。もしかしたら問題の魔法のことが報告されるのかと、彼も兵士の行動を見つめていた。
―――気のせいか?
怪しいところがあるかと問われれば、首を縦に振ることを躊躇う程に微かな疑惑。ふと、兵士が顔を下に向けたタイミングで、その左手の手首から先が怪しく前後に2回動いた。
意味は違えど、似たような動きを見たことがある。言葉を発することなく意思疎通を図るために、かのI.S.A.F.8492の者が行っていた”ハンドサイン”。発せられる先は、その手が見える別の位置に―――
「左に飛べケストレル!!」
「覚悟!!」
「っ!?」
故に奇襲に気づくことができた。全員が扉側に注目していた中、国王の右手側から飛び出してきたフードの人物。
咄嗟に杖で短剣を払いうも、相手の腕力もかなりのものがある。エンシェントは弾き飛ばされ、杖を手放してしまい尻餅をついた。
明らかな敵ながらも、かなりの手練れと見受けられるフードの人物。エンシェントとは対照的に大きくよろめいた程度であり、その程度で己の決意は変わらない。血走った眼をケストレルに向けて声を上げると、側近が間に合わないほどの速度で再び迫った。
ケストレルも護身用の剣を抜くが、結末は分からない。明らかに自分が勝てる相手ならば余裕を持てるが、さきほどの一撃のやりとりで、相手の方が格上と捉えていた。
これらの思考や行動内容を人間が実行すれば5秒程の時間がかかるしろものだが、今この場に居るのは全員が竜の亜人である。僅か1秒と少々の出来事ゆえに理解が追い付いてこなかった警備兵は、初動が大きく遅れてしまっている。
間に合わない。駆け出す方も駆けつけられる方もその結末を予想するのにコンマ数秒とかかず、王の胸に突き立てられる剣を予想だに出来てしまう。
ケストレルの視界に彼を守る直営の兵士が駆け出す瞬間が見えるも、既に遅い。
ならばせめて、己の急所を外して相打ちには。そう考えるケストレルもまた、己の命を半ば運に任せるほかに道は無い。
「なにっ―――!?」
そして、仮に暗殺成功とまではいかずとも、何かしらの損傷は与えられたと確信したローブの人物の声。だというのに発せられた驚愕に満ちた叫びにも似た声が玉座に響き、運をねじ伏せ必然的に結末を変えたことを示すかのように木霊した。
暗殺者の眼前に立ち塞がり刃を受けるは、一番在り得ぬ老体だ。エンシェントは誰にも予想だにしない瞬発力で立ち上がって距離を詰めると、ケストレル国王との間に身体を割り込ませたのである。
「コイツ、どこにこんな瞬発力が――――」
「年寄りを舐めるなよ、若造―――!!」
魔力を放出し、相手を詰め寄れない位置にまで弾き飛ばした。フードの人物は背中から倒れ、衛兵に剣先を突きつけられて動けずにいる。これにより、実行犯の確保に成功した。
「エンシェント、エンシェント!!」
「王、動かしてはなりません!刃物はそのままで、抜けば大量に出血します!」
刃物によって作られた傷により、玉座に流れる血は夥しいものがある。流れ出る中で粘り気のある赤い水溜まりはまだ少なけれど止まるところを知らず、一刻の猶予も許さないことは明らかだ。
治療用のポーションを用意するように、家臣に命じる。しかしそのタイミングで、血相を変えた顔で伝令が飛び込んできた。
「伝令!国庫が何者かによって損傷を受けました、ポーションの類が被害を受けております!速報ですが恐らく全滅に近い模様!」
「なんと!?」
暗殺が未遂で終わった場合と戦況を不利にする名目で進められていたクーデター軍の裏工作が、最悪の場面に追い打ちをかける。こうなってしまうと、医学が発達していない彼等に打つ手は無い。
現場に居る者が持っていた治癒のポーションで、多少の傷は和らいだ。もし仮にポーションが供給されなくても、包帯を巻くなどの即席な治療はできるだろう。時間を掛ければ、治癒魔法による回復も選択肢としてあるだろう。
しかし、それらが通用するならば考えることに苦労はしない。エンシェントの言葉を鵜吞みにすることになるが、近いうちにドラゴンとしての能力は失われ、更には魔力そのものが低下してしまう。もしこのあとすぐに魔力を封じられれば打つ手がなく、エンシェントの死亡は確定だ。
そして何より、ケストレル国王からすれば、この場に居る者の9割以上が信用できない。治療の際に二の矢が飛んでくる可能性は、素人でも想像に容易い内容だ。
故に王の一言で、ひとまず彼を自分の部屋へと運び出す。背中で息を荒げる第二の父は、普段の冗談すらをも口に出す余裕を見せていない。3人の近衛兵が手伝いと共に続いたが、この者達だけはケストレル国王が絶対に信用できる直衛兵だ。
先祖代々直衛兵として王に仕え、彼が死ねと言えば即座に喉を掻っ切るような存在である。エンシェントを運んだ際に肌色の絨毯を赤い斑点が汚したが、彼の命を救えるならば文字通りの安いものだ。
そして、己の妻。ハリスに事情を説明して窓から外へ出て、直衛兵に対して誰にも気づかれぬよう飛翔を指示する。目標方位をしっかりと伝え、決して対応を間違わぬよう念押しした。
本当は王自らが行きたいところではあるが、彼はフーガ国の王である。故に国の有事の際に離れるなどもっての外であり、エンシェント個人のために戦力を割くことも憚られる。だからこそ己の護衛を外したうえで、迫る2つの脅威に対峙する決意を一層の事固めるのであった。
数秒の後、3人の直衛兵は指示された方角へと飛翔を開始。己の行く先に何が居るのか分からぬまま、王の勅命を遂行していた。
孤独を貫いたフーガ国にとって、もはや頼れるところは1つだけ。深淵の森に住まう未知の集団に、国の運命と命のバトンは託されようとしていた。