GYU-DON短編 眠りたくない魔王の娘はコーヒーを飲んでみる
作者注
この物語は『よみがえった勇者はGYU-DONを食べ続ける』の短編です。
本編六章までか、書籍版1巻を読んだうえでお楽しみいただくことを推奨しております。
――女神……
――女神よ……
「ハッ!? あ、は、はいっ! 寝てません! 私、寝てませんよ!?」
寝てた。
女神が目覚めてあたりを見れば、そこは自室だった。
勇者の家の、自室。
魔王の娘がおとずれたり、魔剣(聖剣)に襲われたりという記憶も新しい、早くも住み慣れたマイルームなのである。
あんまり家具のない簡素な部屋。
ベッドにタンスに、そのぐらい。
実家の方は――神界にある実家の方はもうちょっと物が多くて粗雑な雰囲気がある。
だが、この家にはなんの因果か子供が多いので、あまり情けない汚部屋模様を見せないよう、色々自粛しているのである。
――女神よ……
――女神よ、我が呼び声に応えるのです……
女神しかいない女神の部屋に、女神を呼ぶ声はなおも響いている。
女神にはわかった――これは女神の声だ、と。
つまり神界からの通信である――神界には女神も男神もたくさんいるのだ。
「もしもし女神よ……? なんですか、こんな夜遅くに……」
女神はおそるおそる女神の声に応じた。
部屋中に静かに響くような女神の声が、荘厳な雰囲気で語る。
――女神よ……どうやらそちらは、夜のようですね……
「はあ、そちらは?」
――わたくしは今、バカンスで少しそちらと時差のある地域にいるのです……
「……ええと」
――そこであなたへお土産を送ろうと思ったのですが、チョコレートとコーヒーどちらがいいか、迷っています……
「……」
――女神よ……選択の時です……『チョコレート』がいいか、『コーヒー』がいいか、あなたの意思で、選び取るのです……
「どっちでもいいですけど……」
――どちらも選択せぬ場合、『利用価値のいまいちわからないペナント』が、寝ているあなたの枕もとに災いとなって降り注ぐでしょう……
「……」
神というのはこのように、他者に選択をゆだねがちである。
なぜならば――神は優柔不断なのだ。
これは神界の神民性と言えよう。
「うーんと、では、チョコ……あ、どのぐらいの量を送ってよこすつもりですか?」
――女神よ……最近のあなたの噂は聞いています……
「なんですか唐突に……」
――急速に所帯じみてきて、子供たちのことばかり考えているとか……
「まあ、否定はできませんが……」
――ですが、女神よ……よく聞きなさい……
「はあ」
――わたくしはお土産を買うのが好きなだけなので、『子供たちにも行き渡るような量を』とか言われると、一気に負担が重くなり、送りにくくなるのです……
「……」
――なので、チョコレートだと、あなたと、せいぜいあなたの加護する勇者様が楽しめる量が、限度……もはや大家族であるあなたの家の子ら全員分は、送れません……なぜならば、神の財布は有限なのですから……
「……まあその、でしたらお土産は気にしなくてもいいですけど」
――女神よ……わたくしは、施しを与えるのが趣味なのです……財布に負担を感じない程度に、他者に恵みをあたえる……それが旅行の楽しみの一つなのです……
「……えーと、じゃあ、コーヒーをお願いします。そっちだと全員分確保可能なんですよね?」
――女神よ……あなたの選択に幸多からんことを……それでは神の加護を……
「はい、神の加護を……」
部屋に響き渡っていた友神の声は途切れた。
そして――
――ドサッ!
女神が通話前まで頭を乗せていた枕に、なにかが落ちてくる。
それは加工により光沢を付与された紙袋である。
袋越しでもかすかに鼻孔をなでるのは、『コーヒー』のにおいであろう。
思えばこの地上には『コーヒー』がない。
女神はさほどコーヒーを飲むタイプの神ではなかったが、久方ぶりにかいだコーヒーの香りからは、懐かしい神界の風景が想起された。
しかし――
女神は、このコーヒーが抱えた重大な問題に気付く。
「うーん……お土産をくれるのは、ありがたいんですけど……これ、挽かないと飲めないタイプですよね……」
『死蔵』か『器具を買う』か――そんな選択が女神の中に浮かぶ。
しかし『買った器具を今後も使うかどうか』『器具の保守・管理のめんどうくささ』『そもそもそこまで安いものではないので、そのお金で他にほしいものがある』などの問題点ばかりが頭に浮かび、選択は『死蔵』で決定しつつあった。
その時である。
コンコン、と部屋のドアがノックされた。
「めがみーめがみー」
この舌足らずな声は、魔王の娘だ。
こんな夜遅くにどうしたのだろう?
女神は首をかしげながらも応対することにする。
部屋の扉を開ければ、そこには予想通り、黒い髪に赤い瞳、白い肌という特徴を備えた存在――魔王の娘がいた。
最近『影武者』という見た目だけならそっくりな子も家に来たのだが、女神や勇者たちが魔王と影武者を間違えることはない。
端的に言うと、賢そうな方が影武者で、そうでもない方が魔王の娘だ。
「どうしました、魔王の娘さん……? もうおねむの時間ですよ?」
「うーん、寝てたんだけど……なんか、起きちゃったんだ」
「あらあら……しかしみなさんもう眠ってますから、魔王の娘さんもがんばって寝た方がいいと思いますよ。今起きてると、明日、みんなが起きてる時に眠くなって、遊べなくなっちゃいますからね」
「それは困るんだけど……でも、なんか、無理なんだ」
「どうしてですか?」
「体力を増やすために激しいトレーニングをしたからだと思う」
「激しいトレーニングをしたのに、眠くないんですか?」
「うん。『トレーニング』って『昼寝』のことだし」
「……」
魔王の娘は、『いっぱい寝れば体力が増える』という謎の理論を提唱しているのであった。
つまり、ヒマさえあればずっと寝ているのだ。
「……食べて寝てばかりだと、太りますよ……」
「だいじょうぶ」
女神は無言でしゃがみこみ、魔王の娘の腹部を服越しにぷにぷにした。
上質な枕のような弾力だったが、まだ『つまめる』ところまではいっていない。
「……でも魔王の娘さん、健康のために、歩くぐらいはした方がいいと思いますけど」
「そんな激しい運動したら死んじゃうよ!?」
魔王の娘は百歩も歩けないのだった。
ものすごく燃費が悪いか、なにかの呪いにかかっているのだと、女神は思う。
「ねーねー女神、だからわたし、眠れないんだけど、明日の昼眠くなるのもやだし、暗い中一人で起きてるのもやだし、どうしよう?」
「つまり、眠れないのが不安で、私の部屋に来たと……」
「うん……」
「……しょうがないですね」
女神はため息をつく。
けれど、顔には優しい微笑があった。
「……まあ、本当は無理にでも眠って欲しいところですけど……仕方がないので、起きていましょうか」
「でも、明日の昼、眠くならないかな?」
「……どうせ昼寝するんでしょうけど……まあ、そうですね。はい。眠くならないように、不思議な飲み物を飲んでみませんか?」
「食べ物!?」
「飲み物です。どうしても眠りたくない時とかに飲む――コーヒーっていうものなんですけど」
「飲む!」
魔王の娘が高らかに言った。
女神は苦笑する。
……こうして、もらったコーヒーがなくなれば使わないかもしれないけれど、女神はコーヒーを淹れるための機材の購入を決定したのであった。
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その飲み物は不安を覚えるぐらいに真っ黒で、けれどいい香りがした。
『コーヒー』。
「……まあ、一部では『泥水』とか揶揄されることもありますので、見た目的には不安でしょうが……味は……まあ、苦いですけど……えっと、お砂糖とかはないので、苦くて無理そうだったら、がんばって飲まなくてもいいですよ」
泥水というが、この黒さはそんなレベルじゃない。
闇だ。
炊事場。
いつもの席に着いて、魔王の娘は湯気立つコーヒーをじっと見ている。
その真っ黒な水面には魔王の娘の顔が映っていて、じっとのぞきこんでいると引きずり込まれそうな怖さがある。
でも、『やっぱりいらない』と言えないのは、女神がなにかゴリゴリしたりコポコポしたりがんばってこの『コーヒー』を作っていたのを後ろで見ていたからで――
あと。
やっぱり、いい香りがするからだ。
……なぜだろう、この香りをかいでいると、色々な料理を思い出す。
『お好み焼き』のサクサクとした食感――
ハンバーグの、ジューシーさを内に秘めた肉の表面――
パリパリに焼かれた魚の皮や、よく焼いた厚切り『みのたん』。
考えてもわからない。
だから、『苦い』という注意は受けたけれど、魔王の娘はコップを持ち上げ、コーヒーを少しだけ、口にふくんだ。
まずは湯気が立っているだけあって、熱い。
それで、忠告通り、苦い。
でも、覚悟していたお陰で、そんなにイヤな――毒とかそっち系の苦さじゃないな、というのは、わかった。
なんなのだろう?
口の中で転がしてみる。
やっぱり頭に浮かぶのは、これまで食べたおいしい料理たちだ。
肉みたいな味は全然しない。
魚みたいな味だって、まったくしない。
そもそも、コーヒーには脂っぽさがない。
……そうだ、思い出すのは『サクサク』『カリカリ』。
お好み焼きの生地、その表面のこんがりしたきつね色と、ちょっとだけ黒くなったキャベツ。それを口いっぱいにほおばった時に感じるような、ちょっとした苦み。――楽しい苦みを、思い出すのだ。
「女神、『コーヒー』って焼いたの?」
「……あら、よくわかりますね? はい。コーヒーは、コーヒー豆を、『焙煎』――つまり焼いてから、挽いて粉状にしたものに、お湯を注いで作るんですよ。『焙煎』には『浅煎り』『深煎り』『中煎り』という種類があるようでして、この豆は……『深煎り』みたいですね。……魔王の娘さんには苦かったでしょう?」
「苦いけど、この苦いのは、悪いやつじゃない気がする」
「……ええと」
「うん、よくわかんない。もうちょっと飲むぞ!」
二口目。
先ほどより熱さがやわらいで、味がよくわかるようになってくる。
苦いのは、もちろん、苦い。
でもやっぱりイヤな苦さじゃない――なんていうか、『ちゃんと苦い』。
口いっぱいに空気をためて味わえば、鼻を抜ける独特な香りには、心が落ち着くような好ましさを感じる。
飲み込む。
舌の上が、ちょっとだけ、酸っぱい感じがした。
これも腐ってたりとかいう系の酸っぱさじゃない。
強いて言えば、果実のような。
まだ少し食べごろより早い果実。それを食べた時みたいな酸味が、かすかに舌の上に残るのだ。
苦くて酸っぱい。
すごく簡単にまとめるとそういうことなんだけれど、なぜか、そんな簡単に言ってしまっていい飲み物ではないと、魔王の娘は感じた。
ようするに――
「……うん。コーヒーは、えっと、アレだ……大人の味なんだな……」
「……やっぱり苦かったですか?」
「苦いし、ちょっと酸っぱい感じもあるけど、そうじゃないんだ。なんか、そんな一言でまとめちゃいけない味なんだ。わたし、好きかもしれないぞ」
「あら、そうですか? もっと甘いものが好きなのかと思いましたけど」
「うんまあ、正直、甘い方が好きだけど……」
「……」
「でも、これはこれでいいと思う! これに甘いのが入ったら、もっと好きだな!」
「なるほど。今度がんばってみましょう」
「うん!」
「それで、今から明日の夜まで……お昼寝を挟んで……元気に起きていられそうですか?」
女神が自分のコーヒーを飲みながら、首をかしげる。
魔王の娘はうなずいた。
「なんか、お腹とか胸のあたりがカッカッする。だから、きっといける。もっと飲めばもっといける気がする!」
「そうですか。それはよかった。……でも、空腹時にあんまりたくさん飲むものではないですから、一杯だけにしましょうね」
「つまり、食べながら飲んでいいのか!?」
「いえ、そういう意味では……うーん……まあ、甘いお菓子などが手に入ったら、お菓子を食べながら飲んだりしてもいいかもしれませんね……」
「甘いものか! 甘いもの、食べたいな!」
「……そうですね。いずれは、きっと」
女神は微笑む。
――コーヒーの香りに包まれながら、夜はふけていく。
近い将来、甘いものを食べる機会にも恵まれることになるのだが――
――その時、奧の方にしまいすぎてコーヒーの存在を忘却してしまうのは、また別なお話。