2話 老兵
装飾輝く大理石のホールに作られた円卓の場は、重苦しい空気に包まれている。そこに座る者はライター宜しく発火装置の部類であり、腰かける椅子はダイナマイトか何かの爆発物だろう。発言によっては、いつ爆発しても不思議ではない。
このように比喩しても差し支えないほど今回の議会の場はピリピリとしており、全員がおいそれと口を挟めない。若さに任せて勢いよく議会に参加した若者は、チラリと、とある人物を盗み見た。
視線の先に居た者の名を、エンシェント。格付けの一番上から1つ下、”神龍”のクラスに位置する歴戦の魔導士だ。龍の亜人の中でもかなりの年齢であり、現国王のケストレルとも仲が良い。
ドラゴンの姿にも成れるが今現在は周囲と同じ亜人の姿であり、白髪のオールバックが決まっている老人は、ぱっと見では還暦の老人と言って過言ではない。人族で言うならば、若者から体調を心配されるような年齢だ。少し腰を曲げて杖を持って歩くにはまだ早いが、もし実行していても違和感は芽生えない。
―――だというのに、この重圧。ホーク達が知る、お気楽な彼の姿は微塵も無い。
同じ場に居るだけで、研ぎ澄ました槍の先を突きつけられるような威圧感に襲われる。ピリピリとした空気に思わず冷や汗が滲みそうになり、目線をそちらに向けてしまう。
腕を組み円卓の座に居るその姿は、まるで石造の如く微動だにしていない。やや怒りが滲み出る立ち振る舞いは、ここしばらくの議会において出ている”議題”が要因であることは想像に容易い。
「そもそもにおいて、我々ドラゴンとは最強の種族である。」
いったい何千年前に誰が言ったか、この言葉。ケストレル国王は気にも留めていない一文だがそれでも知っている程に有名であり、この文章を”リスペクト”してしまっている若い衆が多いことも事実である。
そして6年前の敗戦を経験したことで、強いフーガ国を目指す……という発想に続いて「武力に訴えるべきだ」というズレた考えを持つ若者の数は目に見えて増えている。一部の貴族の類はそれに同調して強力な支持を得ており、その行動は取り返しのつかないレベルに足を踏み入れていた。
エンシェントドラゴンが露骨に怒りを表している理由がコレに起因する物であり、具体的に言えばクーデターの計画である。ホークと言う人族に教えられた情報を知っているだけに、戦いを求める声に対しての怒りも強くなる一方だ。
ここ最近を思い返せば、「皆勤賞でも目指すつもりか」と彼に野次られた第二拠点での飲み会もすっかりご無沙汰である。情報提供者が彼等でなければ、欠片も信じていないと断言できる内容だ。
しかし、彼の言葉。とても人族の若者と思えない考察力を見せるハクの夫が情報の発信元であるだけに、信じなければ害を被る内容だとも理解できる。
最悪の想像をするならば、北邪人国とフーガ国出身の一部が手を結んでいる。その一文を言い放たれた時は、目を閉じれば鮮明に思い返すことができる程に強烈な状況であった。
それからというもの、エンシェントは普段とは違った立場から議会に参加している。フーガ国の兵力関連の話になる度、言動などを参考にして怪しそうなグループに目をつけていた。
彼から得た時間帯の状況と当該人物のスケジュールを調べ、いくつかの目星は立っている。しかし当然ながら全てを把握したわけではなく、下手に動けば取りこぼしが水面下で燻ぶる状況を作ってしまうことも想定できた。
そのために昔からの己の主張である保守派に見せかけた動きに徹しており、大きくなりつつ相手の声に合わせてエンシェントも主張を強くするよう調整している。周りからは「落ち着け」と言われ始める程となっているが、もちろん、そこまでヒートアップすることも考えあっての対応である。
結果として自分を保守派の強硬派に見せかける姿勢が功を奏しており、今のところエンシェントを怪しむ動きは一切ない。彼の周囲にも相手側のスパイ的な存在は居るが、それに対して「議会において好戦的な声が強くなっているために、その主張の者を探っている」と見せかけることに成功している。
「最近は、動きが活発になってきておる。そろそろかもしれんぞ、ケストレル。」
「―――そうか。」
そしてケストレル国王とも親しい中にあるために、議会が終わった晩に会食の類を行っていても不思議ではない。流石のエンシェントとはいえ迂闊に国王には近づけないために、このような場において情報を交換していた。
軽いツマミと酒が置かれる今回の晩餐も、ひっそりとエンシェントの個室で行われている。王とは言えたまには愚痴りたくなる時もあるのだろうと、二人だけの晩餐を止める家臣も皆無であった。
優しく地を照らす月の如く、双方の微かな声は空気に消える。そんな柔らかさに混じり、窓からは若者と思われる威勢の良い声が時たま木霊し届いていた。酒でも煽っているのだろうか、勢いに任せたかのような叫びとなっている。
このような単純な威勢の良さならば、”若気の至りだ”と二人も笑って見送ることができるのに。と呟いたのはケストレルである。今現在において全くベクトルの違う威勢の良さと対峙しなければならないために、直後に生まれたのは溜息であった。
「しかし己の国における重い話だというのに……飲んでいるモノが最近現れた第三者から土産として貰ったモノとは、オカシな話よな。」
「別に、いつ何を飲んでいても良いと思うがのう。それよりもおぬし、端から彼等をアテにしていたじゃろ。」
「自分の国が持っている力と、隣の国が持っている力。その差など、言われるまでもなく分かっておる。」
とても一口とは言えない量のワインが流し込まれる前に発せられた一文に込められる彼の心境は、様々なものがある。もちろん彼自身のプライドも含めて”くだらないモノ”も混じっているが、あの場において最初からI.S.A.F.8492を頼ることはできなかっただろう。
娘ではなく、国を選んだ過去。その事実は、どう足掻いても消せはしないのだ。あの場においてハクを選んでいれば隠居と言う楽な道も選べただろうが、その身は一人の娘の父親である以前に王である。故に、選べた道は一つしかない。
自分の国が持つ、今現在の軍事力。とりわけ6年前の戦いにおいてその全容を大きく削いでしまっている現状では、猶更のこと勝利は難しいと彼は考えていた。
この段階では露呈していない情報として竜の亜人がドラゴンの姿・能力になる変化を封じる魔法を邪人国側は用意しており、それも含めれば戦力差は更に輪をかけて歴然だ。
その点を知らずとも、予測される結論は単純である。あえて口にすることもない程に単純明快であるために、二人も答えを表現することは無かった。
「……エンシェント。彼等の実力は何度も聞いておるが、視界を埋める程の多数を相手にしては如何様か?」
「どうじゃろうな、我が知るのはシルビア王国解放戦だけじゃからのう。今のところは”未知数”というやつじゃ。」
そう答えるエンシェントだが、内心では「赤子の手をひねる程に余裕だろう」と考えている。とはいえ口にした通りの未知数であるために、王であるケストレルに対して不確定の情報は口に出せない。
「だがそうじゃな、1つ言えることは……武力に優れる邪人国とはいえ、彼等を敵に回せば地獄を見るのう。」
「どのような意味だ?」
「”戦い”の概念が根本的に違っておるのじゃよ。考え方も、方法もな。とはいえ、とても我等が真似できるものではない。」
一度は彼等と言葉を交わしたケストレルだが、所詮はその程度である。最も知りたかったI.S.A.F.8492の戦闘能力に関しては、依然としてシルビア王国を解放した程度の漠然としたものとなっているのが実情だ。
この点については、もっとも彼等と接しているはずのエンシェントも同様だ。このような結果になっているのはホークの思惑が影響しているのだが、結果として、誰に対してさえもI.S.A.F.8492の”本気”を見せていないのである。
対象は、こちらは偶然だが妻のハクも同様だ。ガルムやメビウスが強いと言ったような超エース級の存在こそ彼女も知っているものの、全軍における総力戦については、ホークの口から「文字通りの蹂躙」としか聞いていない。
しかも、それを空軍だけで達成すると言うのだから最初はハクも苦笑したものである。ガルムやメビウスの演習を見ているうちに事実なのだろうと考えを改めていたが、それでも総出撃を知らないことに変わりはない。
未だかつて誰も見たことのないI.S.A.F.8492の真の実力を知りたがる者。その力を必要とする者と、邪険する者。
各々がその答えを知る時は、すぐそこに迫っている。