5話 彼という存在
【視点:3人称】
「それにしても、リーシャが報告ってのも珍しいね。何かあった?」
彼が言うように、そのような報告を彼女が行うことは初めてである。通常ならば偵察兵自らが報告を行い、ホークから注意点に関する指示を受けるのがセオリーだからだ。
地図を眺めて形状を記憶していたハクも、作業を中断して二人の方を見つめている。ホークは椅子に腰かけ机に右肘を乗せてリラックスしているが、片やリーシャは背筋が伸びており、緊張した面持ちだ。
「そ、総帥様!この度は、あ、明日を見据えるようなご推察に対して大変失礼な発言を致しまして、申し訳ありましぇん!」
噛んだ。
悲しいかな、礼の姿勢で行われたリーシャ渾身の謝罪文が与えた感想は、夫婦共通してソレである。一方のリーシャもそれを自覚しており、耳まで真っ赤に染まって礼の姿勢のまま固まっていた。
そして流れは、自然とホークにとって窮地となる。
ツッコミを入れるべきか。ハイエルフのプライドを尊重してスルーすべきか。今後の関係に影響しかねない重要な局面に、夫婦二人の額に1粒の汗が滲んだ。
ホークは、リーシャを見ていた目線を1フレーム程度の時間だけハクに飛ばし、問いを投げる。しかし直後、彼女から得たのはホークを見つめる目線だった。
とどのつまりは、お前が決めろ、と。ですよねーと呟きたかったホークは、観念して言葉を出すのであった。
「はは、褒めてくれるか。でもそんな賛美さえ正直に受け取れない、自分でも憎たらしい性格だよ。」
思ってもみない発言で素に戻ったリーシャは顔を上げ、ハクも驚いた表情で横顔を見つめている。一方ホークは相変わらずの柔らかな表情であるものの、苦笑しているようにも見て取れるだろう。
「……ごめんごめん。ただの愚痴だよ、気にしないで。ともかく連絡は了解したのと、謝罪に関しても意図は受け取った。偵察部隊に了解の返事を返して欲しい、それも仕事だ。」
「はっ、はい!」
失礼しますと礼をして、彼女は足早に部屋を出ていった。
「……愚痴、ですか。」
足音が遠ざかるのを確認し、彼女は静かに口にする。本当は直球で問いを投げたいところではあるものの、彼を相手にそれができるほど、立場や気持ち的にも強くはない。
その結果が、このような言い回しだ。過去に何度か見せている表現だけに、ホークも問いの本質を瞬時に見抜いた。
とどのつまりは、ホークがハクを絶対的に信用しているのかどうかという問題。先ほどの言い回しでは、彼女でさえ100%の信用を置いていないと受け取ることができる。
彼は自分の妻の事を信用してはいるものの、この本質に関してはできれば口にしたくない内容である。そのためか、のらりくらりと避けるような回答を見せた。
「……。こちらの言葉を聞いてくれて、従ってくれているとしても……君と出会った以降に仲間になった面々の言葉と行動は、その裏を読んでしまう。この前にハイエルフ一行の上機嫌に気づいていたのも、それが理由だ。」
「……。」
「足りていない信頼の実績ってのは、双方が歩みをそろえて積み重ねるモノ。時間が解決してくれる問題だとは思うけど、自分が総帥である以上、裏切られる可能性を無視することもできないんだ。」
彼の発言をまとめると、「従え」と命令する割には100%の信用を置いていないということになる。命令される本人が聞けば、相当に士気を下げてしまう爆弾発言だ。
ホークが言うようにI.S.A.F.8492の隊員は過去の実績から100%の信用を置いているものの、この世界の住人は日が浅い。そのために、ホークが持っている信用は完全なものに仕上がっていないのだ。
ホント、色々損な立ち位置だよ。と、彼は柔らかな表情のままでため息をつく。
「……それは、私も含むという言い回しでしょうか。」
「いやいや、それは無いよ。」
やや目を伏せ覚悟を決めて口にした彼女だが、思いがけぬ呑気な口調で切り返される。条件反射で視線は彼の目をとらえるも、それを予知していたかのように、ホークの顔も彼女を見ていた。
「不安だった?」
二人で過ごす時と同じような様子でにこやかに問われるも、この言葉でハッとし、彼女は謝罪の言葉を口にした。
ハクが気づいたのは、ホークが最初に言っていた信頼の度合いである。先ほどの言い回しに対し「自分自身を含んでいるのでは」と不安が芽生えるということは、彼に対する疑惑を抱いているのと同じなのだ。
理性で意識していても、本能というものは酷なものだ。頭の片隅で、「本当に信用されているのか」という疑念が浮かんでしまっている。
もちろん、これは全面的に彼女が悪いわけではない。先ほどホークも言っていたが、時間が浅いために実績が足りていないだけである。立場的にあまり物事を言えない状況が、実績を作る機会を奪ってしまっている状況も問題の1つだろう。
とはいえ、だからと言って初対面である相手の言葉の全てを否定すれば、何事も始まらないこともまた事実。ホークの考えを「言いがかり」と表現したリーシャだが、正直なところ、彼女も同じ考えである。
色々と彼の考えを聞いてきた彼女だが、何故このような思考に至るのかまでは理解できていない。根底を知るために、ストレートに問いを投げた。
「うーん……そうだね、こんな状況はどうだろうか。相手はハクの正面に立って、ハクの右方向から剣を振りかぶっている。こんな時、「もし左からの攻撃がきたら?」って感じの内容、考えたことは無い?」
「正直なところ、常に考えております。予期せぬ一撃というのは致命傷になりやすく、可能性が無い場合でも細心の注意が……」
言いかけたところで、相手である彼の立ち位置になって、ふと考える。
それは、今現在タスクフォース8492が置かれている状況と同じではないだろうか。未知である冒険者と言う立場に身を置く彼等にとって、予期せぬ状況とは、常に隣り合わせにある。
ここで彼女は、依頼を請け負った時まで戻って考えてみる。夫であるホークが、言いがかりとも言えるような思考を行うことには理由があった。
予期せぬ一撃は致命傷。情報戦、言葉の駆け引きとて、それは実戦と同じなのだ。
彼女も知るように、情報戦は、司令官でありパーティーリーダーである彼の戦い。周りを取り巻く状況を把握しつつ、いかなる場合でも対処できるように、様々な策を巡らせることが彼の戦闘だ。
「思いついたことの大多数は、文字通りの思い過ごしだね。そんでもって全ての仮定に対して準備することはできないけれど、予測していた場合としていない場合だと、現場への影響度合いは段違いだ。これに関しては、現場に居たハクのほうが詳しいかもしれないね。」
言っていることは、彼女にとって痛いほどわかる内容だ。5年前の進軍時においてコレをやっていたかと言われると、自信をもって首を縦に振ることができない。
大抵の場合、司令官は馬鹿らしくなり思い付きをやめてしまう。考えついたとしても確信を持てず、それを口にすることは滅多にないだろう。
イレギュラーへの対処というのは今までの戦闘パターンが通用しない場面において生きることなのだが、悲しいかな、イレギュラーを経験した者にしか重要性が分からない事象でもある。
このような前提としてホークの考えを読み解いていくと、言いがかりと決めつけることは恥の感情が芽生えてくる。転ばぬ先の杖とはよく言うが、まさにその言葉がふさわしい。
彼自身も戦闘能力がないことを嘆いていたが、そんなことはどうでもよくなってしまうような重要さだ。彼女の思考内容を読み取ったのか、彼は表情をがらりと変えた。
彼女が知る世界では滅多に見かけぬ、漆黒の黒い瞳。その鋭い視線が、サファイア色の目を射抜いている。幾度となく強豪と対峙し生き残ってきた百戦錬磨のハクでもってすら、研ぎ澄まされた圧を感じて汗が滲む。
色々な過程を飛ばした結婚とはいえ、彼の妻という立場に収まる己の身。そして半年以上の月日を過ごし、卵焼きの味付けをどうするかなどの他は特に大きな喧嘩もなく、彼をほとんど理解したつもりでいたのは間違いない。シンプルな塩派なのだと。
基本として常に優しく、思考は柔らか。それでいて隊員や皆の実力を把握しており、方向性を示した上で集団をまとめ上げるカリスマ的存在。戦闘能力は無けれど、団の長である総帥の名に恥じない人物というのが、嘘偽り無い彼女の評価だ。
しかしその裏に、結果の責任を背負う強さが隠れていたことに気づいたのは、つい先ほど。いくら可能性の段階とはいえ、よほど己の推察に自信がなければ、ティナの町の町長が敵とは言い切れない。
ガルムやマクミランのようにわかりやすい強さではなく、知る者を除いて、決して他人の目には映らない影の強さだ。
そしてこれは、己が惹かれた理由の根底だと確信する。
積み上げてきた過去をもとに自分の考えを正しいと信じ、守り抜く。そして、それが正解だと部下に言い切れる意思の強さ。
彼が見せる優しさや統率力は、彼が持つ自信の強さから生まれた副産物に過ぎない。彼女はそのような外面ではなく、竜人のセオリー通り、彼が持つ強さに惹かれていたのであった。
そして彼女は同時に、それがI.S.A.F.8492の強さを支えているのだと瞬時に気づく。
かのエース達も、「弱くてもいいやと」言ういい加減な感覚でホークを慕っているのではない。目に映らない部分を知っており、その背中を見るに値すると認識しているためにI.S.A.F.8492として存在し続けているのだ。
知識や戦い方において未知の集団と認識していた彼女だが、再びその認識をさせられる。このような特殊なトップを持つ軍隊など、世界中のどこを探しても見つからないだろう。
「ま、さっきから言ってることは御立派なんだけどね。早い話が、それぐらい気合を入れないとエース達の足元にも及ばないってことなのさ。」
そのようにシリアスな思考に陥るハクだったが、彼はケラケラと笑いながら、いつもの調子に戻ってしまう。彼女や隊員がよく知る、お気楽なホークの姿だ。
そうしてくれると分かってはいたものの、気遣いの良さを再び感じて彼女の表情も緩くなる。自分が相手だったから言ってくれたのだなという、安心感と満足も得ることができていた。
「どうだろうか?自分にはコレぐらいしかないけれど、逆にその一点は譲れない。言っちゃ悪いけど、ガルムとか大元帥の連中にも負けないよ。」
「ふふっ。格好を決めたおつもりでしょうが、今までを拝見するに個人の人力作業も程がございますよ、マスター。」
「デスヨネー。」
悲しいかな問題の根底を指摘され、格好をつけたホークは再び苦笑いの表情に戻ってしまった。
早い話が、一人で抱えすぎという点である。自分は総帥なのだからと気負いすぎる所が、彼が持つ大きな欠点だろう。悪い癖と自覚しつつ明確な改善案も思い浮かばないが故の、このような返答だ。
彼も、本音を言えば。一人で背負うその辛さを、少しだけでも共感して欲しかったのかもしれない。
彼女が、再び彼に惹かれなおすと同時に。小さい背中に圧し掛かっていた大きな負担は、少しだけ和らいだ。
小難しいパートが続きました。次回は真逆の内容です