13話 犬との遭遇
アンタという言葉が誰を指すかは明確ではなかったものの、声の先に居たメビウスは「自分か?」と言いたげな表情を向けることとなる。視線移動の際に横切った太陽の光を嫌って細められた目が、そのまま相手に向けられた。
そこに居たのは、フェイス以外をアーマーに包んだ一人の男。大きなランスを片手で持っており、穏やかな雰囲気とは程遠い。西の帝国のエンブレムがついた小さな旗を槍に掲げる翼竜騎士、インディだ。
声を掛けられたメビウスの対応次第では、問答無用で斬りかかってくる態勢を見せている。そんな姿勢を向けられる彼も状況を読み取っており、敵対する意思がないことを態度で示していた。
「アンタとは私のことかと思いますが、何かご用でしょうか。」
ここで、彼の性格が幸いする。単刀直入に「なんだ」と返すようなガルムとは違って、彼は特定の人物以外を相手にすると紳士に振舞う傾向がある。
宿の中ではタスクフォース8492の面々が居り従業員が二人ほど居るのだが、何か声が聞こえたな程度の認識でありこの騒ぎには気づいていない。
ちなみにだが、メビウスも彼が以前助けた部隊の一人であることには気づいていない。エスパーダは長く奇麗な赤髪のためにピンとくるところがあるが、インディにはそれほどの特徴がなく以前にエスコートしたのはガルムのために気づく要素は皆無であった。
そろそろお暇しようとする日差しの下で、二人の男が対峙する。互いにかける言葉もなく、直立不動で立ち会うだけだ。
「その文様、北邪人国の者だな。リリィの部下か。この土地で何をしている。」
放たれた言葉に、メビウスはクエスチョンマークが脳内を埋め尽くす。なんですと?と聞きたいものの、それすらも行えないほどの疑問っぷりだ。彼も北邪人国は知っているが、リリィなる人物は存じていない。
インディが発した言葉の根源は、メビウスの文様。正確にはインフィニティの記号なのだが青いリボンに見えるそれを、青いリボンが特徴なリリィと結びつけてしまったのだ。青いリボンだけならば特に問題は無いのだが、わざわざその文様を掲げている点が目に留まってしまった状況だ。
しかし、ここでメビウスが見せてしまった対応が宜しくない。条件反射から右目に力を入れてしまったため、この行動が敵対と捉えられてしまった。
「どうした?」
建物の角から現れる、一人の女騎士。この段階で、メビウスは彼等一行が例の翼竜騎士だと気が付いた。
インディが務める隊の部隊長、エスパーダが宿へと戻ってきたのである。交戦体制の彼を見た後に彼女もメビウスのエンブレムに気が付き、インディに続いてランスを構えた。
「手を挙げろ、別所で話を聞く。」
二人はランスを構え、ゆっくりとメビウスに近寄っていく。地上では空のようにいかないメビウスは両手を挙げたままで抵抗する気配を見せていないが、これが正解だ。
宿の中でそれに気づいたホークとガルムは、メビウスが宜しくない状況に置かれていることを理解した。どうするべきかとホークが頭をひねらせた瞬間、ガルムがすっと立ち上がる。
「任せろ。」
「おいガルム。」
珍しくホークの言葉を受け取らず、彼は宿の外へと出て行った。ホークの言葉で何かが起こったことを察したタスクフォース8492の面々も窓に張り付き、状況を確認していた。
「ん?」
突如として相手の横にある宿から出てきた人物は、10歩ほどの歩みをエスパーダ達に向ける。とはいえ相手は丸腰であり、仲間と考えた先程の男も疑問が浮かびそうな顔で新たな男を見ているため、歩み寄る彼が何を企んでいるかが理解できていない。
響くのは男の足音と、ややテンポを上げた己の鼓動。少し戦いを知る者ならば、インディはともかく、エスパーダの方は見ただけで警戒するはずだ。その光景が全くないとなると、何をしでかすかが想像できない。
「仲間か!?隊長はそっちを、俺は元の方を!」
「わかっ――――」
言葉は、最後まで続かない。構えていたランスを力なく下ろすと、相手に問いかけることもせず、エスパーダは相手の懐に詰め寄ってしまう。
「こ、この着物、一体どこで!?」
「おい、どうしたってんだエスパーダ!」
流石にインディも相手に対する横暴と判断したのか、エスパーダの肩を掴み剥がしにかかった。とはいえ仲間内であるために乱暴に扱うわけにもいかず、軽く力を入れる程度に留めた。この反応はガルムも予測していなかったのか、逆に数歩ほど下がって距離を取る。
エスパーダの目は、目の前の彼もインディも見ていない。不思議に感じたインディは視線の先を追うと、そこには有り得ない文様が刻まれていた。
ホークの指示なしでエスパーダ一行と対峙するガルムの思惑としては、こうである。
嫌われ者の邪人国の者と目をつけられれば、穏やかに済む確率は低くなる。かと言って、この世界では一般人扱いであるホークが出張っても話にならないため、証拠付きの鳥の存在を出すことにしたのである。
もちろん、この選択がホークの計画に影響する懸念も大量に含んでいる。メビウスの身の安全とトレードオフになるために仕方のないことだが、影響を最小限に抑えるため、あえて鳥の名を口にしていない。彼等が鳥とバレたところで、タスクフォース8492と鳥の存在は結びつかないからだ。
一方のエスパーダも、目の前に立つ男が鳥の名を口にしない事に気づいていた。それを口にすれば全てが綺麗に片付くにも拘わらず、彼は口の1つも開かない。
彼が何者であるかは、二人にとって単純明快だ。眼前の文様は、間違いなくあの時の飛行物体に示されていたモノと同様である。
「あ、アンタ、この文様……た、隊長。」
「……ああ、間違いない。この文様、たとえ冥府に落ちようとも忘れない。」
「ハッ、何言ってんだ。ついこの間、この目で見たばかりじゃないか。」
「ふっ、そうだったな。」
「えっ?赤い……犬の、文様!?まさか!!」
インディの戯言に鼻で笑う彼女だが、遅れながらも参上したロトは何事かと視認し、思わず手で口を覆う。3人は目を見開き、眼前の様子を受け入れようと必死である。
3名の瞳に映るものは、彼の胸元にある共通の1つ。己の身体に撒きつき、繋がれた鉄の鎖を噛み千切らんとする、赤い犬のエンブレム。
GALMの固有名詞はオリジナルそのままだが、オリジナルとは違って66の文字が取れThe Air Foce Unitのみの文字が飾られている。もちろんコレが言葉であることを理解できるはずもなく、彼女達からすれば、英語すら模様の一部だ。
そして、問題がもう1つ。そのエンブレムを掲げる男が、今まさに彼女たちの前に立っているのだ。単に報告内容として挙がっていなかっただけなものの皇帝すら知らないエンブレムを掲げているとなると、答えは1つ。彼こそが、鳥の中に居た人族だ。
表情からは何も読み取れない、文字通りの無表情。明らかに人族であるものの目つきは鋭く、身長差もあってエスパーダを上から見る格好となっている。見下すような動作は無いが、空対空戦闘の実力を知るエスパーダ一行は、条件反射で行動が委縮してしまっている。
歩数で表して、約5歩の距離。ガルムが歩みを止めたのは、毛嫌いしてはいないものの気を許しているとも言えない絶妙な距離だ。
そのためにエスパーダとしても動くに動けず、かと言って眼前の人物が捕縛者の知人と言っている以上は、現在の状況は好ましくない。そのため、捕らえてしまったメビウスの身を直ちに釈放した。
「ガルムのやつ……。」
一方で、窓越しにその光景を見ていたホーク一行。マクミランが呟き、念のために己の武器に手をかける。しかしホークがM82に手を添え、無線会話が使えることを知らせると、しばらくは見守るよう指示を出した。
攻撃しようにも、準備なしではすぐに対応できないのが武器というものである。暗殺用である暗器の類ならばそうでもないが、近代に作られた銃という代物は、コッキング動作とセーフティの解除が必要だ。
そのためマクミランもこれら2つの動作を終え、相手から絶対に気づかれない位置で銃口を向けている。他の隊員もアサルトライフルを構えており、ホークたちと共に、翼竜騎士と対峙する二人を見守っていた。
「兄さん、1つ確認させてくれ。その男性は間違いなく、邪人国の刺客ではないのだな?」
「その通りだ。そしてそのように判断したが故に、釈放したのだと認識している。」
「お言葉の通りだ、失礼した。隊長、どうやら私の思い違いだったようです。」
「了解。御仁、失礼をした。申し訳ない。」
「危害は皆無だ、問題ない。人格ある対応に感謝する。」
流れ作業的に問題が無いことを確認したインディが謝罪し、隊長のエスパーダがそれに続く。声には出さないものの、ロトも目を伏せそれに続いた。
一応ながら問題の男に怒る様相は無く、釈放した男と無事の確認を行っている。よく見れば服装が似ており、リボンの男と赤い犬の男は本当に知人の関係なのだろうと、エスパーダ一行は理解できた。
「腕を引っ張ったのは俺だ、すまなかったな。詫びに食事を御馳走したい。少し早いが、もうしばらくすれば夕食時だ。良かったらどうだろうか?」
機転を入れ身振り手振りを交えて提案したのは、インディだ。エスパーダと違って叩き上げに近い彼は、こういう時に必要な行動を瞬時に実行することができる。とはいえそれも現場兵士レベルのノリの軽さからくるもので、ガルムとメビウスの立ち位置からすれば遠い代物だ。
それでも二人からすれば、この世界にて暮らす人物。ましてやワイバーンの一件で迷惑をかけた上に助けるためにミサイルをぶっぱなした相手とあって、何らかの運命的な集団であることもまた事実だ。
「……それだけか?」
「はは、お見通しだよな。いや、色々と聞かせてくれ。そんでもって、あの時の借りを少しでも返したい。」
「良かろう。こちらもいくらか質疑はある、良い店を紹介してくれ。」
「一安心、と言ったところですね。」
無線会話を聞いていたリーシャの声で、全員が銃の構えを解く。突撃に備えて腰を屈めていたハクも剣を仕舞い、軽く溜息をついた。
これで、エスパーダ達がこの宿へくることも回避できる。わんこ2名とエスパーダ隊のロトという魔術師が出会えば、フェンリルであることが露呈してしまう。ガルム達がディナーを取っている間に、ヴォルグとハクレンだけでも避難が可能だ。
しかし一方で、いやーな予感がしているのは彼等の長。ホークは「ここいらに良い店ってあったっけ?」と、思わずヴォルグと顔を合わせた。
「いいぜ、品は無いが味は保証する。そこにある宿さ、夕飯を拵えるよう掛け合ってくるよ。」
「「なんでさ……。」」
もっと良い店、ましてや、それこそディナーに相応しい店は、他の地に行けば確かに在る。と思うタスクフォース8492一行だが、悲しいかなここは世界の端の田舎町。それに見合う店は、仮にあったとしても雰囲気だけだ。
そんななかで、彼等の印象に残ってしまった、ホーク直伝一手間が映える無名の宿屋。無線で会話を聞いていたうち、ホークとヴォルグは条件反射でツッコミを呟いてしまうのであった。